fc2ブログ

海月屋・辻正仁『短めでお願いします』

※各記事下の「拍手」クリックで辻へのメッセージを書き込むことができます(非公開)                                       

鏡よ鏡…(ネタバレ注意)

先日『いむいぱぴ子』というシンガーソングライターの単独公演のPAと照明をやったのです。

その模様がYouTubeでアップされたので、観てみました。面白かった。
よくわからんが、なんとなく映画でも見る気分になってみたくて、おかきを買って来て食べならが観た。いや、別にこれからご覧になるかたはおかきは買わなくても問題ありません。念のため。

彼女は『劇場型シンガーソングライター』みたいな触れ込みで活動している。
ん〜、以前に一度『500L』かなんかで一緒のステージやったことはあったんだが、その時はまぁ持ち時間も限られてるし、その時間内で歌と演奏を披露した感じだったんだ。まぁオレとかも普段やってるようなアレね。

で、その時もちょっと面白いな〜とは思ってたんだよね。なんか媚びてない感じというか、何かはわからないけど貫こうとしてる空気があって。なんというか「あ〜これからも好きなようにやっていけばいいな〜」と思ってたのです。

で、今回はその『劇場型シンガーソングライター』が「単独公演」ということでですね、つまり「ワンマンライブ」ではないわけです。

芝居仕立ての仕込みやストーリーがあってそれに自作の曲の演奏が組み込まれてるとも言えるし、曲の演奏とセットリストの構成からストーリーが生まれ出ているとも言える。なので、曲間にいわゆるMCというものはなく、全て彼女が演じるキャラクターのセリフになっちょる訳だ。

ん〜、なんちゅうか大雑把に分かりやすく言うと”中島みゆきの「夜会」が小規模になった”という感じかな? そっくりそのままではないけどね。

でさ、リハの時に歌聞いて、以前に一緒にやった時よりも全然うまくなっててちょっとビックリしまして。
で、台本渡されまして、音響的なこととか照明的なこととかの指示が書き込まれてまして…。
すげぇ緊張した。だって、そういうものも含めて「作品」として成立するものを彼女は目指している訳で、オレがしくじったらそれが作品の評価に影響を与えかねないんですもの。

そんなに難しい事を要求されている訳ではないし、そもそも機材的なあれで出来ることも限られてる訳だが、それでも公開された動画を観ると、自分の反省点というか「あ、ここタイミング違うな」とか「ここはスパっと明かり落としてよかったな」とか色々思う。
おそらく彼女のイメージ通りではない部分も多々ある筈なんで、そこはちょっと申し訳ない。

まぁそれでも当日来ていたお客様(満員でございます)には非常に好評だったってのは、彼女の力あればこそだよね。
なんか、現場にいるとわかる説得力というか、訴えるものってのがあるんだよな。そこはもう照明がどうとかのアレではない。初の挑戦で、そういうアレコレをさ、ほとんど1人で仕掛けた訳だから、やっぱりこれは凄いなと思うのです。素直に賞賛できる。

で、賞賛できるだけにだ。こういうものを観せられると「もっとこうしたほうがいい」とか「今度はこんな事を」をとか、ひどくなると「そうじゃなくて、こうするべきだ、コレをやんなきゃダメだ」とか色々言ってくる胡散臭いオトナが必ず出てくるんだ。
それは好意によるものなのかもしれないけど、そんだけ本人に魅力感じちゃってそれを自分の趣味とか夢の代用に取り込んじゃおうってな動きというのかな? まぁ、つい何か言いたくなる気持ちってのは出てくるんだよ。オレも含めて(笑)。

でさ、その辺はうまいこと受け流して、自分の好きにやれば多分その方がもっと面白いものができると思うんだ。素直な人って、そういう周りの意見を真摯に受け止めちゃって振り回されて疲れてしまうのでね。そこは頑張って「自分が何をどうやりたいか?」に拘って行って欲しいなと思います。
って言ってる事自体がもうすでに余計なアレだから(笑)。

で、今回の舞台作品『鏡中女優」というのですが、今回動画が公開されて初めて「眺める人」として拝見した訳ですが、脚本の五十嵐さんの構成力がいいなと。
ま、タイトルから推察できるように、今回は彼女は「いむいぱぴ子」ではなく、ある女優としてステージに現れ、その女優のストーリーに基づいて言葉を発し、演奏して歌ってる訳ですけど、最後の方でね、その女優がいつのまにやら「いむいぱぴ子」にすり替わってる訳ですよ。ストーリーの行き着いた先に「いむいぱぴ子の独白」があるという…。コレ、ネタバレだけど大丈夫か?

もともとこういうの好きなんだよね。ちょっと毛色は違うしもっと複雑な構造だけど、ボブ・フォッシーが晩年に作った自伝的映画『ALL THAT JAZZ』とかさ。アレ、死を間近にした主人公が劇中で撮影編集してる映画のセリフとかが伏線になってて、そのセリフのように主人公の死の前の行動が展開されてってのが劇中にあるけど、その辺や劇中の人間関係やらなんやら全部ひっくるめてボブ・フォッシーの独白になってるという。なので最後に見終わるとフィクションだった筈なのに、作者の話のような印象が残るのね。ま、伝えたかったのはそこなんだろうし。
それをちょっと思い出した。

んで、その単独公演の動画を一応貼っときます。

特に公開用の撮影準備をしてた訳ではなく、ご家族が記録用にカメラを回してたってアレなんで本人も迷ったらしいんだけど、周囲の反響とかもあって公開を決めたらしいです。

対して役に立ててたとも思えないんだけど、ちゃんとオレの名前もクレジットに入れてくれてたりして光栄。
多分ね、近い将来コレはちょっとした自慢になるだろうと踏んでいる。

また手伝う機会があったら、もっとガッツリやりたいな。













スポンサーサイト




未分類 |
| HOME |