海月屋・辻の日々

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暑さにのぼせて思い浮かんだこと


連日暑い。
と、言いながら、実はこれくらいの連日の暑さが好きだったりする。
この「暑い」と言いながらよく晴れた日を過ごしているのがなんとなく。

いや、さすがに札幌に暮らしているから言えることなんだろうけれどね。
年々湿度が上がっているというか、子供の頃にはなかった梅雨のような気候になったりしつつもあるんだが、多分それでも他所と比べれば過ごしやすい方だろう。

というのは前置きで。

先日ふと新しいコンピューターとかスマートフォン的なもののソフトウェアだのなんだのの紹介を見ていて新機能が紹介される度に頭をよぎったのが「そこまでしなくていいじゃん」っていうアレだった。

映像の解像度だの解析料だのとか、本当にすごい技術だと思うんだよね。
CGでも通常の画像処理でももう本当にすごいと思う。
あと、メッセージに動画を送信できるとか、アニメーションを加えたりするとか、ちょっと以前からやってるけど、昔で言うところの「テレビ電話」ってのかな? 映像込みで通信できたりするじゃん? 携帯電話で。あと、腕時計を連動させて時計で通信したりとか。
「ウルトラセブン」でやってたみたいなもんだよね。
その他諸々、子供の頃の漫画やSFに出てきたような、まさに夢のような技術だ。

今や、買い物やら交通機関の改札も携帯電話を翳せば処理できたり、その気になれば家の鍵や電気も携帯から操作できたりする。その内人間はスマホに住むようになるんだろう。

だが、どうだろう?
それで毎日が漫画やSFのように胸ときめくような生活かと言うと、そうでもない。

さっきの映像技術にしても、まぁ特撮映画とかのクォリティは高くなったんだろうが、子供の頃を考えてみると、もっとちゃっちいもので十分にドキドキしながら見ていたんではないかと。

今は多分、映像にしても通信機能にしても、その他、スマートフォンなどの通信機器やコンピューターの機能などは、たいていの人が「こういうことやれたらいいな」って思ってた、その想像のキャパシティをオーバーして提供されているんじゃないかと思う。そしてそれが年々更新されておるような。

一人の人間が求めるもの、必要とするもの以上のものが供給されていて、その技術に合わせて生活していかなきゃならんくなってるような気がするのね。なので、使えば確かに便利かもしれないが、思ってもいなかった機能に取り囲まれて対処しなきゃならんストレスも生まれるだろうなと。

これさ、昔打ち込みで音楽制作できる機械を手にした時も思ったんだ。
ものすごく機能がたくさんあって、自分が発想してなかった音楽が作れちゃったりするのよ。
なんか、機能とか音色とかたくさんあるから、それを駆使しなければならないような気がして、色々とやってみたんだけど、ひとつも気持ちよくない。むしろ気持ち悪い。
自分がどこにもないようなサウンドになっちゃうってか、「機械に振り回されてる感」があって、あとで聞き返しても胸踊るものがなかったんだよね。
それよりも少年時代に友達の家に集まって、雑誌とか空き缶を叩いてドラムがわりにして、ギターとかピアニカとか演奏して録音した拙い演奏の方がよっぽどエキサイティングでクリエイティブな空気を出してるなって発見があったりして。

ちょっと話がそれた。

まぁ、コンピューターにしろ何にしろ、便利さとか快適さを求めてどんどん発達していくのはいいんだが、一つの観点から見ると便利なことって、だいたい別なところで不便さというか「困ったこと」を生み出してるんだって事が経験上わかってくる。

例えばさ、携帯電話が普及した時って、そりゃ便利になったと思った。家にいなくても連絡取り合えるんだもん。移動中とかでも。そこにメール、ショートメールなんてものもできたから、相手が通信状態になくても用件を伝える事ができるし、受ける方も自分の都合に合わせて確認して返事できるから非常に連絡がしやすくなった訳だ。

だけどさ、そのせいで今度は「連絡はつくものだ」っていうのが前提で物事が進むから、処理しなければならない用件が増えた。仕事でもプライベートでも。携帯電話なくてなかった時代には、なくてもちゃんと回ってた世の中が、いつのまにか携帯電話を持っていないと生活に師匠が出る世の中になっていた。

出たくもない飲み会の誘いだって連絡付かなければ「知らなかったんですいませんね」で済んでたものが、断る言い訳考えたり、仕方ないから出席しなきゃならなくなったりとか、連絡付かないからまた明日にしようって感じで対処してた事も今日中に処理しなきゃならなくなったりとか…。そういうのが当たり前になってくるから、より短時間で効率よくってことが求められるようになるし、自分を常にその渦中に置くことになる。

連絡がつくという便利さが、面倒な諸々を生み出したよね。


同じように、この夏のように暑い日が続くと、昔は存在しなかった「冷房器機」というのが活躍する訳だが、これも度を過ぎて供給されているからね。冷房で体を壊すとかさ、どこもここも冷房つけるからたしかに室内は快適かも知らんが、その分の放熱で「ヒートアイランド現象」なるものが生じて、外はますます温度が上がる。

これも前から言ってることだけどさ、多分、人類が「道具」というものを使い始めた頃からそういうのがあったんだろうと思うのね。何かが便利になるに連れて、今までになかった不便や弊害も生まれてきたんだろうと。
そしてそこをどうにか便利にするものを生み出すとまた別の不便が生まれるというのが「文化の歴史」なのかもしれない。

そんで、技術開発というのは加速して多岐に渡って増殖しているもんだから不便や弊害も加速して多岐に渡って増殖している。

人間のせいだけではないにしても「地球温暖化」にもその影響はあるだろうし、効率よくコストをかけずに膨大な電力を供給する仕組みというのが、ちょっとした事故が起きると何世代にも渡って膨大な数の人間の健康というか生命や、環境に深刻な影響を及ぼすってのもその一つでしょう?

今は便利さとか効率の良さが過剰供給されてると思うのね。
多分、快適さと弊害のバランスみたいのがあって、そうすっと、実は結果的に処理しきれない弊害ってものに取り囲まれた生活になってるんじゃないのかなって。

最近よく言われてるのが、技術の発展に伴って、特にAIの台頭とかによって20年後には人の仕事がほとんどなくなるだろうって。

便利で快適な暮らしのために発達させた技術によって、失業して生活に困る人が増える世の中になるんじゃないかって話だと思うんだけど。

きっとね、ある時期までは技術的進歩だとか発展みたいなものが必要だったんだとは思うけど、今はもうちょっと違う方向を目指した方がいいんじゃないかなと思うのね。
そういうアレで人が幸せや豊かさを得ていた時代はとっくに終わっているんじゃなかろうか?

誰もが「便利で効率がいい」ってことと「豊かさ」は別問題だってことを体験していると思うのよ。
本来、なんのためだったか? ってことを考えると、みなさん本当に求めているのは「豊かさ」とか「幸福」とか「楽しい」とかそういう暮らしなんだと思うんだけど、どうでしょう?







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