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海月屋・辻正仁『短めでお願いします』

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ゆこう自画自讃で 歌を口ずさんで(『自画自讃』by自分)〜 『ちょっとした40周年記念』のアレコレ⑦ 〜



さて、この40年をなんとなく振り返ってみますとですね、その「曲を書いて歌う」みたいなことが結構うまいこと10年周期くらいで大雑把に区分けできそうな気がしてきた。

ん~と、ギターを手にしたのが(よく書いてるけど手にした目的がそもそも自作曲を作って歌うということだった)1978年の事で、そっからなんだけどそれから本格的に「ずっとコレやっていきたいな」と思い至った1980年までの間を「準備期間」とするとさ、その後もだいたい1988年とか1998年前後とかにちょっとした「次のコマに進む」みたいな流れがあって、次のディケイドでそっちに舵を切るみたいな流れがあるのね。

んで、その10年ごとに区切ってどんな感じだったかまとめとこうと思ったんだけど、何をどうまとめればまとまるのかさっぱりまとまりがつかず、まぁ各年代のことを詳しくはおいおい書いていくとして、ひとまず非常にざっくりした流れだけ触れとこうかと。
そんだけでもちょい寂しいので、その年代ごとに影響受けたアーティストとかアルバムとかも書いとこうかな?
これも単に「聴いていた」ってことにすると本当に際限なくなるので、あくまでも「自分が曲を書くのに」とか「歌い回しや声の出し方」みたいなものの参考にしたようなのに絞ってみようかと思う。

それでは

【80年代】

ここはもう、最初の最初なんでね。
ギターを持ったのがちょっと前の78年。
そこから曲を書き始めて、最初はただの「真似事」。それも満足に真似すらできていないというか、翌日に自分で歌ってみてもまともな曲としての体をなしてない曲とか、本当に流行りのニューミューックとかから拝借したような言葉を羅列したような歌詞とかのものばっかりだったのが、後半ではコンテストに出て行ったりレコード会社の大人の人に呼ばれてなんだかんだと「ああしろこうしろ」と言われるようになる程度の曲は書くようになったしそれなりに歌えるようになるのだから、最初の10年というはなかなか盛りだくさんだったんだな。

きっかけはビートルズと解散後のジョン・レノン、ポール・マッカートニーそれぞれの作品から始まって、70年代のフォークソング、当時ヒットしてるような英米のロック、ポップス。日本のニューミュージック。
とにかく聴こえてくるものは何でも参考になるというか、なんでも参考にしようとしてた。まだ自分の傾向とかわからんていうかそもそも傾向自体がなかったし。

で、意外とロック一直線ではなくて、さだまさし、吉田拓郎、オフコースとかが最初期の主に歌詞での参考物件だったかな? ようするに「日本語が綺麗にメロディに乗ってる」っていうものと、もうちょい熱血というかバンカラなスタイルにも憧れてたしそこは分裂してたかもしれない。
自分の書く稚拙でメロディと噛み合ってないような言葉が気になっていてこうしたさだまさしとかオフコースなんかの流麗な言葉の流れをものにしたいって事と、ジョン・レノンみたいに叫んで歌いたい。勢いに任せたいってところで拓郎とかね。

で、後半で念願のバンドをやるようになって、だんだん自分の嗜好もはっきりしてきてロックだなんだってことになるんだけど、そっからはブルース・スプリングスティーンとか、当時INXSとかデヴィッド・ボウイとかがちょっと捻くれたソウルみたいなことやってたのを気にしてたな。

で、歌詞のその分裂傾向というのは、サザンと佐野元春によってなんか「コレコレ!」ってのを発見してくのね。言葉の乗せ方が綺麗なんだけどロックのノリでっていう。コレ詳しく書くと延々書くことになるので省略するが。

で、この1人で曲を書いてたというか曲作りの練習をしてた時期と、バンドで歌う曲を書き始める間に意外な時期がちょっとだけあって、それはポール・サイモンとか山下達郎とか聴き込んでた時期なんだけど、その時が唯一ギターのコードワークとかを意識してた時期なんだな。あれがあのまま行ってたら、テンションコードとか細かく駆使するようなちょっとプレイヤー寄りの曲をやるような、今とは全く芸風の違うことになってたかもしれない。

でもバンドやるあたりから「ロック、激しく、シャウトする、勢い任せで行く」みたいなところに意識が傾いて、今考えると完全なる勘違いなんだけど「メジャーコードとマイナーコード以外を使うと軟弱」みたいな気分になって、しばらくはメジャーセブンスのコードすら封印するようになる。

でもまぁ、その辺を自分で絞り込んだから、多少スカウトの大人とかに声かけられたりってことになったのかもね。
そして88年あたりで結局その大人の人たちから言われることによって自分が何をやってるんだかよくわからなくなっちゃったり、ちょっと生活の方でなんだかんだあって、一旦音楽活動やめようと思うに至ったところで主な80年代終了。


【90年代】

そんでも一回活動始めようと思い立ったのが1990年のことで、そっから1年間「毎月20曲」を自分でノルマにして、書きためてはスタジオでラジカセで録音したテープを友人らに配りまくってた。

この時期の曲作りで一番大きな影響を受けたのは佐野元春「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」。あとは自分の心情をどうやって曲に乗せていくかってところではU2の「RATTLE & Hum」と「Achung Baby」。

こっからはもう自分がインディーズ指向になってたような気もする。
要は80年代最後のあたりでメジャーの大人達に結構場当たり的なこと言われたり、自分もそれなりに「売れるには」みたいなこと考えてたのが「なんか自分で当初考えてた素敵な人生ではなくなってるな」みたいのがあって、また歌を書いて歌うことをやるなら、もうちょい自分の中で筋の通ることをやりたくなったのかな?

でも、まだ色々ブレるんだけどね(笑)
この辺りから前々から心惹かれていた50〜60年代のブルース、ソウルとかあと日本の戦後間もない頃の歌謡曲とかを意図的に聴いてみたりしてた。まぁ一番しっくりきてたんだよな。

改めてバンドを結成して、当初はやっぱりロックをやろうとしてたんだけど、途中から世に流れている、日本だとミリオンヒットがどんどん出てきてなんか音楽が完全なる商売(商売は否定しないんだがバランスの問題)に傾いてきてたし、やたrとデジタルな音色で製品化されたものが嫌になってきて、そんな中で唯一と言っていいくらい感動したのがHEAT WAVEでね。
なんかあんまりゴチャゴチャしたこと抜きに、気持ちをそのまま歌にするために身悶えながら曲作りしてそうな…。
それもあってバンドでも後半は「歌物をやりたい」みたいな言い方するようになってたし。

洋楽は新しいの聴いてもピンと来ないってか、ニルヴァーナとかオアシスとか嫌いじゃなかったけど夢中になれなかったりとかあって、だんだんと英米以外の、例えばイスラム圏とかの地域の音楽とロックを融合したやつとかに興味が行って、そっからさらに各国の民族音楽とか聴き漁るようになってその流れで行き着いたのがゴスペルとアイリッシュトラッドだった。

だから、この時期はもう一回いろんな音楽を深い部分で聴きながら勉強し直すというか、自分の中で自分なりの「大衆音楽の歴史」みたいのを構築してたんだと思う。

この辺からは自分の書く曲は極力シンプルにしたいって気持ちが強くなってるな。で、言葉の面ではそのシンプルな曲の中で実験的にってか人と違った書き方しようと思ってたんだけど、どうも理解を得られず(笑)
後にやろうとしてたことを椎名林檎とかがあっさりやってるのを聴いて「あ、もう自分にこういうのをやれる感性はない」と思わされた(笑)

そんなこんなしてる間にバンドは活動できなくなり、かと言って新しく結成する気にもなれないし弾き語りをやるのもちょっと踏ん切りつかず、たまに開店したばかりのフライアーパークで歌わせてもらうとか、あとは麻雀に明け暮れて90年代の終わりを迎える。



【2000年代】

こっからは基本的に自分の曲作りに強く影響を与えるものって特になにってのが無くなります。
というか、90年代後半から周囲にあふれているヒット曲に対して「自分の聴きたいような曲が少ないな〜」と思い始めてたので、むしろ「少ないなら自分で聴きたいような曲を書こう」ってな発想に完全に切り替わってた。
そういう曲聴きたいのって自分だけじゃないだろうから、気に入ってくれる人もいるはずだし、そういう人たちに喜んでもらいたいみたいなのもあったし。


影響を受けたって点で特筆すべきはヴァン・モリソンで、これは前述の世界各地の音楽を聴いて行き着いたゴスペルとアイリッシュトラッドみたいに掘り下げたところから再度ポップミュージックに戻った時に、「コレが求めてたものかも」みたいな感じだったのね。
で、こっから色々チェックはするけど、自分が単純に楽しむために部屋で聴く音楽ってほぼヴァン・モリソンだけみたいな(笑)。
あと、女性アーティストの曲をよく聴くようになったかな。ってのはそれまでも聴いてたけど、自分のやることの参考にはあまりできなかったので。この時期から聴くようになったのって逆に聴いてる音楽を参考にしなくなったからというか、影響されようないから純粋に楽しめるってのがあるのかもしれない。

話をヴァン・モリソンに戻すと、彼はソウルやろうがジャズやろうがアイリッシュやろうが、そういう色々やってるにも関わらず、「全部ヴァン・モリソンでしかない」っていうのが素晴らしいなと思って。
特に音楽的に変わったことやってるわけでもなく、非常に色んなジャンルのオーソドックスなことをやってるクセに、この人にしか出せないことをやってるのね。
これこそオリジナリティだなと。

そこは影響強い。

なので、自分の書く曲も、一般的なソウルとかロックンロール、フォークとかの昔からの構造上のフォーマットをあまり逸脱しない形になっている。 その上で「定型通りにやろうとしてもどうしてもこうなっちゃう」って部分が自分が色濃く出る部分なんだろうと。そういう作り方になったし、あまり歌詞と曲を分けずに「歌いながら同時に作る」というやりかたも定着した。
ようやくここで自分のスタイルというか手法を見つけたわけだ(笑)。

こっからの方が逆に色んなスタイルに手を出してる。まぁ弾き語りなんで気付きにくいだろうけどね。
メジャーセブンスコードも封印解いたし(笑)

あとはね、バンドの活動停止後に初期のデジタルの打ち込みとかでバックトラック作ったりして「擬似的バンド」みたいなので音源作ったりして「こんな感じでバンドっぽさだそうか?」とか思ってた矢先に、その3作目制作中に10曲くらいのデータが吹っ飛びまして…
そっから打ち込みはヤメた。

それで色んなミュージシャン集めて、集まったメンツでやれることをやるとか、その経験から「1人で弾き語りやっても成立するものを持ってないと」って意識になって行った。

なんか色んなことがあるたびに自分の中では曲作りの自由度が高まって行ってるなと。

年齢的なものもあるかもしれないが、「こうでなければ」って自分で思い込んでたものも段々少なくなってきたし。
あとは、パフォーマンスもね弾き語りの時に皆さんに楽しんでもらえる方法みたいのはなんとなく自分なりのスタイルを見つけたかなとは思う。
詳しくは書かないけど、ちょっといくつかの出来事があって、心境に変化があったというか「自分の存在感を認めさせたい」とか「かっこよく見られたい」とかよりも、その場にいる人たちが楽しい気持ちになったり束の間でも幸福になってもらえればと思うようになってきたのね。
それを自分のやりたいように書いた曲やパフォーマンスでどうやっていくかみたいな。

そんで若い音楽人とも多く知り合うようになって、彼らの一生懸命に刺激受けたりね。曲を提供したりとかもあって、色んなことが「らしさ」を軸に広がっていく時期でした。
それが本格化したのが次のディケイドなわけだ。



【2010年代】

前の2010年代に自分の手法とか「らしさ」をつかめたとしたら、この後の10年間はそれをより深めたり幅を広げたりしてきた10年間だろうね。
で、そういうのができてくると割となんでも受け入れられるというか、例えば昔の歌謡曲みたいの作ってみたりとかジャズっぽいことやってみるとか、色々やっても「オレです」って色は出せるようになったと思うので「誰々みたいな」ってわざわざこっちから寄っていかなくてもいいみたいな。
むしろなんかを受け入れて一旦自分を通して「オレ色に染めた」という状態にできるので、パロディとか「ゴッコ」にならずに色んなこと楽しめるので面白くなってきている。

で、書く曲はさ、ものすごく単純化してきてるんじゃないのかな? これはちょっと自分ではわからないけど。

そしてこの辺りから、自分が聴きたくて書いている曲を披露して、それを本当に気に入ってくれる方もチラホラ現れてきた。
これが本当に嬉しい。
決して大人数ではないけれど、何もない状態から自分の発想と技量で作り出したものが第三者に受け入れられるってのは実に幸福な気持ちになるものですよ。多分ね、音楽やり始めた時にはまだ生まれたばかりみたいなもんであんまり経験もないから「女の子にモテたい」とか「好きな子の気を引きたい」って思ってやってたことって、要するにこういうことなんだろうなと。

「自分の存在というものを何かの形で、社会の中に受け入れられたい」っていうのかな? 

なんか自分で最近思うのは、それこそやり始めた頃に「こんな感じの曲書こう」とか思って頭の中ではできてるのに実際にはモノにできなかった曲を書けるようになってるのかもなって。

まぁ、ちょっと直近の10年ってのはあんまり客観的に判断できないんだけど、「生活してりゃ勝手にアイディアが浮かんでくる」って状態になっている今現在ってのは、なんだかんだとこういう短くはない年月の蓄積があってのことなんだろうなとは思う。
あんまり他の人には気づかれないと思うけど、今だに曲作りの中で「コレは自分にとっては初のことができたぜ」ってのがあるんだよね。昔やってみて失敗したことができてるとかさ。

40年前に何気に思い浮かんだ「ずっと曲書いて歌っていきたい」って、結構ご大層なことだったんだなって(笑)
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