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海月屋・辻の日々

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女が弓を引いた時 男は真実を見つけた(『二人の理由』by 佐野元春)

ナポレオンフィッシュ

ものすごくしばらくぶりに好きな音楽についての自分だけの話を。

たまに書いてって言われるんだが、こういうの読みたいって人いたら、ネタはいくらでもあるのでお伝えください(笑)

ん〜と、佐野元春の1989年作品【ナポレオンフィッシュと泳ぐ日】。
発表が30年前の6月1日だというのを見かけて、書いてみようかなと。

このアルバムの制作経緯なんかも興味深いし、特筆すべきことは沢山あるんだが、そういうのはオフィシャルな記事とかをチェックしてくださいまし。ここではあくまで個人的な話を。

まぁ、なんでわざわざ書く気になったかと言うとですね、当時、そんだけこのアルバムの衝撃がデカかったんですよ自分にとって。

いや、それ以前に出た【VISITORS】とかももちろん驚いたんだけどね。
んで、佐野元春と言えばやっぱり世間的には【SOMEDAY】とか【VISITORS】がいろんな意味で重要な作品と言われたり衝撃作とか人気作ってことになるんだろうけど、自分にとってはソレの比じゃないくらい、この【ナポレオンフィッシュと泳ぐ日】に与えられた影響が大きい。
んと、一応、作詞作曲して歌う者の端くれとしてね。

いきなり余談になるがもっと音楽活動云々というところ以上に自分の生活というか、あえて言えば人生において大きなインパクトを与えられたのが【THE SUN】で、曲作りという点で衝撃ではないんだけど大事なヒントをくれたのが【THE BARN】である。ん〜、「引き出しの奥を漁ったら結構面白いもんが出てくるよ」みたいな感じのヒント。

さて、本題に戻ろう。
【ナポレオンフィッシュと泳ぐ日】のどこにそんなに衝撃があったのか?

まずは音からほとばしるアグレッシヴさ加減というのかな? スタジオでっていうか曲を書いている最中の衝動みたいなもんが、レコーディングって中で綺麗に整理して仕上げてるはずなのに溢れちゃってる感じがしたんだと思うのね。今振り返ってみると。
おそらく本人の何らかの状況とかがあったんだと思うし、なんか『鬼気迫る』みたいなものがあって、まぁそこをスタジオワークとしてきちんと制御しつつ、同時にそれを丸ごとパッケージできるようにってことで、サードアルバム以降セルフプロデュースだったのを、わざわざコリン・フェアリーにプロデューサーとして参加してもらったんだろうし、それも一旦東京でいつものメンバーやスタッフで制作してたのをお蔵にして単身イギリスに渡ってあちらのベテランミュージシャンをバックにするという仕切り直しを行ったのも、その為ってのが大きいのではないかと勝手に推測している。

だからなのか何なのか、決して雑に作られてる訳ではないんだけど、今聴くとアレンジとかもちょっとヨレてるってかスピンアウトしちゃってる感じの部分があるな。構造だけ捉えれば割とオーソドックスなロックミュージックのフォーマットなんだけど、そこに異形をまぶしてるような、勝手にねじくれたかのような…

このへんのひねくれ具合に、なぜアメリカではなくイギリスレコーディングだったのか? の理由の一端もあるんではなかろうか?

で、当時の自分はというと、実はこの89年という年は自分が音楽にハマってから初めて、そして今までの(おそらく今後も含めて)中で唯一「音楽活動をやめよう」と思って暮らしていた年なんですよ。
まぁ、家でギター弾く程度の事はあっても、対外的に「音楽やってます!」っていう活動はやめようと。
円形脱毛症とかになったりしてね(笑)

まぁ、性格が性格だからそんなに陰鬱に暮らしてた訳ではなく、それなりに楽しい思いもしてたんだけど、結構その自分の支柱となっていた音楽を作るってのから離れなければっていうアレを抱えながらの生活で毎日繰り返し繰り返し繰り返し聴いていたのがこのアルバムだった。

そこから聴こえてくるアグレッシブさに煽られたり、そこで歌われる「オレは最低」とか「今までの君は間違いじゃない、これからの君は間違いじゃない」とかって言葉に共感を覚えたり慰められたりね。
あ、書いてて思い出した。この頃って毎朝起きたら『陽気にいこうぜ』って曲を流してたな(笑) 「オレはくたばりはしない〜」ってやつ。

そんでさ、このアルバムを聴きながらだんだん「やっぱり音楽やんなきゃダメだな」って気になって行ったのね。まぁそれだけが理由ではないけど、音楽やってない事で色々と混乱を生じてた気持ちというか、気概がなくなりかけて行って自分でも「これはやべぇな」と思ってたところで、このアルバムのというか、このアルバムから伝わる佐野元春という人の空気ってのかな? そういうものを励みにしたのは確か。

ちょっと記憶が定かではないけど、それから実際に動き出したのが翌90年だったな確か。

一月10曲だったか20曲だったかを書くことを自分に課して、書き上げてはスタジオでラジカセ使って録音して配りまくるといところから始めた。
で、それをやりつつバンドメンバー探して結成して初ライブが92年だったかな?

うん、その当時はそう意識してた訳ではないけど、バンド始めた当初にやろうとしてたのは、単純に衝動だけでやるんじゃなくて、演奏陣をしっかりした人たちにやってもらった上で自分はスピンアウトさせてくれってなイメージだったんだと思う。そこもきっと【ナポレオンフィッシュと泳ぐ日】の影響。

ずいぶんと長くなったけど、それはバンド時代に限定した話でね。

でもこのアルバムを聴いて以来、ずっと自分の信条になっちゃったことがあって、それは「英語に逃げない」ってことかなと。
んと、今じゃ横文字使わないのが当たり前みたくなってるからわかりづらいかもしれないけど、80年代ってのはサザンしかり佐野元春しかり、曲サビとかわりと耳を引くポイントで歌詞に英語を混ぜるのがほとんどだったのよ。
「ダンシングオールナイト」だの「わかりはじめたマイレボリューション」だの。特にロック系に多かった気がする。
ん〜、佐野さんとかサザンはちゃんとそこに意図というか、英語を使うってことを意識してるからいいんだけどさ、今改めて聴くとあまりに安易に英語に頼ってる曲が多いなと。
ただの雰囲気でしかないってか、そこに英語を組み込むことの意図も自覚も足りないってか、日本語でそのリズムなりメロディーにきちんと乗せてなおかつ何かを表現している言葉を探るという作業を放棄してるようなね。

で、オレももちろん思考停止のまま安易に英語を取り入れてた訳ですよ。英語入れるだけでソレっぽく聴こえるし、歌ってても気持ちいいし。

それが【ナポレオンフィッシュと泳ぐ日】でその「うまいこと英語を織り交ぜる」の第一人者というかそれを定着させちゃった佐野元春本人が、ほとんど英語を使ってない。使うにしても「グンナイト」とかさ、そういう日本語と言ってもいいような英語が殆どで。

コレも今考えてみれば、先駆けっていうかな? 最近じゃみなさん日本語で全部やるのが当たり前だもんね。

で、オレもそこにハタと気がつかされた訳です。
なので、その改めて音楽を目指してノルマを決めて描き始めた曲以降、オレも英語使ってません(笑)。
例え佐野さんが英語を混ぜることをやり始めても、オレはそこに拘ってます実は。
それが自分の中で定着してからは、選択肢としてあえて英語にするって事もやってるけどね。ちゃんと自分なりの理由づけがあって英語にしてる。
それ以外は英語にしちゃえばメロにもリズムにも乗るし、自分の描きたかったことが言えるって時でも、「そこにちゃんと収まる日本語」を探す作業をしている。コレが一番大きな影響だろうな。

あとはね、歌詞がある意味難解な部分があるっていうか、平たく言うと「何について言ってるのかわからない」歌詞っての? 現代詩みたいな感じね。抽象化というか象徴主義的というか。
なんちゅうんだろう? 「ここの言葉はどういう意味?」と問われても言語化して答えられない表現を言語でやってるって事なんだけど。
なので、言葉が意味ではないものを伝えてるのね。
書いた方は、説明できないけど「そう書くしかなかったもの」ってのが確実にあって、だからそう書いてるのよ。これが詩を書き慣れてない人がやろうとすると「この言葉はこういうことを言ってるんです」って説明できちゃう、いわば「隠喩」しか使えなかったりする。もちろん、それはそれで手法としてあるんだけど、それが書き続けていくと、このアルバムでは例えば「電気的なヴァレンタイン」とかさ「奇妙なフェスタに招待されてる孤独なペリカン」とかね。例えそれが「これはこういうことを表してるんです」って説明できたとしても、その説明よりも「電気的なヴァレンタイン」って言っちゃった方が的確に伝わってるみたいな。で、「電気的なヴァレンタイン」って何ですかって聞かれて何をどう説明してもどんどん自分の感じたものから離れてっちゃうから「電気的なヴァレンタインってことだよ」っていうしかないのね。

で、受け取る側もそれで何か意味じゃないところで伝わってるものがあるんだよね。少なくともオレはそうなんですよ。受け手側の想像力やら感性を刺激するというのかな。そういう意味でもこのアルバムにオレは相当エキサイトしたわけです。
ポップソングやロックの他に、詩も好きだったんでね。「これ、一緒にしちゃってよかったんだ」って。

そして、それをその後結成したバンドでやろうとして、内部から歩不評を買うという(笑)
うん、その時はその時なりの力量でやってたんで、「意味がわからない」とか言われると「意味を超えたいんだよ」とか「もっと深いところ行きたいんだよ」みたいな反発があったけど、要するにまだヘタクソだったんだよな(笑)

そういうのがあったしばらく後に、椎名林檎とか中村一義とか出てきて、若い人たちがはなっからそういう感性で作詞してたりして、で、それをちゃんと受け入れてる人たちがいて嬉しかったし、自分がやろうとしてた事も狙い自体は悪くなかったってのも分かったし、同時に悔しいというか「オレはここまでの感性はないな」みたいなアレもあったりなかったり…。

それで、弾き語りやるようになってから書いた曲ってのは、アレンジとかで空気を補強する事も出来ないし、ちょっとスタンス変えたんだけどさ、ここ数年、ちょこちょことそういう現代詩的なのもやってみてるんだけどね。自分としてはうまくなってると思うし気に入ってるんだけど、どうだろうね?

いや〜、長くなったな。

まぁ、そんな感じで【ナポレオンフィッシュと泳ぐ日】というアルバム一枚にどんだけ影響受けたかっていう自分の話をした訳ですが、最後にもう一つだけ。

このアルバムから受けた影響ってのは自分なりに消化してきたし、そっから変わってきてる部分もあるんだけど(オレは佐野元春じゃなくて、よりオレになる事を目指してるので当たり前だけど)、もう一個だけ目標にしている事がありまして。

それは最後に収録されている『二人の理由』に匹敵するオレなりの曲を書く事。

シンプルな構成で、現代詩のエッセンスでなおかつオーソドックスなサウンドで、究極のロマンチックなラブソングであり、神話的でもあり、哲学的でもあり、切なくもあり、希望がある。そして、歳取れば取るほど、おそらく作者の意図したもの以上に味わい深く響く。

そんな曲を書いてみたいんだけど、なかなかね。

それも真似じゃなくて、いかにもオレらしい曲として書きたいというこの欲深さ(笑)

佐野さんは、この曲を伝えるために、サビ以外は語りという手法を使っていて、それもこの曲の魅力ではあるのだけど、オレが目指すのは、全編メロディーに乗せて歌う事です。

近づいたり遠ざかったりしながら、いつかはきっと。














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