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海月屋・辻正仁『短めでお願いします』

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四つのお願い(by ちあきなおみ)

例えば『悲しい』という感情は人それぞれのものではあるが、話を聞けばなんとなく共感できる場合も多いかと思う。自分に同様の体験がなくとも、自分が悲しくなったときの気持ちは覚えていて、「きっとこの人は今、あの時の自分と同じような気持ちなんだろう」などと慮ることができる。その人の状況を想像するだけで、こちらの悲しみが喚起されることもある。

話を聞いたからといって、その人の悲しみを解消してあげることは出来ないのだが、その悲しみに共感するだけで、多少の救いになる場合もあろう。「自分の悲しみを理解し、ともに悲しんでくれる人がいる」ということで。

これは『悲しみ』だけではなく『怒り』『憤り』そして『喜び』なども同じかもしれない。ネガティブな感情は理解され誰かに受け入れられることで、少しは和らぐ。ポジティブなものであれば、誰かと共有することでより豊かなものとして広がる…。ま、ネガティブな場合は相手もその感情に引きずり込んでしまう場合もあるので、むやみに撒き散らすのはよくないなってこともあるけどね。それだけ第三者に伝わるものだってことでしょう。

これは心の話。

では身体的な感覚はどうだろう?

実はこちらのほうが結構、共感されずらいのではないかと思う。
例えば、『痒い』。経験的に虫さされの痒みなどがあるから、人の話を聞いても納得はできるのだが、その当事者の話を聞いているときに、『悲しみ』のように自分自身の痒みが喚起されるかというとそうではない。ただ知っているから同情はできるが、『痒み』を共有することはできない。
痒くもなんともない時には、自分が痒かったときのことを思い出せても、体はその感覚を再現できないし、記憶もしていない。だから、どうやっても痒くない。

これがまた、『痛い』となると余計にそうで、他人の痛さってのはどうにも分からないものである。人が机の角にスネをぶつけるのを目撃すれば、「痛そうだな」とは思うが、どれほどのものかはわからないのだ。同じ「頭が痛い」といっても人の感覚はそれぞれで、自分が耐えられない痛みでも、もしかしたら他の人は多少ガマンすればすむ程度のものかもしれない。

例えば、誰かが何かにぶつかって激痛で泣き叫んでたとしよう。見た所そんなに激しくぶつかったのでもない場合、「そんな大げさに痛がるもんでもないだろう」と思うかもしれない。
でも、当人の感覚によってはそれは気を失うような痛さであるかもしれないのだ。それは第三者には決して伝わらない。

ここまでは前置き(笑)

こうした日常的なこととはまた別のレベルで、理解を得られていない『痛み』がある。
『線維筋痛症』というものだ。
簡単に言えば、一般の方よりも痛みを敏感かつ極端に感知してしまう病気らしい。ひどい人になると、身体に何かが触れるだけで激痛が走るのだそうで、日常生活すら困難になるらしい。っていうか、多分生きていることが辛くてしょうがないだろう。

原因も解明されていなければ、当然治療法も確立されていない。っていうか、検査しても発見できるものでもないようで(原因が不明だから、調べ方も分からないんだよねきっと)、病名自体も知らない医者もいるという。
欧米では100年前から難病として認知されているそうだが、200万人以上がこの病気を持っているとされる日本では、難病指定されてないばかりか、保険適応外。 ヘタすると病気ではないと診断され、「単なる怠け病」だと思われるケースもあり、苦しんでいる人がいるのだそうだ。
さっきも書いたように、人がどれほど痛いのかを第三者が理解するのは難しいのである。

コレ、難病指定になっていないがために研究予算も下りず、現在原因解明、治療法発見のための研究も進められない状況のまま、国内で理解を得られない200万人が苦しんでいるということになる。

それでまぁ、「なんとかして下さいよ」というのを厚生労働省に嘆願するための署名を集めているそうです。僕の友人の友人がこの病気と闘っており、こうした話を伺ったのだ。
世の中にはたくさんの解決すべき問題があり、とても全部に手が出せるものでもないが、僕はせめて自分と何かご縁があったり、自分が見聞きしたものの中で心に訴えてくるものがあれば、自分にできる分だけを何かしようかと考えている。

これは、倫理観でも正義感でもなんでもない。単に僕自身の『快楽の原則』にのっとったものだ。
例えば、前から何度か紹介しているチョコレートやコーヒーに関するフェアトレードの話。アレも自分が好きで楽しんでいるものなら、生産に関わる人たちにも楽しい思いをしてもらったほうが自分ももっと楽しくなるというだけの話。(ちなみに、昨今の環境保護に関する諸々には、利権のニオイがして賛同できない。有料化されて指定までされてるゴミ袋が石油で作られてる時点でウサンクサイだろう)

話がそれた。
ま、お金があるわけでもないしね。研究資金を出すなんてできないけど、署名を呼びかけることくらいはできる。だから呼びかけます。

PCの方はコチラから、そして携帯の場合はコチラから署名のページにいけますよ。

僕が紹介して、お願いしたいのは、このページに行ってみて下さいってことだけ。
後はそれぞれの判断で、しっかり署名の呼びかけについての説明も読んだ上で、署名すべきかどうかご自分で判断してください。尚、この病気の詳細については、Wikipediaの説明を読むのが良いかと思う。

身体のことも、心のことも、他人の痛みというのはなかなか理解できないものではあるが、少なくとも「理解が得られない」という悲しみや苦しさなら、想像力と感情によって多少共感できる気がする。そんなものはきっと少ない方が楽しい世の中であろう。そう思って僕は署名してきましたよ。


それで、もうひとつお願いがあって、明日20日、そして26日、28日とライブが続きますんで、ぜひ会場に来てくださいまし。詳しくは、ホームページの「ライブ情報」をご覧下さい。

タイトルに反して、お願いは二つだった。今日は謙虚だな。



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