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海月屋・辻正仁『短めでお願いします』

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無自覚なる津波

いつからだろう?
地震というのはガタガタ揺れるもんではなく、うねうねとローリングするように感じられるようになったのは。

今日のは長かったしね。
ヤバいだろうなとは思ってたけど、みなさん元気ですか?
札幌にいると申し訳ないくらい我が身は気楽だ。

さて、地震から津波発生して、その後時折ツイッターをチェックしてたんだが、こちらは情報の津波である。

おそらく皆さん何か自分が役に立てればという善意の気持ちで色んな情報を発信しているのだとは思う。

だが必ずしも善意が正解を生む訳ではない。

さらに、こういう場所には善意ではない者もいる。
そういう輩が発信したガセ情報を信じた善意ある人達が拡散していく。
少なくとも僕にはその情報の真偽を確認する術がない。それを鵜呑みにしてさらに拡散させるのは危険だと思っている。
ま、ガセじゃなくても色んな情報が錯綜してる。

それぞれがツイッターで得た情報を拡散するために情報が重複して、逆に細かな情報が見つけにくくなる。

これを、自分が被災して孤立無援、動きの取れない状態だと想像しながら眺めてみる。

ツイッターは殆ど役に立たない。皆さんの善意や悪意が入り乱れて、中にある有用な情報が非常に見つけずらい。

こんなのバッテリーに限りのある携帯電話でひとつひとつチェックして、必要な情報(中には役立つ情報もあるんだ)を探し出す余裕なんかおそらくないだろう。

『自分が誰かの助けになりたい』という気持ちからの行動が余計に混乱を招いたり、下手すると何かの弊害になる恐れもある。

まぁ、ツイッターに限らずこういうネットのコミュニケーションツールって、災害時を想定している訳ではないから、最初からあてにしなけりゃいいんだけど、情報伝達の速さを考えると勿体ないってか、ユーザーの態度いかんでは、とても役立つ可能性もあるのになとは思う。

なんてのかな?

みんなが被災している人を気遣って何かを発信している状況というのは、それなりに美談な状況だとは思うのだ。

離れて見てればね。

でも、実際に今困っている人達に必要なのは美談ではないでしょうよ。

『自分が誰かの助けになりたい』というのは、善意かもしれないが、エゴでもある。
状況判断して本当に誰かを助けたければ自分の行動は控えるべき時もあろう。
それで誰かに評価される事もないし、自分が満たされる事もないだろうが。


こういう話をすると大抵嫌われる(笑)。自分がよかれと思ってやった事、善意にケチつけられたら誰でもそりゃあ不愉快だろう。
でも、それって『誰かの助けになる』って事から『自分の善意が否定された』って事に問題がすり替わってしまってるんだよね。

いつの間にか自分の問題が一番の重大事になっている。

自分というものを一旦外して考えると、自分にできる最善の事は何もしない事だって場合もあるんじゃないかな。

そういう時は静かに祈っていればいいと思う。
祈る事はできるんだ。

いちいちツイッターで『祈ってます』とか発表しなくていいから(笑)。


追記
その後、ツイッターの情報の嵐はある程度シェイプアップされているみたいだけど、それが時間によってアクセスが減ったからなのか、段々要領が分かり始めたからなのかはわからない。
因みに個人的にはこういう時のコミュニケーションツールは本当に知り合い同士が励ましたり、安否を確認するのに使えばいいと思う。

いたずらにあちこちの情報拡げても、不必要に恐怖心を煽ったり、また救助を求める発言の中にもガセがあったりするんで、現場を混乱させてしまうしね。

状況が落ち着いたら、生活物資の支援なんかに役立てる事は出てくるだろうけど。

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