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海月屋・辻正仁『短めでお願いします』

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夜に潜って

よく見かける「ポジティブ礼賛」みたいなお言葉って、どうも「ネガティブな事に囚われない、目を向けない」みたいな事を推奨してるきらいがあるが、アレはどーなんだろう? と、疑問に思う。

そこに「ネガティブ」であるというカテゴリーを設定しているところに既に「囚われ」が発生しているような気がするんだが…

ご存知のように、光があれば影が生まれるし、闇があるから相対的に光を光として認識できる訳です。
おそらく、この世界に闇がなく、まばゆいばかりの光に包まれたなら、オレの目は眩しさにやられてしまって何も見えなくなるだろう。
光と影のバランスというか、コントラストの中で物事やら自分やらを認識する世界に生まれた訳だし、その世界に都合の良い仕組みを纏ってくらしているのである。

きっと自分の心象やら周囲との関係から生まれる光でも闇でもこだわりなく受け止めて、存分に、そしてつつがなく生きているという状態が望ましいのではないかと…

ここまでは前置き。
ここから話は逸れる。


ごくたま〜にだけど、あまり喜ばしくはない事を思い出す事がある。
大抵の事は当時の感情とは切り離され、ある程度客観的に、まるで映画や小説のワンシーンでも回想するかのような感覚で思い出す程度なんだけど、幾つかの事柄は、思い出すとその時の感情が甦ったりする。

その中でも大きなものが(自分にとってはね。他のひとにとってはどーでもいいことだ)2つあって、考えてみるとその2つはほぼ同時期に起きたことだったりする。

もう随分前のことだけど。

どちらも当時、自分の言い分を飲み込んだ出来事。

よくわからないけど、その時は反論したいことや主張したいことを飲み込んで対処した自分に酔った部分もあったのかもしれないが、いまでもその時のわだかまったような気持ちがひょっこり現れるところからすると、意識してないまでも「おさまりがついてない」って部分があるんだろうな。そして、どんなに自分の収まりがついてなくても、当時そこに関わった人たちはもう忘れてしまってたり、すっかり収まりがついているんだろうとは思う(笑)。
今更蒸し返しても事態がよくなるわけでもないし、気持ちがおさまるるわけでもないだろう。
ってかそんのはただの自己満足。

要するに、自分の気持ちだけが無意味に空回ってるんだね。

そういうのに気づくと「オレも大したことのない奴だな〜」と思う。

で、そんな時にどうするかというと、そっから自分の気が逸れるまで、このどうしようもなくどうでもいい気持ちを味わうことにしている。

いっておくが、別にそのことで落ち込んだりとか機嫌が悪くなったりとか、引きずったりはしない。
大人なので(笑)

ただ、自分の中で収まってないものを、「ポジティブシンキング」とやらでなにもないフリを(自分に対して)してみせるのも健康的ではないというか、逆にどっか薄っぺらい安息しかないだろうと思っているのです。

というわけで、ちょっと潜ってみることがたまにある。

それはそれで意外と興味深い。

潜ってみたところで息継ぎが必要になれば浮かぶ訳だし、楽しみ方のひとつだったりする。






















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