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海月屋・辻正仁『短めでお願いします』

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信じていても信じないままでもそこに在るものに変わりはない(『神様の調べ』by自分)

ということで帰ってまいりました。

どこへ行ってたかと言うと

高野山

でございます。

まぁ、かねてから行けたらいいなと思っていた場所ではあったのだが、自慢じゃないがそんなご予算は持ち合わせておらず、それが行けることになったのね。
ん〜と、家族のご用事です。細かに説明するのもなんなので簡潔にすると「納骨」に行った訳でございます。身内の方々と行って来た。

つまり我が家は真言宗なのだけれど、それとは関係なく以前からちょっと宗教(というのは違和感あるんだけど、わかりやすいと思うので)的なものを色々と興味持っていく内に、空海さんの思想というのかな? もっと単純に発想でもいいんだけど。それに興味を持って、アレコレ調べたりしてたのね。
ひとことで言うと「神仏習合」をやった人と捉えているので。

もうちょい細かく言うと、若い頃に山に篭って修行してた頃に、おそらく山岳修験者とも関わりがあっただろうし、それまで日本では一部貴族とか身分の高い人たちの学問というか嗜みというかで非常にアカデミックな扱いだった仏教を庶民の救いへと浸透させるために神道との融合を試みた(そしてそれは無意識ながらも日本人の生活習慣や深層での価値観の基礎となるくらい成功してる)りしたってのがあってですね。
で、修験道と神道も微妙に関連しているし、それは元を正せばまだ神道なんて形になる前の、多分縄文の頃からあったであろう信仰というか、そういうカテゴライズさえ難しいくらい「生き方」ってか「存在の置き方」に関わっているものだと思うのね。

これはよく分かってないなりに自分でアレコレ興味の赴くまま調べたり考えたりした事のアレだけど。
で、多分空海さんはそれを体系的にとか理論を構築するのに仏教、真言密教を引っ張って来たとか、ブレンドさせた人なんであろうと。理屈よりも直感的に融合をさせようとしたんじゃないかと思うのよ。

いや、これが本題ではないのでものすごく大雑把な話しちゃったけど。つまりそういうのもあって空海さんには興味があって、高野山も行ってみたかったので、今回の用事はありがたい話であった。

で、初日は高野山まで行って宿坊に一泊。まぁこういう時期なんで空港も列車も現地も非常に空いており、下手に延期してみなさんの油断がある頃に出かけるよりも感染リスクは低かったと思う。なんせ泊めてもらった宿坊が我々以外全部キャンセルだったらしいし。

宿に着いて豪勢な精進料理をいただく。
「豪勢な精進料理」って言葉に矛盾があるような気もするが、要するに観光客に向けて精進料理ベースでの持てなしであろう。美味しかった。

で、翌日「奥の院」に行って骨を納めて来たんだが、以前、高千穂方面に行った時と並んでものすごい気に満ちてまして。あんなに幸福な気持ちで墓所を歩くなんてね。ん〜、もう観光名所としても成立しちゃってるからアレだけど、そうなる前はもっとすごかったんだろうな。

で、納骨が終わって身内は色々見て廻るって事だったので、オレはしばらくその気の中に居たくてこっから単独行動。
しばらく奥の院周辺を散策(ようするに墓場をだ)してから、この仏閣都市をプラプラと歩いて、反対側の総本山金剛峰寺まで。
どこもかしこも寺だらけの街にも飲食店もあれば警察、消防所、役場に郵便局など各種取り揃っておる。コンビニもあればスナックまであって、さすがに驚いた。

もうね、色々感じたことや考えたことはあるんだが、基礎知識としてどっから説明したらいいのかわからんので省略するよ。
で、「壇上伽藍」を見て、またそのちょっと横にすんごいパワフルな場所があったりしたんだけど、伽藍の中もすごかった。あれさ、険しい山の中にあんだけのものを作ったって事でも感心しちゃうけど、当時の、おそらくものすごい苦しみや痛みを抱えた庶民が救いを求めて山を登ってたどり着いてアレを見た時って、なんかJR、ゴンドラ、バスを乗り継いで「どれどれ」みたいな感覚で来た人間には感じられないくらいの圧倒的なものを感じただろうなと思う。
あれ、理屈でどうこう理解するもんじゃなくて言葉を超えて体で体験するための装置なんだろう。

ん〜、今まであんまり煌びやかな神殿とか宗教施設とか好きじゃなかったけど、絢爛豪華にすべき理由はそういうところにあるのかもね。他のものは全部質素だったし。

それから下山しまして、翌日に丹生都比売神社には行っときたかったんで、そのための宿を探して一泊。
いや、旅行って基本的に観光自体には興味ないしノープランが好きなのです。
なんで普段の生活と同じように時間気にしながら予定立ててあっち見たりこっち目指したりしたいのかと。別にそれが楽しい人はいていいと思うんだが、オレはちょっとそう言うのは好きではないのね。行った先の場所の空気を感じながら無為な時間を過ごすのが一番贅沢だと思っているので。

と言うことで、身内と別れてから丹生都比売神社にいくこと以外何も決めてなかったのが功を奏して、残り2泊の宿はどちらも事前に予約してたら倍以上の金額になるところに泊まって来た。
安普請のビジネスホテルよりも安い値段で、しかも部屋が空いてるからシングル料金でツインの広い部屋。大浴場貸切状態で、到着直後と夜中と朝に風呂入る。ビバ!行き当たりばったり。

丁度「紀ノ川」が流れてるあたりだったんで、ちと街並みを散策。
翌日も紀ノ川の川べりをのんびり散策。水がすごく綺麗で遠くの山が鏡のように反射していた。
それから丹生都比売神社へ。今度は小さなバスで山をどんどん登っていく。
この神社、簡単に言うと空海さんが高野山を拓くにあたってそこの山々に住まわれる神道の神様に許可をいただきにご挨拶に行った場所である。神仏習合の始まりと言われる場所。

HPとか見るとそれなりにど〜んとした構えで、結構広々とした場所で綺麗に整備されてるんだろうなと想像してたのね。きっと観光名所仕様になっちゃてるんだろうなと(それ、あんまり好みじゃないので)。
そしたらさ、全然違って嬉しかった。
朴訥としていてワイルドだった。
なんか山の中の農家とかがポツポツ点在してるような場所でさ。昔はそれなりに豪華になってたんだろうが、それがそのまま色褪せたりしてるような感じで。狭いし。
なんか観光地巡り好きな人だとがっかりするのかもしれないけど、オレなんかはグッときちゃう。
で、丁度両家合わせて10人程度での結婚式やっておりまして(考えてみれば平日の昼間だ)、なんかここを選んでこの人数(本当にお互いの家族だけみたいな。親戚とかいないと思う。新郎新婦の両親と兄弟の家族くらいまで)で慎ましくやるのって何かしらの思い入れがあるんだろうなとか思いつつ。

あ、それでこの神社の鳥居からお邪魔するときに出迎えてくれたのがトイプードルでして(笑)
オレが鳥居で頭を下げて、あげたときに突然目の前にいて、近づいたらゴロンと寝っ転がって腹出しちゃって。なんて無防備な。しょうがないから腹なでてやったら、休むと催促しやがる。
飼い主も見当たらない。多分近所の人とかが飼ってて、好き勝手に散歩させてるんだろう。つまり放し飼いだ。でもかわいいベストを着せてもらってた。

もうキリがないなと思って立ち上がったら、犬も起き上がってどっかへ行くのを見送ってたら、途中で立ち止まりこっちを振り返ってじっとしている。
近づいていくとまた駆け出して、また振り返って待ってる。

ということを何度か繰り返して、神社の横の空き地の中に来たらまた心地よい力を感じる場所でございまして。しばらく身を委ねてるうちに犬はいなくなってた。ここに連れて来たかったんだね。

んで境内の横には修験者の石碑と、梵字で真言が刻まれたでかい石版が野ざらしで立っておりまして。これにまたグッとくるわけです。修験道と神道と仏教が一箇所で交わってる。お互いがお互いに影響しあって融合してるってことね。野ざらしで。なんかよくわからない虫とか飛び回ってるし。なんて素敵な。

それから一応和歌山市に向けて列車に乗るんだけど、途中で二箇所くらい駅を降りて散策。
なんでもない、特に見るところもない田舎町なんだけどちょっとやまの麓辺りにいくと、ちっちゃくてボロボロの祠とかがありまして。ん〜、さっき書いた「絢爛豪華が苦手」ってのはですね、こう言うことなのね。壇上伽藍はいいとして、きらびやかな神社仏閣とかさ、結構時の権力とかそういう都合で、政治的な意味合いとかもあってそうなってるところがあると思うのですよ。
で、こういう見落としそうなくらいポツンとある祠とかって、そういうのナシでただ多分祠なんかできるもっと以前から、なにかその辺りに生きる人たちにとって神聖な場所というか大切にされて来た場所なわけで、シンプルにそんな気持ちだけを受け継いで今も密かにソレは在るってことでしょ? 信仰の最も原初の状態に近いんじゃないかと。

どこの何を見て来たんだかもわからないけど、こう言う感じでちゃんと行くべきところには行けるのです。これが旅の贅沢というやつではなかろうか?

そして、帰る日は雨だったんで足を延ばすのはやめて和歌山市内でのんびり。ちなみに、前日和歌山についた直後に入った店で、和歌山県で取れたしらすがふんだんに使われた「しらす丼」にありつく。豪華な料理とか好まないオレがちゃんと自分に見合った名産品にも出会えるんです。お店の方に勧められて、半分くらい食べてから、一緒についてたお吸い物を注ぐと「しらす茶漬け風」になってコレが最高だった。それで750円。ブラボー!行き当たりばったり。

で、その雨の和歌山でちょっといい感じのする喫茶店で昼食。これがまた安くてうまいしボリュームががっつりでご飯おかわり自由というオレのためのような日替わりランチ。
そして店主がバンドをやっているってことで、なんか盛り上がる。

あ〜、例によって写真はない。
熊本〜高千穂に行った時も書いたけど、オレの見たものは写真には映らないと思うので。
そして、高野山、丹生都比売神社のある天の里で本当に感じたことは文章にはならない(なので「グッと来た」みたいな表現になるのね)。
そういうのは多分、この先で歌にすることになるかもしれないが、もしかしたら熊本に行ったときに書いた『神様の調べ』を歌うときに何かが加味されるのかもね。なんかあの曲書いたから同じパターンで今回も一曲みたいな意識になるといかんので、これもまた無為に、行き当たりばったりで。

あ、旅先で一枚だけ写真を撮ったのがあったので、一応乗っけときます。
こういうところに行って来ました。

niutsuhime.jpg










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できる事だけを続けてくだけさ(『虹を追いかけて』by佐野元春) 〜 『ちょっとした40周年記念』のアレコレ⑧ 〜


アレですよ。
流石に40年曲書いて歌うなんて事をやっていると、演奏に於いての技術的な追及をしてこなかったという自負があり(笑)、特に専門的な教育を受けて来た訳でもない自分のようなものでも、誰かに何がしかの事を尋ねられたり意見を求められたりすると「それはこうなんじゃない?」くらいのことなら言えるようになっている。例え自分がそう出来ていなくともだ。割と自信たっぷりに言えたりしてる自分に密かに呆れる。

なんだろ? 若い人の演奏や歌、その人の書いた曲を聴くと「多分ここが欠点で、ここはきっと伸びてくんだろうな」とか「将来こんな感じに仕上がっていくだろうな」とか、歌ってる最中に「あ、今集中力切れたな」とか、バンドだったりすると「ここのベーシストはメンバー間で立場が弱いな」とか分かったりする事もある。そして大抵は当たっている。

それはまぁ、一応は長い間やってるから、音楽活動的にも経験して来たことが若い人よりも多い(多分、若い人たちは後輩が自分よりも実力も魅力も身につけて、自分がした事もないような経験をしながらはるか遠くまで羽ばたいていったという経験をしたこともないだろう。それも含めてだ)からだろうし、その間に身につけて来たものも捨てて来たもの、意図せずに置き忘れてきたもの、そうしたものの量が違うからってのもあるだろうし、もしかしたら音楽以外での経験も長く生きてる分嫌でも身につく訳だし、歳を取ってくると自ずと視点も変わってきたりするんで、そのせいもあるかも知れない。

そんなに大袈裟な意味はなくて、単純に睡眠時間も飲んだ水の量も若い人たちよりも多いのだ。もちろん、年齢に関係なく、誰だって他の人が経験した事ない経験をしているのだが、それはまた書き出すときりがないので省略するけど。

音楽活動に限っても、何より若い人たちよりも失敗して来た事、恥をかいた事の量が圧倒的に違うはず。
「オレは一体どうすればいいんだろう?」ってな事を考えてる時間の量もかなり違う。

もし、彼らに何か聞かれたり相談された事に対しての、こちらの回答やこちらのやってることが何か彼らのヒントになったり、多少なりとも説得力があるのだとすれば、きっとそれは失敗を失敗だと受け入れざるを得なかったり、恥を背負って行かざるを得なかったりしてきた中で、そこでそれなりに人前で何かを晒すこと、何かを投げかける事を続けてるからだろうし、「どうすればいいんだろう?」という、おそらく解消されることのない疑問について考え続けながらやってるからなんだろうと思ってみたりもする。

そこで何か役に立てることがあるんだとしたら、それは経験の量の問題で、自分が彼らより優れている訳ではないだろう。
ということで、聞かれればとりあえずは自分の経験(自分が若い頃年上の人たちは見当違いな事を偉そうに口出して来たなという経験も含めて)から意見は伝える。

聞かれなくても口を出したりする事もあるが、それは経験というよりも年齢のせいだ気にするな。

そんな事を考えていた今日この頃

本当は師匠のとこの生徒さん達の経験を積むためのライブ(以前にも書いたけど、定期的にやっている)のPAをやる予定だったのだが、最近の騒動を受けてライブ自体は中止となり、代わりに「歌に関する勉強会をやるけど来るか?」という連絡が来たので、何をやるのかわからなかったけど行きますと。で、師匠のレッスンスタジオへ。

向かっているつもりで乗る地下鉄を間違えており、新札幌に到着して慌てて引き返す。

ま、あれです。同期の生徒さん達で集まって、それぞれの歌唱、演奏、楽曲などを順に披露しながら他の方が感想を言うというものでした。んで、オレも調子よく偉そうな意見を述べて来た。
面白かった。

最近の若い人たちは真面目で素直なので、こっちが心配になるくらい非常に真剣に聞いてくれるのだが、最後に彼らにも伝えたんだけど、もうこっちはおっさんの感性や価値観で言ってるんである。それを全て真に受ける必要ななくて、こちらには理解できない、本人達の時代感覚や何に魅力を感じるのかって部分はあって然るべきなので、「それは違うんじゃないの?」と思ったら綺麗に忘れ去ってくれればいい。むしろ、「オッサンうるせぇよ、なにトンチンカンな事偉そうに言ってんだよ」くらいの気持ちは持っていてほしいなと本当に思っている。「あんたらの時代はそうだったかも知れないけど、自分はダサいと思うから、こういうやり方でやってくんだ!」みたいなものもモチベーションにすればいいと思う。

オレだって、おそらく師匠だって若い時はそうやってきたのだ。そう思ってやって失敗したらまたそれをどう解決するのかを考えればいい。その時にアテになるのはおそらく自分がこうやりたいとイメージする姿であって、オッサンのたわごとではない。そのたわ言の中に自分のイメージに近づくために使えそうなものがあるなら、そこだけ使えばいい。

大衆音楽って、そうやって続いていくものだと思うのよ。

彼らの曲とか演奏とか聴いて、その姿勢をみているとさ、みなさんオレにはできない事をやっていて、オレが持っていない魅力を持っていて、こっちが失くしてしまったり捨ててしまったものを持っていたりして、実はこちらの方が色々と勉強させてもらっていたりする。

多分、皆さんよりもオレの方が沢山駄作を生み出して来たし、沢山ステージに立っているので何が喜ばれて、何が失笑を買ったかも経験してるし、聴いてる音楽の量もずいぶん違うだろうから、そこで言えることはあるけど、あとは同じ立場なんだと思っている。
もっと言えば、今日初めて人前でやりますって人が、オレよりも聴いてる人たちに何か訴えるものがあったりするのが音楽なんだと思うのね。演奏の上手い下手ではなくて。

そんな方達の魅力を感じながら「じゃあ、これを持っていないオレはどうすればいいんだろう?」ってな事を考える訳です。結局、そこを考え続けることになる。

なんかこういう人たちと会う機会がなければ、多分「最近の若い奴らはダメだ」とかぐちゃぐちゃ言いながら閉鎖的な音楽やってたんだろうなとか時々思う。あの自分が「何言ってるんだオッサンが」と思ってたようなオッサンになってただろうと。
それは嫌なので、こういうのはとても勉強になります。

でさ、オレが何か言ったとか、そういう意識もなかったんだけどオレのやってることから何かを感じ取ってくれてた人たちとかがそんなに多くはないにしてもいる訳で。

例えば昔、ラジオかなんかに飛び入りしてギター弾き語りで歌ってたのを見てたボーカル専門だった男の子がギター手に入れて弾き語りやり出したりとか、色々と方向性みたいなアレで悩んでる奴に「こういうの聴いてみたら」って紹介したCDの事を10年以上経っても覚えてて、久しぶりに会った時に「いまだに聴いてますよ」なんて言ってくれたりとかね。

この前は、まだオレがCD屋さんに勤めてた時にメジャーデビューした事のあるシンガーソングライターとSNS上で再開したのだけれど、そのメジャーでなかなか売れてない時期に、彼が市内のあちこちの店の店頭で歌ってCDを買ってもらうってのに帯同したりしてたんだよね。まぁ、こっちは実は公休日だったりしたんで半分は個人的にサポートするつもりで、アチコチ回って彼が歌い終わるとCD売ったりして…

で、その頃丁度オレは自主制作でCD作ったばかりだったかな? で、彼に渡して、その後もチョコチョコとお付き合いがあって、オレが会社辞めた後にやってたラジオ番組に来てくれたりとかもあったんだけど、まだ当時は自主制作での音楽活動なんてのも今ほど認知されてなかったしさ。彼にとってはそれまで「食い扶持のために別な仕事しながら音楽活動する」ってのが選択肢になかったみたいなんだよね。

で、久しぶりの再会した彼は、もうメジャー契約ではないし、結婚して子供もいて会社員やってるんだけど、バンド活動しておった。
曰く「今自分がやってるのは、辻さんが仕事しながら活動してるのの影響が大きいと思います」って書いてくれていた。オレだって本当は仕事しないで音楽だけやってたいんですけど、とは思うけどね(笑)

ん〜後は今や全国規模で活躍している高井麻奈由ちゃんとかね。もう本当はオレに構ってる場合でもないだろうに(笑)、ことある後に「辻さんは私にライブでの大切な事を教えてくれた人です」って紹介してくれるのね。この前、突発的にインスタライブやった時もそうやって紹介してくれて、いやこっちはステージで浮かれてただけだと思うんでアレなんですけど、まぁ嬉しいやらありがたいやら、気恥ずかしいやら。

という、自慢話がずいぶん増えたなって思うのです。

うん、あの、オレは特に誰かを見習ってこういうふうにやって来た訳ではなくて(もちろん、素晴らしい音楽人からこっそりいただいたものは沢山あるんだが)、基本的に好きでやってて身につけたとか、他にやりようがないからこうして来たとか、誰かを見て「あぁなりたくないな」と思ってこうなっちゃいましたとかって事で、特に必死にやってきたつもりもないんだけどね、だから正解かどうかも自分ではわからないし、都度やれる事を楽しんできたってだけなんだけど、一つ言えるとすれば、オレの憧れたとか参考にした人たちって、ほぼ海外の、そしてわずかに国内のメジャーで活躍してる人たち(なんせまだアマチュア界隈にそんなに活動し続けてる人がいないというか、いても活動形態がちょっと違ってたし)なんだけどさ。
確かに、若い頃はその憧れの人そのものになりたいと思ってやってた時期もあったけど、次第に自分がその人達の何に惹かれてるのかって事が分かってくると、それはその人たちが先人のやり方や主義主張を辿ってる訳ではなく、そこから影響されたものはあるにせよ、その上で「自分はこのやり方でやる」って事を認められようが批判されようがやり続けてた人たちというのかな? まぁわかりやすいところで言えば、ビートルズでもサザンでもデビュー当時は「あんなの音楽じゃない」とか言われてたりとかさ、そういう事ね。
「こうあるべきだ」を「でも自分はこうやりたいんだ」って進んじゃった人たち。

「オレは好きにやった。おまえはどうだ?」って言われたような。音楽的なスタイルがどうだとかなんだってことよりも「自分はこうだ」が勝っちゃった人たちのその姿勢を真似たいと思ってやって来たんじゃないかなと思う。だから「自分はどうすればいい?」って考え続けるというか、まぁ、考えすぎて考えてないに等しい状態にまでなるというか。

うん、これって真似なんだけど、真似したら真似にならないというね、禅問答みたいなアレですが。
誰かが通過した道を眺めながらもそこを辿らないという伝統を受け継ぐという感じなので。

話が支離滅裂になってきたが、だから正解とかなんかは分からないで、ましてやメジャーにならずに(というかなれずに)やってく方法が確立されてないうちにアマチュアを続けてきた世代なんで、師匠のとこに意見を伝えろと呼んでもらったり、だれかがオレのやってる事を見て何がしかを参考にしてくれてたりするとさ、そこでようやく自信をつけさせてもらえるというか、好きでやって来たことが多少は誰かの何かの足しにはなってたり刺激になれたりしてるんだってのが伝えられたような気がして、ありがたいです。

実はこの前、食い扶持稼ぐ方の仕事でちょっと表彰みたいなことされたり、ほかにもちょこちょこあるんだけどさ。
それはそれで嬉しいけど、ぶっちゃけそれよりも、「もっとこういう曲もやってみたら」とかに真剣に耳を傾けてくれたりとか「辻さんがステージでこうやってるの見て…」みたいな事を誰かから言ってもらったりする方がはるかに嬉しいよね。
仕事ってやることが決まっててそれを踏まえての話だけど、音楽活動に関しては「自分はこうです」ってことが誰かに何かを提供してるんだから、嬉しい通り越して幸福だもの。

長いことやってて良かったなとしみじみする。

さて、ワタクシ今週はちょっと雲隠れします。
連絡はつくけどSNSだなんだは離れるし、緊急性のない連絡の返事は来週以降にさせていただきますのでご了承を。

さしあたって、ライブのお知らせだけしときます。

ごきげんよう

4/1 フライアーパーク(豊平区平岸4条7丁目)
OPEN/20:00 START/20:30
¥2000(1ドリンク付)
出演:KaRaSu / 高橋麻衣子 / 辻正仁

・4/9 円山夜想

・5/5 円山夜想


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優秀な後輩の皆様に教えてもらったりなんだり。

ochoyo.jpeg


はい、昨日の【おちよ。企画~LOCUS Vol.5】
ご来場の皆様、関係各位、ありがとうございました。

なにより、この企画に誘ってくれたおちよ。ちゃん、ありがとう。
以前にも書いたが、なかなか音楽人のだれかの企画にお誘いいただくことが多くないのでこういうの嬉しいんだよね。

そして、おちよ。ちゃんは働きながらも大学生もやってたんだが無事卒業ということで。本当は今日が卒業式だったそうなんだが、例のアレで式が中止になったそうで、昨日のライブが卒業式の代わりみたいな…。

彼女は今回初めてピアニストの田中K助のサポートが入るってことでかなり緊張してたらしいが、なんか数多くのサポートをこなすK助なんだけど、オレが聴いた中ではおちよ。ちゃんの曲は1、2を争うくらいのハマりっぷりだった。
ここまで隙間を聴かせるK助ってのもなかなかなかったし。

あ、その田中K助はちょっと先だけどオレのサポートもやってくれる予定です。詳細はまたいずれ。

そしてナイトキャップはご一緒するのは初めてだったんだけど、ギターのあらちゃんは昔から知ってまして、多分7、8年ぶりくらいの再会。
ボーカル亜優美ちゃんはホワ〜っとした子で、面白かった。なんかもう天然が行きすぎてシュールさを醸し出していて唯一無二かもしれない。

そして、今回は久々にトップバッターとなったワタクシはですね、ちょっとリハが押しまくったので、開場後にリハをやりまして。お客様に聴いていただくと(笑)。
いや、出番がトップでなければ別に時間ないならないでリハはやらなくても良かったんだが、せっかくの機会なんで(リハと本番でやってる曲違うし)、普段オレがどんなリハやってるかを楽しんでいただいた。
ある意味、連続2ステージみたいな(笑)

そして本番はこのような

〜 セットリスト 〜

楽な気分で
一緒に泣こうか
HappyBirthday!
どこまでゆけるかな?
君に愛を
上を向いて歩こう(坂本九カバー)

というね。
全編通して手拍子をいただく曲でまとめてみました。
いや、会場に来るまでは実はしっとりした感じで淡々とやるつもりだったんだけど、なぜかFOLKIEに足を踏み入れた途端になんだか楽しくてしょうがない気分になっちゃいまして。
そんでリハでネタ的なことで遊んでたのも手伝って、まったく当初の思惑と真逆の展開に。
こういうのはね、やっぱりその時その場の会場とかお客様の空気みたいなものを感じながらじゃないと起こりえないアレなんで、自分自身改めてライブっていうものを愛じわった気がする。

途中で入ってきたお客様が昨日誕生日だっていうんで「じゃあ、これをやろう」とかね。

あと気がついたら最後にカバー曲っていう、非常に珍しいパターンだな。なんか歌いたくなったんだよね。

そういうさ、事前の企てじゃないところでの自分の反応で自分が自分を発見してくみたいな。

そんで終演後に、他の場所で配信ライブにご出演だった高井麻奈由ちゃんが、次回のFOLKIEライブの打ち合わせのためにやって来まして。

んと、ちょっと最近、リアルタイムでのライブ配信ってのがちょっと気になっててね。
何年か前にやろうとしたけど諸事情で一旦保留にしてさ、そっからあんまり関与してなかったんだけど。
で、再びモヤ〜っと考え始めた矢先に、昨今の状況から配信でライブをお届けすることが結構盛んになってたりとかしてね。
こちらが手付かずでいた数年の間に色々な配信方法も登場してるし。

んで、今回のライブもナイトキャップさん側で配信してたみたいだし。
そして麻奈由ちゃんも最近いろいろ考えて配信にトライしてるし、ちょっと「どんな感じなの?」って聞いてみたら「試しにやってみせる」って事で、彼女のインスタで配信をやり始めていきなりワタクシ登場となり、「あなただけのスター」を熱唱(笑)。高井麻奈由のインスタフォロワーの皆様、大変失礼しました。

あと、K助もその辺の情報持ってるしさ。2人から色々教えてもらっって、試しに「ツイキャス」ってやつをその場で登録して配信してみた(笑)。ライブ後のテンションと、初めてやってみるってののアレでハイになってまして、ご覧の方から「辻さん酔っ払ってるんですか?」みたいなコメントきたんだけどね。ジンジャーエールでやらせていただいてます(笑)。

ん〜なんかね、ちょっと考え始めたらこういう流れになりまして、これはオレに「配信やってみなさいよ」って事なんだろうなと感じている次第。
ちょっとまだいろいろよくわからないけど、その内ちょこちょことその「ツイキャス」ってやつでなんか他愛もないこと流したりすると思うので、よろしく。

で、そんなこんなやってる内にK助は御帰りになりまして、麻奈由ちゃんは打ち合わせがひと段落ついたようで、ものすごく久しぶりに2人でゆっくり話をした。
というか、オレ8:麻奈由2みたいな割合で(笑)。まぁオレの話に付き合ってくれたんだね。ありがとう。

で、今日は彼女のライブのPAだったんだけどね。
「久しぶりに話せて楽しかったです」って。

ホント、出来た子だよ。

誘ってくれたおちよ。ちゃんと言い、麻奈由ちゃんといい、後輩に支えていただくタイプでございます(笑)

そんなワタクシの次回のライブはこちら
   ↓
4/1 フライアーパーク(豊平区平岸4条7丁目)
OPEN/20:00 START/20:30
¥2000(1ドリンク付)
出演:KaRaSu / 高橋麻衣子 / 辻正仁


その前に来週はちょっと雲隠れの予定。


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3月11日【まとまらないままだけど、この日に書き記しておきたかった】



さて、どっから話しましょう?

ずーっっと色々な事を考えてまして。
まったくまとまらない(笑)

まとまらないし、わからないこと多いのだが、とりあえず書き始める。

え〜と、書き始めると書いて以降、本当に書き始めて書き続けて3時間以上経過したところで書いたものを全部消しました(笑)。
あまりにもまとまりないもんで。

ん〜、なんというか
この状況下でライブをやってるとですね。自分自身に言われたことはまだないんだけど、やっぱり知り合いの音楽人とか色々言われるらしいってのはチラチラ耳に入ってくる。
おそらくライブをやる会場だってそういうのはあるだろうし、いろんな世間の意見とか見聞きすると、そういう界隈の経済事情とか生活のこととか全然理解されてないし、偏見もあるのだなという感じがする。

報道のされ方とかもそうだしね。

正直な話をすると、自分自身も毎回平然とライブに出ている訳ではない。
自分の考え方とは別に、毎回世間の風潮みたいなものに多少は揺れるし、自分のやり方考え方が絶対的な正しさを持ってるとは思ってないし、だから何かあったら自分はどうするんだろう?
みたいな自問自答は繰り返してる。

でもそれは細かに書いていってもしょうがないのでやめとくけど。

ウイルスだろうとビートルズだろうと、新しく登場した時にはものすごく警戒され注目される。
それまでも同じようなものがあったし今も存在しているにしても、それがどの程度感染しているかとか、実際に感染していようが特に不安にも思わず生活していたのに、それが新しくてよくわからないものだと注目されて不安を掻き立てられる。

その不安の矛先は、理屈で考えたら責められるべきではないところを責め(それが根本的な問題の何を解決するのか?)、偏見を増幅させていく。

営業しなければ明日の生活もままならないライブハウスの店主が「みんなのことを考えてない」と言われても、「トイレットペーパー奪い合うような世間に言われたくない」とか思っちゃうかもしれない。
「ライブハウスは感染の温床だ」と全てのライブハウスをそういう扱いしてる人が、海外で「日本人はコロナを持ってる」と偏見の目で見られることに憤慨したり傷ついたりしてるかもしれない。

音楽人の中にも「今は活動を控えるべき」と考えて出演を辞退する人もいるし、本人は出るつもりでも周囲や家族に重篤になる可能性の者がいることに配慮してキャンセルしたり、あるいは周囲に説得や懇願されて取りやめにする人もいるだろう。
ライブスポットだって、状況を鑑みて営業を休むところもあれば、「万が一自分の店で感染者が出たら」ということに怯えながらも、明日の生活のために営業を続けるところだってあるだろうし、演者の中にもそういうものはいる。
もしかしたら「別に大したことじゃない」とか「どうせ自分は大丈夫」みたいなことを思って続けてる者もいるかもしれない。もしかしたらね。

そして、これももしかしたら出演を自粛してる演者に対してよく思わない演者がいたり、逆に活動を続ける演者に批判的なことを言う演者や関係者がいたりするかもしれない。

「新しくてよくわからないもの」に対して、人それぞれの捉え方や事情がある。
ちなみに、自分自身は勿論気をつけるべきだが、ワクチンや治療方法があるにも関わらずこれまで国内で年間3000人前後の死者を出しているインフルエンザが存在してきた生活とそんなに変える必要はないのではないかと思っている。インフルエンザは至る所で感染は起きていて、感染したとしてもそんなに騒ぐ人はいなかった。

今年は新型コロナの影響で予防が徹底しているから、インフルの感染者も相当減るだろうと思う。それが今回の騒動の良かった点じゃないかなと思っている。
これによって予防に対する自分の意識は高まったので、それはいいことだと思う。
それを続けていこうと。
でも「新たな未知なもの」という事を闇雲に不安がるのは避けたいなと思う。

ま、自分の考えが唯一の正解だと言うつもりもないし、それを「こうあるべきだ」と言うつもりもないのでそれはこの辺で。

わかってきた範囲で、重篤になる可能性のある方に感染させないようにという配慮は必要だとは思うけれど、重篤の可能性のある知り合いの中にも色々いらっしゃって
「あんたらには大した事なくても、こっちは可能性あるんだからアンタの意識の低さで殺されるかもしれないんだよ」
的な発言をしている人もいれば
「自粛ではなく今まで通り自衛をすれば良いので、そんなに騒ぐ問題じゃない」
的な考えの方もいる。

自分の周囲だけでも同じような立場でも、さまざまな考えや事情がある。

一つだけ訴えたい事があるとすれば、「なぜ今回はこれほど自分が不安なのか」を考えてみてほしいなと。一人一人答えも根拠もきっと違うと思うけれど、ウイルスそのものが(例えば今まで平気で暮らしていたインフルと比較してとか)どうしてこんなに警戒すべきものなのか? とかね。
中にはやはり「なんだかわからないけど感染が怖いから」という方もいるだろう。
あのマスクの売れ行きを見るとそんな気がする。

色々調べると、情報もどれが根拠や裏付けがあってのものなんだかわからないもので溢れている。
同じようなデータを引き合いに出して「だからこんなに恐ろしい」もあれば「だからそこまで騒ぐ必要ない」という主張をしているものもある。
今回の騒動での政治的な対応とか、報道のあり方に賛同したり批判的だったりもある。

で、肝心のウイルスの危険性がどの程度なのかとかがよくわからない。多分まだわかってない事があるのだろうが、わからないままに不安要素だけが取り上げられてるように感じる。
どれだけの人が感染したのかは報道しても、そのうちのどれだけの人が治ったかはあまり紹介されてないようにも思う。

中には政府だとか、もっと得体の知れない世界的な陰謀論を語る人もいる。
状況を当てはめてそっちの解釈で語っているので、それなりに筋は通っていたりもする。

どれもが、ウイルスそのものよりも、不安や猜疑心によって生まれている騒動に思えてしまうのです。

「検査を拒んで感染者を少なく見せようとしてる」とか「何かの陰謀が行われてる」とか
ん〜それで不安になるのはわかるのだが、検査しなければ感染してるのがわからない(発症してない状態)の数がもっと多くいるのなら、ウイルスそのものの危険度はもっと低いってことだからそんなに不安になる必要がないんじゃないだろうか?
そして、このウイルスを使って何かの陰謀を働くと言うなら、人間を絶滅させるとかにしては致死率が低すぎるし、おそらく不安や恐怖を煽ったり、営業できなくなくなると死活問題になる低所得者の生活を抜き差しならないものにして、民衆をコントロールしようって使い方なんだろうから、不安になってはまずい。

誰かが何かを主張するたびに批判が起きるし、「そんなのはデマだ」と言って、また別の主張が拡散される。それを見た人が何の裏付けもなく信用したり罵ったりする。
議論は主に感情のぶつかり合いになる。

不安と猜疑心と苛立ちと怒り

前にも書いたが、ウイルスよりもよっぽど感染率も感染速度も感染範囲も大きい。
それが蔓延している。そっちのほうが恐ろしいのは自分だけだろうか?
そっちの方を防ぐべきだと考えるのは自分だけだろうか?

「今はみんなで感染を乗り切ろう」
というのはわかるが、そう言って早くから列を作ってマスクを買い漁る、下手すると転売する人たちまでいる。挙げ句の果てにデマに乗ってトイレットペーパーやティッシュなどを奪い合ってでも買い占める(そんな騒動で接触感染が起きないだろうか? と思うが不安に感染してるので優先順位が変わるのだろう)、中にはデマだと知っているが店頭で品薄になるので買い占めとこうという人もいるようだ。
いろんなことに気をつけながらもライブハウスを営業して感染者を出してしまった場合と、トイレットペーパーの奪い合いで感染してしまうのとどっちがどうと比較するもんでもない(多分、店頭での接触感染ってことで報道されることはないだろうし)かもしれないが、「今はみんなで感染を乗り切ろう」とはどういうことなのか考えてしまう。

マスクもね、「感染しないための予防よりも、咳などの症状がある人が感染拡大を防ぐためにつけた方が効果がある」というのは本当だと思うんだよね。予防効果がないとは思わないけど。
それはインフルの流行の時も随分前から言われてたことだし。
でも今それを言うと、「デマだ」とか言われたりするよね。感染したくない人はおそらくマスクをすることで多少の不安は払拭できるだろうし。だからあんだけ列を作って感染の恐れのある人混みの中に入ってマスクを買うんだよね。それがあれば安心だから。

そうやって店頭からマスクが消えて、感染しちゃって咳き込んでる人がマスクできずに感染を広めることになるかもしれない。
「今はみんなで感染を乗り切ろう」
症状が出た人がすぐコンビニとか行ってマスクを手に入れられる状態にすることもその一つなのではないかと思うのです。

「周りが幸せじゃない限り、自分も幸せにはなれない」
とは昔から言われてることだけど
「周りが健康じゃない限り、自分も健康になれない」
という事も考えてもいいのかも知れない。

マスクは今症状が出てる人に行き渡るように
トイレットペーパーは今うんこが出そうな人に行き渡るように
そうしたほうが、誰もがちょっとずつ不安を減らせる気がする。

不安、猜疑心、怒りの感染

さっきも書いたように、自分自身は自分なりに色々調べた範囲で、「注意は必要だがその上で生活するなら日常通りで良い」という考えでいる。
でも、だからと言って、今回のことで不安に駆られてとにかく自粛してマスクしてうがいしてという方に対して、「こちら側の正論」を主張するつもりはない。
不安な方は理屈がどうであれ不安なのだと思う。
そういう方は理路整然とデータを並べて、「インフルでの死亡者が年間3000人以上出ているここ何年間も、普通に生活してたでしょ?」とか言っても不快な思いをさせてしまうだけで、それは自分の本意ではない。
おそらくこういう書き方をしてるだけで、言葉尻や表現の仕方を捉えて気分を害したり、反論しようとする方もいると思います。それは申し訳ないけど、本意ではないです。ただ文章力がないためにうまくアナタに伝えられてないのだと思います。

自分にも身に覚えがあるのだが、自分が不安に思って気に病んでいることを軽く扱われると、それだけで不快になるものなんだと思うのです。
それは、自分が大切にしていることをバカにされた時と似たような心理かもしれない。
自分の友達がバカにされて怒りを覚えるとか、大切にしてたレコードを勝手に聴かれてぞんざいに扱われたとか…
自分の心の中に大きな存在となっているものを軽視されればそういう気分になるものだと思う。不安もきっとそうなんでしょう。

そういう方たちが、ライブハウスなんかで楽しく盛り上がった上に感染して発症したなんて話を聞くと、「それ見たことか」と敵対視するのは心理としてはわかるような気がするのです。
「大事なジャケットにふざけてジュースをぶちまけたお前の大事なプラモデルを壊してやる」みたいな…。あんまり適切な例えじゃないけど。

そこで非難を浴びた方も腹が立って、あるいは傷ついて反論する。
もしくはプラモデルを壊されるのを見てた友達が「あいつはふざけてたわけじゃない」みたいなこと言ってまた攻撃する。
その光景を見てた通りすがりの方もその不穏な空気に不安や苛立ちを感じる。

どちらも不安や怒りに感染して発症してるんじゃないだろうか?

どんな考えや事情や生活環境にあってもウイルスに感染する可能性はあるし、その反応で不安や怒り、苛立ちはもっと素早く感染していく。
特に、自粛要請が出たり、行動が制限される閉塞した中ではこういう気分の感染は早く、症状が発生しやすい。
密閉空間でウイルスの感染が活発になるの以上だという気がします。

今までのことを振り返っても、おそらく今後も新しくて未知のウイルスは何年かおきに登場してくるだろうし、既知のウイルスも姿を変えてこれまでのワクチンや治療が通用しなくなったりすると思います。ウイルスってそういうものだから。
人間が対処法を見つけると、それに応じてその対処法では効果がない特性を身につけるのがウイルスなんじゃないかと。強力に防御されればさらに強力になる。
人間だってそうやって進化してきたわけだし。
寒波に苛まれたら、防寒着や暖房設備を充実させたりとか。

そして、ヒトは新しくて未知なものには警戒するし不安を持つ。あるいは過去のものがどうであったかを置いておいて注目して飛びつく。良いものも悪いものも、関心は新しくて未知なものに注がれる。
ウイルスからビートルズまで。

昔「泳げ!たいやきくん」という歌が流行った時に、全国のたい焼き屋さんに長蛇の列ができて、誰もかれもがたい焼きを買って食べていた。中にはそんなブームに批判的な人もいた。
おそらく、ブームの時は店舗が増えて、ブームが去って潰れた店もたくさんあるだろうが、誰も気にしない。
店舗も売り上げも減ったとはいえ、多分その当時とたい焼きの基本的な形状も味の特報も食べた時の感触もそんなには変わってないだろう。何年か前に注目された新型インフルエンザと同じように。
たい焼き自体は当時と変わってないのに、今世間はたい焼きに注目したりしない。どこかの地方のたい焼き屋がちょっとした人気になっていたとしても全国の皆さんにとっては存在しないも同じだったりするだろう。
今世間はタピオカに注目しているのだから。
タピオカの新しい店ができたといえばTVや雑誌で紹介され、どれだけ美味しいのかが伝えられたり、ここの店はこんなメニューができたとかで話題沸騰である。地方に小さな店舗がオープンしたことが全国的に注目されたりする。そのブームをバカにする人もいれば、バカにする人に怒る人もいる。その時に「たい焼きの今はこうなんですよ」とか「たい焼きにもこんな騒ぎがありましてね」という説明をされたりタピオカと比較されても誰も関心がない。そんなことよりタピオカの話題に注目したいのだ。だからTVや雑誌でたい焼きを紹介するスペースは用意されない。

きっと何年かしてタピオカは味も姿も変わってないのに、別の新しいスイーツかなんかが注目されてたりするんだろう。その時、タピオカのことを気にしてる人はそう多くはないだろうし、情報も少ないだろうしそれを見てる人も少ない。見る人が少ないなら報道もされないだろう。

たい焼きやタピオカならばなんとなく可愛げがあったり楽しかったりするし本当に「大したことじゃない気もする。だが対象がなんであっても、注目される風潮や、そして論争が起きるようなそういう共通の気分はあちこちに蔓延する。

これまたいい例えじゃないと自覚はしてるけれど

これからも繰り返し起きる「新しい未知のウイルス」に対して、毎回こんなに不安になったりそれぞれの考えや事情を持った人たちがいがみ合ったりしながら反応していくのだろうか?

ちょっとそれは嫌だなと思うのです。

それよりは、対象は変わっても、同じような心理状態になり、それが感染していくことを解決する方法を考えたいなと。そういう感染を防ぐ方法を身につけてそれを感染させられないものかと。
この先何が来ても「周囲の幸せと自分の幸せ」のちょうどいいバランスを保てるように。
自分はそっちの方に関心があったりしますというお話でした。

考えてもキリがないのだろうし、正解なんてわからないんだろうけど、でも考えることはやめない。「これでいいんだろうか」と「これでいいじゃん」を両方持って、世間を伺い、自分を伺い続けるんだろうね。

結局まとまってません(笑)

お大事にどうぞ


























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抗いもせず、諂いもせず

昨夜の【500L】ご来場の皆様、今回はいつもに増してありがとうございます。
そして出演関係者一同、いつもに増してお疲れ様でした。

なんちゅうかね
こういう時期とかなんとかということ抜きで今回の開催にあたりましてはちょっとしたアレがありまして、まったく別件での緊急事態宣言が…

そんな中、まぁワタクシはそもそも出れるときは出るつもりなんでアレなんだが、急遽出演決定となった市沢光英、田高健太郎両氏は本当に色々と負担をかけたのではないかと思う。物理的にも気持ち的にもいろいろと事情があったと思うのだけれど、引き受けたってことに対する心意気みたいなものを感じさせていただきました。
ありがとう。

結果として、今回この暑苦しい三組(笑)でやれたというのはとても良かったんじゃないかと思う。

ってかね

かしこまらずにぶっちゃけた話をすると、多分、今回はオレが一番自分のためになったいろんな意味で。
いや、もうなんちゅうかこれほど凛とした気分でステージに立ったのは久しぶりだったような気がする。

出番が最後でね。
先の若い(すくなくともオレよりは)2人の、あんまり言っちゃいけないのかもしれないけどいろんな事にあがいている背景があるなかでそれぞれの「ひたむき」というか「ひたすら」な姿勢を感じさせてもらってね。
やっぱりそれって、年齢的なもんなのか自分がこういう人間だからなのかは知らんけど、「かつては自分もそうだったかもしれないけど、いつの間にかそうではなくなって二度とそこにはなれない姿」なワケでして。
それが良いとも悪いとも思わないけど、事実として。いまでも自分が同じようであってもいけない気もするし。

そのパワーみたいなもんが作った空気の中に出て行って、それをおっさんがダメにしてしまうワケにもいかんしさ。
こう「コイツラにケツを煽られてる」みたいなものを感じながら出て行ってステージをやるというのが刺激的だった。
そして、知らず知らずのうちに力んでいたらしく、後半で喉が飛びかけていた(笑)。それも含めて気分が良い。

〜 セットリスト 〜

素敵な君の歌
StrikeBackOver50s
満月の夕(HEATWAVE カバー)
どこまでゆけるかな?
君に愛を
座右の銘
帰り道

そしてアンコールは店長の本間健二も交えて全員で『ウキウキライフ』を。

500L20200307.jpg



終わってからも珍しく関係者全員で結構深い時間まで話し込んだ。

そこでもね、イッチーとけんちゃんはオッサンを立ててくれるような事を言ってくれたり、こっちが偉そうに語る事を素直に熱心に聞いてくれて、非常に気分良く過ごす(笑)。

うん、前々から言ってるように今年は特別な企画とかやるわけではないけど、自分の『ちょっとした40周年記念』というテーマで過ごしてみようと思ってやっちょるワケですが、そうやってると事あるごとにちゃんとそういうテーマに応じたなにがしかを受け取れるものなんだなというのを、ことごとく感じる。昨夜もそんなアレだった。

どうもありがとう。

さて、次回のライブはもう今週の土曜日でございます。

おちよ。企画

3/14 FOLKIE(札幌市中央区南6条西3丁目ニューオリンピアビル8F)
【おちよ。企画~LOCUS Vol.5】
OPEN/19:00 START/19:30
¥2000(1ドリンク付)
出演:辻正仁 / ナイトキャップ / おちよ。

(ご予約は、辻アカウントのTwitterDM、Facebookメッセンジャーにお名前と人数を。
または、kurageyagarden@gmail.comまで件名を「3/14予約」とし、本文にお名前と人数を記入して送信ください。)






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いい塩梅

北海道は『緊急事態宣言』なるものが発動された。
ちょうど散髪しに行って、柳本さんから「今知事が会見してるわ〜」って言われまして。

最初「戒厳令」的なものかと思ったら「自粛要請の強めなやつ」と言った程度…。
どこをどう調べても
「空港閉鎖」とか「外出禁止」とか「やむを得ない場合は申請必要」とかない。
ついでに言えば飲食店とか遊興施設などこういう時に真っ先に経済状況が悪化するところなんかへの救済措置とかもなんかイマイチはっきりしない。そこに従事している方にとっては、そこが職場で、仕事に行ってるんだけどね。

まぁ、緊急事案だから仕方ないのかもしれないが、正直よく理解できてない部分もある。
ん〜、でもねこういうのを出しちゃうとどうしてもどこかで反論やら不満の声は上がるものだし、それも仕方なしとしてやってるんだろうってのはわかるので、特に盾突く気もない。

それとね、こういうのって大々的な宣言とか発表しないと、まったく無関心のままの人もいるから効果はあるんだろうとは思うのね。個人的な感想は別として、周囲を見ていてそう思う。

こういうノリにしないと、自発的に予防策とかに関して動かない人というのは一定数おりますので。
で、個人的には、その一定数の中の一定数はそれがこうやって発表されて自粛だなんだってなると途端に過剰に神経質になるというのもあるだろうなという印象を強くしておる。そしてそういうタイプの人は、そもそもの原因に関して対応するよりも自分の不安にかられて闇雲に反応するんだねと。

宣言がなされた後の週末に、開店前のドラッグストアに行列作ってるのを何箇所も見かけた。多分マスクだろうね。
あと、ティッシュやトイレットペーパーが無くなるとかいうガセネタに反応して買い占める人とかいるみたいで。

おかげで、ちょうど自宅のそうした紙類がなくなっていたワタシは、夜中に突然ウンコしたくなり間に合うかどうかを心配しながら寝るときの格好から着替えてコンビニに向かって用を足したという、おかげでオレの中の「緊急事態宣言」に陥ってしまったじゃないか。

んでまぁ、厚生労働省、医師会、WHOとかの今回のウィルスに関する見解とか、裏付けのために研究者とか医者とかのブログや記事などもチェックしてみて(実際問題、何をどう対処すれば良いかの有効な方法と心構えを身につけようということで)共通しているところから考えるに、通常の風邪やインフルエンザの予防策と同じことをしていればまず感染は防げるし、感染しても発症する可能性は低い。発症した場合も持病があるとか免疫力が下がってるというのではない限り、ちょっと体調が悪くなって終わりってことらしい。ついでに言えば、ご存知かと思うがインフルエンザよりも感染力も低いそうだ。

いや、だから気にしなくていいって話じゃないよ。
条件次第で重篤になる人もいるんだから、そういう方に感染させないようにしなきゃならんし。そういう方が色々と気にするのを責めたりできるものでもない。

でも、その免疫力ってことで言えば、不安状態が続いたりストレスが蓄積しても免疫力は下がるそうなんでね、無関心がいいとも思えないし、過度に神経質になるのもねっていう。その中間あたりの「いい塩梅」のところで落ち着くのが一番いいんではないかと思っている。
こういう時に、過敏になってる人や逆に楽観的な態度でいる人のどちらに対しても避難も批判もするもんではないだろうと思っている。それぞれの立場でのそれぞれの対応というものがある。そんなもんでいがみ合ってもしょうがない。
ただ、不安なのであればその不安の正体に関してはちゃんと知っとくようにしといたほうがいいだろうね。正直、ただヒステリックに反応している方とも「関係ないぜ」と言ってる方ともあまり仲良くなれないような気はする。

なので、「自粛」よりも「自制」ってことだろうなというのが個人的なアレです。

自分のことでいうと、先日書いたように手洗いうがいとたまのアルコール消毒、それと元々そうだといえばそうなんだけど、朝晩の混み合う時間帯の交通機関は利用していない。天候悪くても歩いて移動してる。つり革や不本意な接触は避けられるし、適度な運動で免疫力も維持するし、そもそも人混みにいるだけでぐったりするんでそこから解放されてるだけでストレスも軽減される。

ライブは普通にやるし(オレのライブは幸か不幸か人混みにならないのです)。仕事なのでPAをやりにライブ会場に行くことだってある。もし、会場や主催側で中止や延期の意向があれば従うけどね。
さっきも書いたように、それやって生活してる方々にとっては死活問題だし、オレの知る限りでは、そういう場所で個人でやってるところの方が、感染を防ぐことに注意を払っている。何度も書くが混んでる交通機関とかマスク欲しさに混み合うドラッグストアよりもはるかに安心できる。

意外に思われるかもしれないけど、ミュージシャン連中(おそらくそのほかの芝居とかやってる人もそうだと思うけど)の方がウィルスに関する冷静で正確な知識と情報を持っているので情報交換にも役立つ。(なぜそうなのかはちょっと考えればわかる)
不安にならないし、楽しく過ごせば免疫力も維持できる。

ま、それもはしゃぎすぎて疲れると免疫力も落ちるから「いい塩梅」っていう落とし所を判断しないとアレだけどね。

そんなわけで、通常のようにライブのお知らせ。
また新規も加わってます。
こんな時期だから「来てください」とは言わないけどね。


あと、今度の土曜にやる「500L」は主催者からのアテンションも乗っけときます。

・3/7(土) 円山夜想 
【東日本大震災チャリティライブ 500Lゴヒャクエル vol.32】
open 18:30 / start 19:00
料金:入場無料
出演:田高健太郎/ 市沢光英 / 辻正仁
『※ライブにご参加されるお客様はマスクの着用は全然OKです。
 ※体調に自信のない方のご参加はご遠慮いただけますと幸いです。
 ※当店入り口、男女トイレ、楽屋に消毒用のウエットティッシュを設置しています。
 ※当店の酒類はアルコール消毒には向いておりませんが沢山ご用意しております。』
 

・3/14 FOLKIE
【おちよ。企画~LOCUS Vol.5】
OPEN/19:00 START/19:30
¥2000(1ドリンク付)
出演:辻正仁 / ナイトキャップ / おちよ。
※終演後 ¥1000飲み放題
(ご予約は、辻アカウントのTwitterDM、Facebookメッセンジャーにお名前と人数を。
または、kurageyagarden@gmail.comまで件名を「3/14予約」とし、本文にお名前と人数を記入して送信ください。)

・4/1 フライアーパーク
OPEN/20:00 START/20:30
¥2000(1ドリンク付)
出演:KaRaSu / 高橋真衣子 / 辻正仁

・4/9 円山夜想

・5/5 円山夜想

・12/6 フライアーパーク












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