ライブの宣伝と、ナイアガラの人たちの意外だった語らい2018-08-20 Mon 23:38
ワタクシの久々のライブが今度の日曜日でございます。 なんだかんだとゴチャゴチャやっている内にあっという間に1ヶ月がすぎたので、全然久々な感じではないけど。 なんか台風が2つ重なってるらしいので天候が心配だが、一応「夏の終わりの恒例行事」でございますので、これで夏らしさを最後に満喫したいものです。 8/26(日) 【ふたりのピッグショー】 場所:円山夜想<マルヤマノクターン>(札幌 市中央区南1条西24丁目ヴィンテージビル地下) OPEN/18:30〜 START/19:00〜 料金:¥2500(1ドリンク付き) 出演: Tomomi / 辻正仁 ![]() んと、保育園での演奏会には参加したけど、自分のライブってやつを1ヶ月ほどお休みしてまして。 せっかくなので、あえて曲作りについて考えるのも意図的にやめてみようと思ってたんだが、気がつくと無意識的に脳内で作業しているな。 ん〜、まだ中学生の頃だったか、ギターを手にしてある程度のコードを抑えられるようになってからは(そもそも自分で曲を作りたくてギターを手にしたのだ。そのため、ギターの技術を取得する気持ちがなかった)、どうやって曲を作ればいいのかが分からなかったので、そりゃもう「作りたい」って気持ちだけでアレコレ考えてた。 そっから何かを見聞きしたり、感じたり考えたことがあると「それは曲に出来ないかな?」っていう部署に自動的にファイルが送られるような経路ができてしまったんだと思うのね。脳みその中で。 それが定着して何年か曲を書くってことをやってて、20代前半かな? 自分で「毎月10曲書く」という課題を設けて曲を書いていたことがあってね。 そりゃ同じような曲をいくつも書くし、書きなぐりみたいな、出来上がったは良いけど人様に披露できるようなもんでもないものも沢山書いたのだが、その時のテーマは「とにかく毎月10曲、数をこなす」ってことだった。使えるかどうかは後から考えりゃ良いって。 なんでそんな事を自分に課したのか今では記憶が曖昧なのだが…。 とにかくその作業を1年間やっている間に、どれだけ曲を書いてもまだノルマに達してないという状況になっているので「全然曲ができない! 何も思い浮かばない、俺の能力は枯渇しなんじゃないのか?」みたいな変な感覚が身についてしまった。 そんなアレコレを経由してきて、もうすっかり曲のことを考えるのが習慣化しちゃってるもんだから、困ったもんだ。 契約があるのでも、どこからか要請されているのでもないし、曲はもう随分とあるから早急に必要でもないんだけどね。 ほとんど症状といっても良い(笑)。強迫観念に近いかもね。 そして、どんなに考えても、結局は後々まで自分が人前で歌える曲っていうのは、考えた結果書き上げた曲ではなくて、そういう作業とは無関係にひょっこり出来上がる曲なんだから不思議だ。 でもね、効率は悪いけど、その「無関係にひょっこり現れる」というのは、何もしないで出てくるものではなくて、散々あーでもないこーでもないを繰り返してるから出てくるんだって、感覚的にはそういう感じがするのね。 ところで、曲作りと言えば、先日色々と物色している時に、いつの頃のかは分からないけど、大瀧詠一と山下達郎の対談みたいなものを見つけた。数分くらいの記録だけど。 とあるアーティストの曲作りに関してこの二人が称えているもので、そのアーティストの曲は大衆からの指示が根強く、また永続性があるって話でね。 その中でこの二人が「やっぱり、理詰めで音楽作ってもダメなんだよ。一時的には評判良くても、彼の曲のようには愛されない」みたいな話をしてて…。 なんか、個人的には論理的に考え抜いて音楽を作っているような印象のあるお二人からそういう発言があったのが意外であった。っていうか「こうでなきゃいかんのだ」みたいな狭量なところのない、懐の深さを感じた次第。 「83へぇ〜」くらいかな? …古くてすまん スポンサーサイト
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