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海月屋・辻正仁『短めでお願いします』

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あの年の出来事 〜「ちょっとした40周年記念』のアレコレ③ 〜



えーと、自分が「ずっと歌を書いて歌っていきたいな〜」なんて事を思い浮かべてから40年。
その思い浮かべちゃった年である1980年はですね、まず「ポール・マッカートニーが日本で逮捕拘留」という辺りから始まった1年であった。

まぁそれなりに大きなショックだったよ。今思えばその年末にもっと取り返しのつかない大きな衝撃に見舞われたので、全然なんでもないことみたくなっちゃってるけど、少年時代のなんだかよく分かってないリアルタイムでは結構ショックだったはず。

そんな幕開けだったあの年にはこんな出来事がある。

※ 映画『ブルース・ブラザーズ』日本で公開(アメリカでは前年1979年)
※ 佐野元春デビュー
※ U2デビュー
※ ブルース・スプリングスティーン、アルバム『TheRiver』発表

うん、別にリアルタイムでその時にってわけでもないけど、自分の曲作りとか音楽上の活動姿勢とかに後々多大な影響を与えた出来事で言えばこんな感じかな?

あとはね、日本の音楽状況で言うと、「フォーク」と呼ばれてたものが徐々にシフトしていって「ニューミュージック」なんて呼ばれ方が定着し始めて、その数年前のサザン、原田真二、ツイストとかね、その辺がTVを拒否せずに出てきたってのもあって、この頃にはロック系とかニューミュージックの人たちも随分TVに登場するようになってたり、歌謡曲フィールドの歌手に楽曲提供とかCM曲出すとかって感じで、それまでラジオやライブで一部の人たちしか知らなかったような音楽、アーティストが「お茶の間」に浸透する時期だった。
今こんな話ししてもピンとこないと思うけどね(笑)。

それとオフコースとか山下達郎なんていう音楽性は高いんだけどそれまで売れてなかった人たちが注目され始めたのもこのころかな? なんか時代の潮目が変わり始めた時だね。

あと大きいのは、山口百恵の引退の年であり松田聖子のデビューした年ってことかな?
これは自分だけの捉え方かもしれないけど、山口百恵の引退というのは「歌謡曲というジャンルが消えていく」象徴だと思っていて、そっから突然消えるわけではないけど、そのニューミュージックの台頭なんかと相まって徐々に「歌謡曲」ってものが曖昧になっていってやがては「歌謡曲」というジャンルが認識されなくなっていく流れのスタートポイントだと思うんだよね。
で、松田聖子のデビューが何を象徴しているかと言うと、「ポップス」の登場。
いや、それまでもポップスは存在していたし、歌謡曲だってポップスなんだけど、より洋楽に接近していくというか「湿度の軽減」があるんだよね。
洋楽でしっとりした歌とか聴いても、歌謡曲のような湿度ではないじゃん。そういう意味で。
なので、この1980年ってのはオレの認識だと「歌謡曲からポップスへ切り替わった年」なんだよね。もちろん当時はそんなこと考えてないよ。今思えばってこと。

でも考えてなくてもそういう時代の空気みたいなものを少年期の感受性で受け取っていたとは思うのです。

子供の頃から歌謡曲もフォークソングも聴いたり歌ったりするのが好きだったオレはそこにビートルズを聴いた衝撃から洋楽にまで手を伸ばし、ラジオでは古いフォークから最新ニューミュージック、洋楽も60〜70年代の曲を聴き、TVの歌番組では演歌や歌謡曲を聴き、たまにニューミュージックの人が出演するなら血眼になって見るという時期。
そんな時期に手にしたギターで(コレはビートルズの影響がでかいが、他にも「自分で曲を書いて歌う人たち」がどんどん耳に入るようになってたからかもしれない)、曲を作り始める。始めるってかギターを弾く目的がそもそも「自分で曲書いて歌うのが形になるから」ってことだもん。

書き始めた最初なんて、多分曲としての形をなしてなかったと思うんだよね。それで、この1980年のある日に「ずーっと歌書いて歌っていこう」って思いついたのって、覚えてないけどきっとようやく一応は楽曲としての形になってるものを書き上げたんじゃないかなと…。
その日なのか前の日の晩とかさ。それでそういう気分だったんじゃないかなと想像してみる。

まぁとにかく、そういう世の中の音楽的な空気だったのを背景にしてましたって話をしたかっただけ。

で、最初の方でちらっと書いたこの年1番の衝撃的な出来事。

※ ジョン・レノンが射殺される

何と言ってもこの人のように曲を書きたかったんだ。
それは曲調とかそういう話じゃなくて。

ビートルズを聴きこんで、いろんな本とかインタビューとかを読み漁って、ポールとの共作名義になっていても実際は個別に書いたりどちらかが主導権を持って大半を書いた曲が多いんだってことを知ってさ、で「どうやらオレはジョンの書いた曲が好きらしい」ってことがわかってきて、彼のソロ作品とかも聴き始めたのがこの年の最初の頃でね。
それで彼の「Oh Yoko」って曲がね、もう単純に自分の奧さんに向けて「大好きだ〜」っていってるだけみたいな歌なんだけど、それオレには関係ないじゃん(笑)? 
ってか本人の気持ちなだけだし。それを世代も国も違う子供が聴いてもしょうがないはずなんだけど、この曲聴くと当時好きだった女の子の事思い浮かべたりとかさ、あの楽しそうなんだけどどこか切なげな感じとかが「あ、オレも身に覚えがある」みたいな…。

で、それを世界中にレコードで発表しちゃって、年齢も性別も人種も超えていろんな人がそれぞれに自分の思いを重ねてるんだよね。繰り返すが奧さんが好きだって固有名詞出して歌ってる歌をだよ?

まぁ当時そういう感じで言語化できてたわけではないけど、そういうのが自分で書き続けて歌い続けたいと思った、最も最初の動機だろうね。
自分の気持ちを表現して、それが他の人にも伝わるってか他の人はその人なりの受け止め方で共感できてなんらかの意味を持つって素敵だなってことなんだろう。

音楽を始めたきっかけは単純に「好きな女の子に格好よく思われたい」とか「モテたい」だったんだ(それに関してはまたいつか詳しく)。
でもそっからもうちょっと違う形で音楽そのものに意味を見出してしまったんだな。大げさに言えば。

それがオレの1980年のこと。

そしてそのお手本だったジョン・レノンがさ、しかも数年間の隠遁生活のあとで活動再開した矢先に(オレはね、これでようやく後追いじゃなくて現在進行形の彼の音楽が聴けると思ってたんだ)あんなことになって、そりゃ悲観にくれたよ。

それで、そこでまた思っちゃったんだよね「やっぱりオレは曲を書いて歌っていこう」って。
別に故人の意思を継ぐつもりもないし、そういう立場でもないんだけど、なんか彼が亡くなった後で、ちょっと気持ちが落ち着いた時に、あの原っぱで思い浮かんだことをちょっと噛み締めたんだった。あれはなんだったんだろう?

ってなことを最近思い出した。

そんな1980年だったな。


※ 『ちょっとした40周年記念』はこちらから活動スタート
   ↓
2020年1/21(火)
【バースデーワンマンライブ】
場所:フライアーパーク(札幌市豊平区平岸4条7丁目)
open 19:30/ start 20:00
料金:2000円(要別途1ドリンクオーダー)
出演: 辻正仁 ハーフタイムショウ:吉田秋絵

2020バースデー告知




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