何に感染しているのか?2020-02-26 Wed 23:33
新型コロナウィルス
……新しい車みたいなアレだけど これってもう結構前から騒いでて、今更イベントの開催を自粛してほしいとかなんだかんだって、遅くない? そもそも自主的に参加するかどうか判断できるイベントよりも、朝晩の通勤通学とかの交通機関の中とかの方が不特定多数と大々的に接触していて何を今更と思うし。 マスクしてようが何してようがラッシュ時なんて嫌でも他人と接触するだろうし、保菌者が触ったかもしれないつり革とか掴んじゃったりとかもあるわけじゃん。 まずはそういうのを早い段階で一律にストップさせて食い止めないといけなかったんではないかと。 ってかまぁ、多分止めようないと思うけど。 個人的にはだ 職場や学校など人の集まる場所で感染予防のレクチャーして「気をつけましょう」とかやってるのが中途半端だなと思う。職場とか学校とかの業務を全て停止して「とにかく出てくるな」ってのが真っ当な予防措置だと思うのよ。 人集めといて感染を防ぎましょうってのがちょっとよくわからない。 それで自主的に出勤しないとかって迷惑がられたり、その分の賃金は補償されないわけじゃん。そりゃ出るさ。そして出て行って感染したら予防が足りないとか思われるんでしょ? でも、発症しないで本人も周囲も気づいてない保菌者から感染してるかもしれないよね? コレ、症状確認してからとかそういう人が増えてから対応したって、まぁしないよりはマシなんだろうけど手遅れ感満載だよね。症状が出ないってか感染する可能性を潰すしかないんだから、それに関してはほとんど対応らしい対応してないと思うのよ。別にいいけど。 ただ、ワタクシ今回はですね、日中わりと妊婦さんの近くにいる事が多いので、すごく気になる。 さっき書いたように、もしかしたらオレがどっかで感染してて症状が出てないから自覚してないだけかもしれないじゃん。そんで、その妊婦さんがオレから感染するかもしれないよなと思うと、ちょっと気になるんだよね。 だから、今回は自分が感染するかもってよりも、「自分が感染させちゃうかも」っていう心配の元に、ちょっとだけ気をつけている。その、まず自分が感染しないようにって。 まぁ、普段こういうのがあっても「そん時はそん時だ」と思ってるので別段何もやらないから、今回はちょっと手を洗う(アルコール消毒はウィルスを駆逐してくれる雑菌も殺しかねないので、日に二回程度)とか帰ってから緑茶または生姜を溶いたお湯でうがいしてる程度だけどさ。 マスクはつけてない。 前にちらっとSNSとかで書いたけどさ。マスク買うためにものすごい人だかりができてるのを見かけて、「あんな人混みの中に居たら、コロナじゃなくても他のいろんなものに感染しちゃうよな」とか思ってしまったのね。 こういうのが実はオレは一番嫌なのよ。 ウィルスが感染してどうとかってのは、こういう日常でやってくしかないからある程度は「意図的にじゃなく感染してしまってもしょうがない」と思えるんだが、なんか他に気をつけなければならない事とか、ちょっと考えれば済む事なのに、騒ぎ立ててt煽られる風潮に感染するのが気持ち悪いし、コワイ。 さっきのマスク買いに人混みの中に混じってるとかさ、コレって騒いでるのに煽られて「感染しないようにマスクしなきゃ」って考えてるんだろうけど、それで多くの人で混み合ってる場所に、へたしたらそういう人混みをかき分けて突進していくでしょ? そのリスクは考えてないんだよね。「マスクがあれば安全」って心理になっちゃってる。 自分が感染してない状態なら、人混みに突進していくのと、感染する可能性のある距離にまで他者と近づかないのとどちらが安全かって話じゃん。 イベントの開催自粛だって、仕事から学校から全部揃ってやらなきゃダメだろうけど、なんかそういうムードに流されて中止とかあるいは開催してるところを糾弾するみたいなさ。ならまずは通勤ラッシュを糾弾しろよ。 「これは仕方ないけどこれはダメ」って問題じゃないんだから。 なので、個人的には「全部OKで、感染したら仕方ない」って感覚です基本的には。そんで、個人的に「自分から誰かに感染させないようにしないとな」っていう意識で生活しとこうと。まぁ自分の負担にならない程度に。 被害者になるより加害者になる方が嫌だし、自分が被害を被っても誰かが加害者なわけではないという意識は持っておこうと思う。それがワタシのウィルス対応策。 そんでまた、昔の伝染病とかよりも人間の移動範囲とか流通経路が複雑かつワールドワイドだからさ、伝播するスピードも範囲もものすごいことになってるから対応は常に後手後手だけど、それに輪をかけてすごいのが、SNSとかネットニュースで拡散していく真偽のほどの定かじゃない情報ね。 一番笑ったのが「26度の熱でウィルスは死滅するからお茶飲もう」みたいな。 26度で死滅するなら何もしなくてもウィルスが体内に入ったら死滅すんじゃないか? というのがですね、いろんなところで拡散されて、それ読んだ人も皆さんに知らせたくてさらに拡散していくわけですよ。 …何も考えてないよね、悪いけど。ただ怖がって目についたものに飛びついてるみたいな。 ウィルスに関して正確に知っておこうとか、入ってきた情報に関して確認しよう、考えてみようって思ってないよね。ついでに言えば、その情報をさらに拡散するのはみなさんにお伝えしたいという善意だと思うんだが、真偽のほども確認したり考えたりせずに自分が善行をしたいという気持ちで撒き散らして良いのかってことも考えてないよね。 こういうのが沢山ある。 で、また話は戻るが、俺がアルコール消毒を頻繁にしないのは、ウィルスに対抗できる菌も殺しちゃうかもしれないからだけど、これは自分でそのように考えたんだけど、正直情報を精査はしてない。 ただ、普段の見聞きしていることを踏まえて自分で判断しました。 これでオレが感染したらその考えが間違っていたか、もしくは手で触ったもの以外から感染したってことだろうね。 という程度です。なので、これを皆さんに広めようとも思わない。 ただ、自分で考えて対応したいだけ。 なんというか、こういう流言の拡散ってのは「気分」でしかないと思うのよ。 こういうものが流行してるっていう不安(人によっては恐怖)とかに流された気分に支配されてやってるんじゃないのかね。もしくは無意識のうちに「最新の話題に乗り遅れないように、自分も情報持ってるんですアピールしときたい」って気分なのかもしれない。 これは自戒も含めてね。 それで思ったのよ。 ウィルスそのものよりも、そこから生まれる不安や猜疑心や、不確かな情報や、それらにつけいる悪意や欲望みたいなものの方が、よっぽど早くて広範囲な感染力持ってるなって。これに感染してる人の方が圧倒的に多いでしょ? オレはどっちかというと、そういうものから身を守りたいってか、感染しないように、感染源にならないようにしときたいなと思うのです。 スポンサーサイト
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何も考えずに気軽に撮影して公開できることについてじっくり考えてみる2020-02-16 Sun 16:57
んとね、この前ちょろっとSNSに投稿して本当に若干の反応があったのですが、ちょっとどうやって書いても多少の誤解を伴うな〜とか思って、「考えまとめて近々日記で書きます」って書き込んじゃったんだけどね…。
考えがまとまりません(笑) っていうか、そもそも自分自身も「答えはひとつではない」と思ってるからなんだけどさ。 何の話かというと、ライブの写真や動画をお客様が撮影してSNSなどで公開するって話なんですが。 特に今回は 「ライブ中にその動画をリアルタイムで公開している」 ってのをちょくちょく見かけるようになって、それが気になって投稿したのね。 で、まぁ以前にもライブ中の撮影とかに関しては自分の考えってのを書いたことがあった気もするけど、そういうのって時の流れとともに世の中の変化に合わせて変わっていくものだから、ちょっと現時点での自分の考えを書いとこうかなと。 なので、どっかに書いたであろうかつての記事はあえて確認せすに、当時と同じこと言ってても真逆の考えになっていようとかまわず書くことにした。 まぁ、ライブ中にお客様が撮影してることに関しては、度々SNS場でも話題になってたり議論されてたりするんで、自分もやっとこうかってことです。 んと、まずは人前で歌や演奏を披露している立場での自分個人のことを明確にしときます。 自分自身がライブ中に写真や動画を撮られて(「撮っていただいて」と書くべきか?)、SNSなどに公開されるのは基本的にありがたいと思っているし、嬉しかったりする。 「基本的に」と書いたのは、それで「コイツのライブは最低」とか書かれると嫌だなってアレなんだけど(笑)、まぁそもそもそういう人がわざわざそれを書き込みたいがためにライブに来ることもないだろうね。 なんかさ、お客様が自分が見たり聴いたりした楽しかったことや嬉しかったこととして「こんな事がありました」的に紹介していただけるのは嬉しいのですよ。最近皆さん、美味しいもの食べたとか楽しい場所に行ってきたって写真撮って紹介するでしょ? そういう感覚で良いので出していただけたのをこちらがね、コメントとともに見せてもらってニヤニヤしたりするのは楽しいし、オフィシャルな撮影スタッフとかを用意できるわけでもないので、本番中のそういう記録もなかなか撮れないから、あとからお客様の投稿の写真を使わせてもらったりもするし。 あとはね、自分の宣伝というかそういうのもなかなか小まめにできない事情もあり、見た人が「面白かったよ」っていうのをね、その場面も含めてアップしてくれると、自分のお知らせできる範囲よりも広く自分の事を知ってもらえるチャンスなのでありがたい。 むしろもっとやってほしいなと思っているくらいだ。 この前なんかは、演奏中にこっちからけしかけて、写真撮ってもらったりしたしね(笑) というのが前提です。 しかしながら、あくまでもライブというのは「その時その場に来ていただいている人たちに向けてお届けするもの」と考えているので(前述の「こっちからけしかけて撮らせた」というのも、それをやる事でその時その場にいる人と自分自身がより楽しめると判断したからです)、その撮影をされている方がいる事で他のお客様が不快な思いをされたり、こちらの気持ちがそがれるようなシャッター音やフラッシュの光などがあるのはご勘弁いただきたい。 まぁ、ようするに場の雰囲気が悪くなったり阻害されるのは嫌だよってことです。 あとは、コレも「その時その場に来ていただいている人たちに向けてお届けするもの」というところからなんだけど、自分のライブでそういう人はあんまり見た事ないけど、撮影することに気を取られて、ず〜っとカメラ越しにしか見てない人とかさ、演者の姿より画角とか写り具合に集中してる人とかだと、ちょっと気になっちゃうよね。 「今ここでやってる自分や自分の曲に注目してくれてないんだな」 って気持ちになるので、多少萎える。 でも、まぁこちらはそういうのも受け入れてやるしかないとは思ってるけどね。 理想を言えば、撮影も嬉しいけど、目指すところは撮影する気満々でやってきた人でさえ、撮影するの忘れちゃうくらい楽しませるライブをやることが自分にできればいいなと。 ま、それが演者としての自分自身についてのことです。 なので、基本オレのライブはオレとしては撮影OKだし、SNSなどの公開も問題ございません。まぁ、写真はともかく、動画に関しては事前に確認していただけると尚更たすかりますが(これまでのところ、オレに関しては皆さん「公開していい?」って聞いてくれてるのでありがたいです)。 でもね、本番中にリアルタイムで動画配信されると、ちょっと怖いってか、さっきも書いたように「その時その場にいる人に向けて」という意識でやってることなんで、それを生で中継されててさ(しかもこちらが知らないうちにだ)、その時その場にいない方々も見てるとなるとちょっと困ることになる場合もあると思うのね。 例えば、演奏中に歌詞が飛ぶとか間違えるとか…。まぁ歌唱も演奏もだけど。 そういうのがそのまま、極端な話世界中のどこでも何をやりながらでも見られてしまうわけだからね。 その場にいて同じ空気の中にいれば気にならなかったり、逆にライブならではのアクシデントとして楽しく感じられる事でも、その場におらず、画面越しに、他の何かをしながらとかで空気の異なる状況で見ている人にとってはただのアクシデントとかミスにしか映らない場合もある。 そうすると、ちょっとまだ自分を知らない人に与える印象として、マイナスではないかなと…。 まぁ、いつでもどこでも常に完璧な演奏すれば問題ないのかもしれないが、それはそれで面白みがないと思ってるしね。 う〜ん、これはまだ自分でもよくわからない。 もしかしたら、そういうライブを中継で見て「あ、これはその場に参加したら楽しいだろうな」って思ってもらえるのかもしれないし。 ってのが、まったく個人的な都合の中での話です。 でさ、こっからがちょっと「関係者も含めて」の話もしときたいんだけど。 オレ個人ではOKでもね、例えばコレは先日SNSで書き込みした後の、ライブをやらせていただくお店の方からのコメントで自分も「あ」って思ったんだけどさ。 カバー曲なんかをやってる動画って自分で記録用に撮影したやつをアップしたりすることもあるんだけど、それがお店に迷惑かける事になっちゃったりとかもあるんだよね。まぁ何がどう迷惑になるかは、あえて書きませんが。 んで、さらに生配信ってことになるとね。 その会場やら主催者の考え方とか都合とかもあるので、たとえオレ自身が生で中継してもらっていいよと思っても、そういうお世話になったりとか活動する上で一緒に色々考えてくれたりする方々の迷惑になったり気持ちをないがしろにしてしまうことになったりする可能性もあるんですよ。 実は以前に、自分が企画したか参加したライブで、「生配信したらどうだろう?」と思ったライブがあったのね。 ちょっとそれ用の準備もしたりして。うん、今後の集客を増やすのにちょっと一回本番の雰囲気を観てもらって興味持ってくれる人いたらいいなと思って。 で、会場となるお店に「生で中継してみようと思う」って言ったら、あんまり気乗りしない顔で「今回だけって事にしてくれないか」と… で、話を聞いてみたら、その方はお店をやっている方なのでね 「時間と入場料を払ってこの店に来ていただく方と同じ時間に入場しないで同じものが観れるというのは、来てくれるお客様に申し訳ない」と。 で、俺もなるほどその通りだねと思ったんで、ヤメにしたのね。 これも会場によって考えは様々だろうけど、こちらとしてはその会場の流儀に反することはしたくないし、納得できる話だったので。 うん、オレが自分の事で考えるだけでもそういう諸々はあるんですよ。 で、それを踏まえて、他の人は? って事になるんだけど、自分が裏方に回ってる場合もあるからね。 まぁいろんな音楽人と話をしていて、そういう撮影にまつわる話題になることもあるわけです。 そうすっとさ、やっぱりこれも人それぞれで、ライブ後の写真や動画をお客様にSNSで公開されることの反応ってのはその時のその音楽人の都合や状況、考え方によって異なるのね。 でも、総じて言えるのは、撮影をNGにしたいとか公開前に確認してほしいとか思ってもなかなか言えない、言いづらいってところかと思う。 というのは、「撮影して公開する人たちも自分を応援したい気持ちがあってやっていることだ。」というのがあるからなのね。 そこで「アップするときは確認してほしい」とか「こういうときは撮影しないで」とか言っちゃうとせっかく応援してくれる方が気を悪くされるのではないかとか、あんまりうるさくいうと応援してもらえなくなるのではないかといった心配もあるかと思う。 いや、中には全然構いませんよって人もいるけど、そうすると全然構う人も「他の人はOKなのに自分だけNGにすると偉そうに思われないか」って心配もあるだろう。 でも人によって「どう活動したいか」も「どういう状況にあるか」も違うからね。 とにかく多くの人に存在を知ってもらいたいという人ならOKなことも、音のことだけでなく「それをどのように見せていくか?」にも拘りたいとか、気にしなければならない環境にある人にとっては、不本意な写真や動画を公開されるのは望ましくないだろうし、「せめて事前に確認させてほしい」ということだってあるだろう。 ハタでSNS眺めてても、女性とかですごい顔ぐしゃぐしゃで熱唱してる場面とか、ちょっといつもよりビジュアルが残念に見える残念な写真がアップされてる時とかあるしね。 これ、その写真をアップしてる人は気にならないってのもわかるんだ。 例えば、曲のすごくいいところで気持ちを込めて熱唱してると顔が結構崩れちゃったりするけど、写真撮った人は、写真見てその時の音とか気持ちも蘇るだろうから「すごくいい場面」と思えるんだが、音も本人もまったく知らない人が写真だけ見ると「ずいぶん顔がぐしゃぐしゃな人だな」って事になっちゃうのね。あとどの写真見ても半目開きとかさ。 それって、ちょっとその音楽人に撮ってプラスにはなりづらいような… で、動画もさっき言ったみたいに歌詞間違ってるとか音程がズレたとかもその場にいた人は場の空気込みで見れるからOKだけど、画面越しにしか見てないと残念な演奏でしかなかったり、まして新曲でこれからきちんとした形でお届けしたいと思ってるものを先に幅広く公開されるのは、本人だけじゃなく関係者込みで「困るな」って場合もあるだろうし。 う〜ん、正直言ってこれだけ気軽に撮影できて、公開できるものを一人一人が所有しているご時世に全てがダメってのもナンセンスなことだとは個人的には思うんだが、そしてそれが自分で気軽に扱えるとなるとどうしても自分本位な扱い方になっていくのも、自分も含めて理解できる。 ましてや、そうやって自分のお気に入りの音楽人の姿を公開している人たちの大半は「善意」でやっていることだと思うのね。 「こんな素敵なものをみんなにもっと広めたい」とか「自分はこんないいアーティスト知ってるんだよ、応援したいんだよ」ってアピールしてるんだと思う。 自分自身も含めて、その善意は非常に嬉しいことだったり、それに助けてもらうことだってある。 だから難しいんだよね。 そこで、これは良し、これはダメみたいな話になると「都合のいい時ばかり」みたいな感じだし。 でもさ、だからこそ公開する側ってのは、その立場から「この自分の善意は、ちゃんと当人に喜んでもらえたり助けになる善意か?」ってのは考えてみたほうがいいかもしれないよね。 まぁ、コレは演者の自分の都合のためにじゃなくて、裏方とか誰かを紹介する立場になった時の自分も肝に命じなければと思って書いてるんだけど。 ましてライブをリアルタイムでお客さんが動画流すのってさ、さっき書いたように本人が良くても会場となってるところの事情とかもあるし、その会場が有料か無料かとか、無料でもスpンサーとか主催の意図としてリアルタイムに配信して喜ばれるか遠慮してほしいかとか色リロあると思うのよ。 主催側が配信されたくないイベントの場合、そういうことあるお客様が多いアーティストへのオファーは避けるだろうし、そうすっとちょっと善意があだになってしまうよね。 というね、考えまとまってないんでまた長文でございましたが、そういうアレコレをさ、被写体になる立場だったり、誰かを紹介する側になったりするスタンスのワタクシが色々考えあぐねていることとして書いてみました。 まぁ、やってる立場のものとして「コレで嫌われても、そういう人はいいや」って思ってるんで、あんまり黙っててもな〜って。 なので、コレは「撮影して勝手に公開するのけしからん」とか言いたく書いてるのではございません。 いろんなことがあるし、いろんな演者がいるので、こういうことも込みでお互いにどうしたら良いのか考えながらやっていきたいですねっていう話です。 最後にオレ個人の話に戻すと、考えてみたらオレって撮影したいと思われるような姿形でもないし、取られたところで顔がどうとかってところまで見せ方気にしてない活動だし、演奏中のミスも含めて全部晒してナンボだってやり方だし、そんなに気にしなくていいです。 ただ、繰り返しになるけどライブをやるときは「その時その場にいる人たち」に向けてやっているものなので、できれば来てくれる方々も「その時その場にいる」こと自体を楽しんでいただきたいし、その空気を壊すようなことや会場関係者の迷惑になるような事がなければ(それやられると、オレが次から呼ばれなくなっちゃう)、撮影も含め好きなようにお楽しみください。
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輝きが見つかる高さを目指しながらどこまでも飛んでいく(『鼓動』by自分 1995年くらいの曲)2020-02-10 Mon 22:03
昨日は師匠んとこのスクールイベントを覗きに。
まぁ、毎回のことではあるが顔なじみさんたちやら久しぶりさんたちが沢山くるので皆さんの元気な顔をみてるだけでも楽しい。 そして昨日は特に最後に出たグループがね、非常に個人的にこの顔ぶれで並んで演奏してるってのが物凄く楽しい気分にさせられるアレだったんだが、それはそれでいずれ大々的にまとめて長文を書いてしまう機会があると思うので、その時に。 とかいう話題とは別に ある方と話をしまして。 お会いしたのが二度目なんだけど、ちょっとしたことからワリと突っ込んだ話題になった。 まぁ、年齢聞いてないからよくわからんけど、少なくともオレよりは相当若い。 「何かをしたい」人なのね。でも「何をすればいいのか」がわからない。 将来的に「こうなりたい」という漠然としたテーマはあるんだが、そのために何をどうすれば良いのかも、何ができるのかもわからない。でもおそらく今すぐにでもその「何か」にはなりたいのだと思う。 お断りもなく書いてるし、具体的な話を書いてもちょっとわかりにくいって気もするので、かなりぼやかした例え話をするが…。 漠然とした「何か」というのが「オリンピックに参加したい」だとしましょう。 あまりにも漠然としていて、「ではどの競技で?」って話になると本人もわからないという状況。なにか運動をした経験もない。 それにもしかしたらそれは競技選手じゃなくて「聖火ランナー」でも「ボランティアスタッフ」でも、はたまたオリンピック開催そのものに尽力する「JOCとかIOC」の役員であってもいいのかもしれない。その辺もまだわからない。 自分にそれらの何ができるとか何が向いてるかとかもわからない。だって本人は漠然と「オリンピックに参加したい」と思ってるのだもの。 そして恐らくは、水泳競技を見れば水泳の、マラソンを見ればマラソンの表彰台に立って金メダルをもらってる自身の姿を想像してるんではないかと思う。あわよくば全部の金メダルを獲る気でいるのかも。 もしくは、「やっぱりマラソンだけ札幌でやることにします」みたいな発表してる人に自分の姿を重ねることだってあるかもしれない。 それはそうです。 誰しもがそうだと思うが、若い時分というのは見聞も広くないし経験も少ない。いくら歳を重ねたって1人の人間の見聞や経験なんてたかが知れている。自分を省みて「そんなことないだろう」と思うならオレを見てみろ納得するから。 具体的なもの一個に強烈に惹かれて、たとえば柔道なら柔道で、それで優れた選手になった結果として最大の評価は何かと思ったらオリンピックで優勝だなとかというのであればもう少し整理された話になるかもしれないが、先に「オリンピックに参加する」があるのだ。 だから、「オリンピックに参加するには何をしたらいいだろう、何ができるだろう」というところから話が始まっております。 まぁ、アレだ。 もうちょい例え話をすると「看護師になりない」って人が「看護師になるには?」ってことを考えるのではなく、世の中のことをあまり広く知っておらず、人生経験も少ない人が「人の役に立ちたい」という思いを持って「何をやればいいだろう?」って考えてる状態。 そんな時は看護師だって憧れるし、消防士だってやりたいし、災害ボランティアにも行きたいし、登下校の小学生の横断歩道を渡るのを見守りたいんじゃなかろうか? という状態でだ。 「自分がオリンピックに参加する方法」を考えているのね。 そっから話が始まって、まぁその「作戦①」を聞いて、率直にダメ出ししました。 うまく伝わってるかどうかわからないけど、簡単に言うとその作戦が「自分以外の誰かに自分のやることを任せてしまう」ことになるからだったのね。それ、あとあと響くから。 でもさ、その人の「オリンピックに参加したい」って気持ちは多分切実なのよ。そう感じたから本気でダメ出しした。 まぁアレだね、最近色々と自分の事を振り返るブームなんで、その最中にこういう気持ちを持ってる方と話をする機会があるのも面白いもんだな〜と感じていたのもある。 なので、「オリンピックに参加したい」こと自体はダメ出しする気はない。 物事がわかってないとか経験がないからそんな事言ってるんだって言われたって、そんなもん本人はそう思っちゃってるんだもん。 だったらそっから始めりゃいいってだけの話で、「その考えは甘い」とか「間違い」ではないよね。 ってか、それは考えではなくて「思い」だから。 その「思い」を遂げるために経験して考えを身につけて、そのために世の中のことを知っていけばいいじゃん。 それをね、ハナっから「思い」を否定してはいけないと思うんだよね。 昨日のオレのダメ出しは「思い」を叶えるための作戦としてよろしくないからなのよ。 ちょっと話はそれるが、たとえ本人のためを考えて親身になってのことだとしても、「思い」を否定するならそれはその本人を否定して「オマエでは駄目だからオマエじゃない者になれ」と言ってるようなものだ。それをさらに「オマエを思えばこそ言うんだ」ってことになると、「自分を思ってくれる人に否定される思いを持っている自分」は罪悪感を持ったりする可能性だってあるんじゃなかろうか? これはもう「呪縛」に近い。 「気持ちはわかるけど、そんなのは通用しないから諦めなさい」とかって、言われたことのある人間ならわかると思うが、「気持ちわかってないから言ってること」にしか思えない。 経験や見聞が足りなくて考えが不十分であるなら、どういう考え方をすればいいかとか世間の中でどう評価されるかとかは一応自分の経験や見聞を踏まえての事は言える。けれど自分の経験や知識のないことに関しては一般論以外に具体的には教えられない。どんなに目上だろうが関係ない。だから自分の範疇で否定できるものではない。 そういう謙虚さは持っていたい。 何もわからなくたって何も経験がなくたって、その込み上げてくる「思い」や「衝動」は本人にとっては切実である。 だから多分「一緒に考える」のが一番いい。あとは自分で考えたり取り組んだりできるように手伝うってのかな? だって、自分以外のまだ何者にもなっていない相手がどういうことになるかなんて誰にもわからないじゃん。それは本人がこれからの過程の中で自分で判断すればいい。 自分が柔道選手になれなかったからって、今目の前にいる腕立て伏せすらやったことない相手がオリンピックで金メダル取れないって考えるのは変でしょ? そこにあるのはただの思い込みだし、その思い込みを押し付けて呪いをかけてしまうようなもので。 ジョン・レノン風に言うと「先に用意した服のサイズに合う子供に育てる」ようなもんだ。 「オリンピックに参加したい」という思いがあるなら、「オリンピックの競技に出たいの?他にも聖火ランナーやICOの役員みたいな役割でも参加してる人はいるけど?」ってところから始まって、選手になって金メダル獲るってことになったら「どの競技?」って話になって、まぁまだやったことないしわからないってなら「じゃあとりあえず、走り込みや柔軟とかやって基礎体力つけながらどんな競技に何が必要か情報集めて、気になる競技があればそれをやってみよう」から取り組むこと決めて、そこでまたいろんな人と出会ったり専門的な話が聞けたり、自分も経験が増えるからそれに伴って「短距離よりマラソンに向いてるな」とか思えば転向すればいいとかって話だよねきっと。 「気持ちはわかるけど、オマエはオリンピックに参加できない」なんて恐ろしい予言はいらない。 その過程でどっかで本人の「思い」が冷めたり、経験や見聞が広がった結果「盆栽をやってみよう」とか「やっぱり自分は向いてないから安定した職に就こう」とか「とりあえずオリンピックに行く才能はなかったけど、生涯マラソンランナーでいたいから食い扶持だけなんとかして、毎日走り込んで、市民マラソンでは優勝してやる」とか自分で選べばいいんじゃないかな。あるいは80歳位になって「今度はハンドボールでオリンピック目指す」という道もアリだ。 なので、多分昨日話した人も、今非常にもどかしく「思い」にかられて早急に答えを得たいと思っているのだろうが、そして具体的な「とっかかり」を手にしたいのだろうが、存分に焦ったり迷ったり間違ったりと、もがき苦しんでほしいなと思う。 それはもう思いを叶える冒険が始まっていると言う証なのでしょう、きっと。
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先のことは大抵詳細不明なので気をぬくな2020-02-05 Wed 19:37
ここにきて降雪量の帳尻合わせが始まっておる。 別にいいのに そんな中、『ちょっとした40周年記念』ということでアレコレと振り返ってたりするが、振り返っている間にも先のことはどんどんやってくる。 それも年々加速している。 気がつけばもう2月になっちゃってるし。 そんなわけで、再度今後のライブ予定を。 この調子だと「まだ先のものだから」と油断しているうちに当日はやってくるので気を抜かないように。 といっても、ほぼ詳細はまだ決まってないのでけどね。決まってないうちに当日がやってくるかもしれないから、気をぬくな。特にオレ。 唯一詳細でてるのは、おちよ。ちゃんの企画。 これは予約も承っております。 〜ライブスケジュール〜 3/7 円山夜想 3/14 FOLKIE 【おちよ。企画〜LOCUS Vol.5】 OPEN/19:00 START/19:30 ¥2000(1ドリンク付) 出演:辻正仁 / ナイトキャップ / おちよ。 ※終演後 ¥1000飲み放題 (ご予約は、辻アカウントのTwitterDM、Facebookメッセンジャーにお名前と人数を。 または、kurageyagarden@gmail.comまで件名を「3/14予約」とし、本文にお名前と人数を記入して送信ください。) 4/1 フライアーパーク 5/5 円山夜想 12/6 フライアーパーク またちょこちょこ増えていくので、くれぐれも気を抜かないように。 よろしくどーぞ。 ![]()
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ゆこう自画自讃で 歌を口ずさんで(『自画自讃』by自分)〜 『ちょっとした40周年記念』のアレコレ⑦ 〜2020-02-01 Sat 23:46
さて、この40年をなんとなく振り返ってみますとですね、その「曲を書いて歌う」みたいなことが結構うまいこと10年周期くらいで大雑把に区分けできそうな気がしてきた。 ん~と、ギターを手にしたのが(よく書いてるけど手にした目的がそもそも自作曲を作って歌うということだった)1978年の事で、そっからなんだけどそれから本格的に「ずっとコレやっていきたいな」と思い至った1980年までの間を「準備期間」とするとさ、その後もだいたい1988年とか1998年前後とかにちょっとした「次のコマに進む」みたいな流れがあって、次のディケイドでそっちに舵を切るみたいな流れがあるのね。 んで、その10年ごとに区切ってどんな感じだったかまとめとこうと思ったんだけど、何をどうまとめればまとまるのかさっぱりまとまりがつかず、まぁ各年代のことを詳しくはおいおい書いていくとして、ひとまず非常にざっくりした流れだけ触れとこうかと。 そんだけでもちょい寂しいので、その年代ごとに影響受けたアーティストとかアルバムとかも書いとこうかな? これも単に「聴いていた」ってことにすると本当に際限なくなるので、あくまでも「自分が曲を書くのに」とか「歌い回しや声の出し方」みたいなものの参考にしたようなのに絞ってみようかと思う。 それでは 【80年代】 ここはもう、最初の最初なんでね。 ギターを持ったのがちょっと前の78年。 そこから曲を書き始めて、最初はただの「真似事」。それも満足に真似すらできていないというか、翌日に自分で歌ってみてもまともな曲としての体をなしてない曲とか、本当に流行りのニューミューックとかから拝借したような言葉を羅列したような歌詞とかのものばっかりだったのが、後半ではコンテストに出て行ったりレコード会社の大人の人に呼ばれてなんだかんだと「ああしろこうしろ」と言われるようになる程度の曲は書くようになったしそれなりに歌えるようになるのだから、最初の10年というはなかなか盛りだくさんだったんだな。 きっかけはビートルズと解散後のジョン・レノン、ポール・マッカートニーそれぞれの作品から始まって、70年代のフォークソング、当時ヒットしてるような英米のロック、ポップス。日本のニューミュージック。 とにかく聴こえてくるものは何でも参考になるというか、なんでも参考にしようとしてた。まだ自分の傾向とかわからんていうかそもそも傾向自体がなかったし。 で、意外とロック一直線ではなくて、さだまさし、吉田拓郎、オフコースとかが最初期の主に歌詞での参考物件だったかな? ようするに「日本語が綺麗にメロディに乗ってる」っていうものと、もうちょい熱血というかバンカラなスタイルにも憧れてたしそこは分裂してたかもしれない。 自分の書く稚拙でメロディと噛み合ってないような言葉が気になっていてこうしたさだまさしとかオフコースなんかの流麗な言葉の流れをものにしたいって事と、ジョン・レノンみたいに叫んで歌いたい。勢いに任せたいってところで拓郎とかね。 で、後半で念願のバンドをやるようになって、だんだん自分の嗜好もはっきりしてきてロックだなんだってことになるんだけど、そっからはブルース・スプリングスティーンとか、当時INXSとかデヴィッド・ボウイとかがちょっと捻くれたソウルみたいなことやってたのを気にしてたな。 で、歌詞のその分裂傾向というのは、サザンと佐野元春によってなんか「コレコレ!」ってのを発見してくのね。言葉の乗せ方が綺麗なんだけどロックのノリでっていう。コレ詳しく書くと延々書くことになるので省略するが。 で、この1人で曲を書いてたというか曲作りの練習をしてた時期と、バンドで歌う曲を書き始める間に意外な時期がちょっとだけあって、それはポール・サイモンとか山下達郎とか聴き込んでた時期なんだけど、その時が唯一ギターのコードワークとかを意識してた時期なんだな。あれがあのまま行ってたら、テンションコードとか細かく駆使するようなちょっとプレイヤー寄りの曲をやるような、今とは全く芸風の違うことになってたかもしれない。 でもバンドやるあたりから「ロック、激しく、シャウトする、勢い任せで行く」みたいなところに意識が傾いて、今考えると完全なる勘違いなんだけど「メジャーコードとマイナーコード以外を使うと軟弱」みたいな気分になって、しばらくはメジャーセブンスのコードすら封印するようになる。 でもまぁ、その辺を自分で絞り込んだから、多少スカウトの大人とかに声かけられたりってことになったのかもね。 そして88年あたりで結局その大人の人たちから言われることによって自分が何をやってるんだかよくわからなくなっちゃったり、ちょっと生活の方でなんだかんだあって、一旦音楽活動やめようと思うに至ったところで主な80年代終了。 【90年代】 そんでも一回活動始めようと思い立ったのが1990年のことで、そっから1年間「毎月20曲」を自分でノルマにして、書きためてはスタジオでラジカセで録音したテープを友人らに配りまくってた。 この時期の曲作りで一番大きな影響を受けたのは佐野元春「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」。あとは自分の心情をどうやって曲に乗せていくかってところではU2の「RATTLE & Hum」と「Achung Baby」。 こっからはもう自分がインディーズ指向になってたような気もする。 要は80年代最後のあたりでメジャーの大人達に結構場当たり的なこと言われたり、自分もそれなりに「売れるには」みたいなこと考えてたのが「なんか自分で当初考えてた素敵な人生ではなくなってるな」みたいのがあって、また歌を書いて歌うことをやるなら、もうちょい自分の中で筋の通ることをやりたくなったのかな? でも、まだ色々ブレるんだけどね(笑) この辺りから前々から心惹かれていた50〜60年代のブルース、ソウルとかあと日本の戦後間もない頃の歌謡曲とかを意図的に聴いてみたりしてた。まぁ一番しっくりきてたんだよな。 改めてバンドを結成して、当初はやっぱりロックをやろうとしてたんだけど、途中から世に流れている、日本だとミリオンヒットがどんどん出てきてなんか音楽が完全なる商売(商売は否定しないんだがバランスの問題)に傾いてきてたし、やたrとデジタルな音色で製品化されたものが嫌になってきて、そんな中で唯一と言っていいくらい感動したのがHEAT WAVEでね。 なんかあんまりゴチャゴチャしたこと抜きに、気持ちをそのまま歌にするために身悶えながら曲作りしてそうな…。 それもあってバンドでも後半は「歌物をやりたい」みたいな言い方するようになってたし。 洋楽は新しいの聴いてもピンと来ないってか、ニルヴァーナとかオアシスとか嫌いじゃなかったけど夢中になれなかったりとかあって、だんだんと英米以外の、例えばイスラム圏とかの地域の音楽とロックを融合したやつとかに興味が行って、そっからさらに各国の民族音楽とか聴き漁るようになってその流れで行き着いたのがゴスペルとアイリッシュトラッドだった。 だから、この時期はもう一回いろんな音楽を深い部分で聴きながら勉強し直すというか、自分の中で自分なりの「大衆音楽の歴史」みたいのを構築してたんだと思う。 この辺からは自分の書く曲は極力シンプルにしたいって気持ちが強くなってるな。で、言葉の面ではそのシンプルな曲の中で実験的にってか人と違った書き方しようと思ってたんだけど、どうも理解を得られず(笑) 後にやろうとしてたことを椎名林檎とかがあっさりやってるのを聴いて「あ、もう自分にこういうのをやれる感性はない」と思わされた(笑) そんなこんなしてる間にバンドは活動できなくなり、かと言って新しく結成する気にもなれないし弾き語りをやるのもちょっと踏ん切りつかず、たまに開店したばかりのフライアーパークで歌わせてもらうとか、あとは麻雀に明け暮れて90年代の終わりを迎える。 【2000年代】 こっからは基本的に自分の曲作りに強く影響を与えるものって特になにってのが無くなります。 というか、90年代後半から周囲にあふれているヒット曲に対して「自分の聴きたいような曲が少ないな〜」と思い始めてたので、むしろ「少ないなら自分で聴きたいような曲を書こう」ってな発想に完全に切り替わってた。 そういう曲聴きたいのって自分だけじゃないだろうから、気に入ってくれる人もいるはずだし、そういう人たちに喜んでもらいたいみたいなのもあったし。 影響を受けたって点で特筆すべきはヴァン・モリソンで、これは前述の世界各地の音楽を聴いて行き着いたゴスペルとアイリッシュトラッドみたいに掘り下げたところから再度ポップミュージックに戻った時に、「コレが求めてたものかも」みたいな感じだったのね。 で、こっから色々チェックはするけど、自分が単純に楽しむために部屋で聴く音楽ってほぼヴァン・モリソンだけみたいな(笑)。 あと、女性アーティストの曲をよく聴くようになったかな。ってのはそれまでも聴いてたけど、自分のやることの参考にはあまりできなかったので。この時期から聴くようになったのって逆に聴いてる音楽を参考にしなくなったからというか、影響されようないから純粋に楽しめるってのがあるのかもしれない。 話をヴァン・モリソンに戻すと、彼はソウルやろうがジャズやろうがアイリッシュやろうが、そういう色々やってるにも関わらず、「全部ヴァン・モリソンでしかない」っていうのが素晴らしいなと思って。 特に音楽的に変わったことやってるわけでもなく、非常に色んなジャンルのオーソドックスなことをやってるクセに、この人にしか出せないことをやってるのね。 これこそオリジナリティだなと。 そこは影響強い。 なので、自分の書く曲も、一般的なソウルとかロックンロール、フォークとかの昔からの構造上のフォーマットをあまり逸脱しない形になっている。 その上で「定型通りにやろうとしてもどうしてもこうなっちゃう」って部分が自分が色濃く出る部分なんだろうと。そういう作り方になったし、あまり歌詞と曲を分けずに「歌いながら同時に作る」というやりかたも定着した。 ようやくここで自分のスタイルというか手法を見つけたわけだ(笑)。 こっからの方が逆に色んなスタイルに手を出してる。まぁ弾き語りなんで気付きにくいだろうけどね。 メジャーセブンスコードも封印解いたし(笑) あとはね、バンドの活動停止後に初期のデジタルの打ち込みとかでバックトラック作ったりして「擬似的バンド」みたいなので音源作ったりして「こんな感じでバンドっぽさだそうか?」とか思ってた矢先に、その3作目制作中に10曲くらいのデータが吹っ飛びまして… そっから打ち込みはヤメた。 それで色んなミュージシャン集めて、集まったメンツでやれることをやるとか、その経験から「1人で弾き語りやっても成立するものを持ってないと」って意識になって行った。 なんか色んなことがあるたびに自分の中では曲作りの自由度が高まって行ってるなと。 年齢的なものもあるかもしれないが、「こうでなければ」って自分で思い込んでたものも段々少なくなってきたし。 あとは、パフォーマンスもね弾き語りの時に皆さんに楽しんでもらえる方法みたいのはなんとなく自分なりのスタイルを見つけたかなとは思う。 詳しくは書かないけど、ちょっといくつかの出来事があって、心境に変化があったというか「自分の存在感を認めさせたい」とか「かっこよく見られたい」とかよりも、その場にいる人たちが楽しい気持ちになったり束の間でも幸福になってもらえればと思うようになってきたのね。 それを自分のやりたいように書いた曲やパフォーマンスでどうやっていくかみたいな。 そんで若い音楽人とも多く知り合うようになって、彼らの一生懸命に刺激受けたりね。曲を提供したりとかもあって、色んなことが「らしさ」を軸に広がっていく時期でした。 それが本格化したのが次のディケイドなわけだ。 【2010年代】 前の2010年代に自分の手法とか「らしさ」をつかめたとしたら、この後の10年間はそれをより深めたり幅を広げたりしてきた10年間だろうね。 で、そういうのができてくると割となんでも受け入れられるというか、例えば昔の歌謡曲みたいの作ってみたりとかジャズっぽいことやってみるとか、色々やっても「オレです」って色は出せるようになったと思うので「誰々みたいな」ってわざわざこっちから寄っていかなくてもいいみたいな。 むしろなんかを受け入れて一旦自分を通して「オレ色に染めた」という状態にできるので、パロディとか「ゴッコ」にならずに色んなこと楽しめるので面白くなってきている。 で、書く曲はさ、ものすごく単純化してきてるんじゃないのかな? これはちょっと自分ではわからないけど。 そしてこの辺りから、自分が聴きたくて書いている曲を披露して、それを本当に気に入ってくれる方もチラホラ現れてきた。 これが本当に嬉しい。 決して大人数ではないけれど、何もない状態から自分の発想と技量で作り出したものが第三者に受け入れられるってのは実に幸福な気持ちになるものですよ。多分ね、音楽やり始めた時にはまだ生まれたばかりみたいなもんであんまり経験もないから「女の子にモテたい」とか「好きな子の気を引きたい」って思ってやってたことって、要するにこういうことなんだろうなと。 「自分の存在というものを何かの形で、社会の中に受け入れられたい」っていうのかな? なんか自分で最近思うのは、それこそやり始めた頃に「こんな感じの曲書こう」とか思って頭の中ではできてるのに実際にはモノにできなかった曲を書けるようになってるのかもなって。 まぁ、ちょっと直近の10年ってのはあんまり客観的に判断できないんだけど、「生活してりゃ勝手にアイディアが浮かんでくる」って状態になっている今現在ってのは、なんだかんだとこういう短くはない年月の蓄積があってのことなんだろうなとは思う。 あんまり他の人には気づかれないと思うけど、今だに曲作りの中で「コレは自分にとっては初のことができたぜ」ってのがあるんだよね。昔やってみて失敗したことができてるとかさ。 40年前に何気に思い浮かんだ「ずっと曲書いて歌っていきたい」って、結構ご大層なことだったんだなって(笑)
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