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海月屋・辻正仁『短めでお願いします』

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忘れられていた珍曲

んーと、骨折して入院してたのって何年前だったっけ?

とにかく、その入院中にお見舞いでウクレレをいただいたのね。
で、ちょっと練習とかもしてたんだけど、久しぶりに取り出してみたら、ケースの中に何やらメモ紙がありまして…。

そーだ、すっかり忘れてたんだが、そのウクレレの練習がてらに曲を書いていたのだった。
退院後にもちょこちょこやってたんだが、仕事復帰とかなんとかで忙しくしているうちにすっかり忘れておった。

安直な発想なんだが、初めてウクレレで作曲するのでハワイアン調がいいと思いながら書いていたのでした。

ちなみに、ウクレレは再度練習が必要だった(笑)

で、その曲なんだけど、非常に短い曲なんだがちょっと歌詞がまだ保留してる部分があったりメロディーがどんなんだったかなって箇所があったのね。

それをちょちょっと修正して一応出来上がりました。

いや、こんだけ綺麗に忘れ去ってた曲というのもなかなかないな。
それでもメモとか見るだけでなんとなく思い出せるものである。

まぁ、普段のライブ向きの曲ではないので、これはバースデーライブの時にでもやろうかな?





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右脳左脳が右往左往



何年も前に、アメリカで結構名の知れた脳科学者が脳卒中になった体験記みたいのが出ていて「いずれ読もう」と思っていたんだけどすっかり忘れてたのね。

多分7,8年前だと思うんだけど、それを夢で見まして。
なんか本屋で本を探してる時にソレを見つけて「あ、これ読もうと思って忘れてたな」って。で、起きてから「いや、これ本当に前に読もうと思ってたよな」とか考えまして。そうなると読んでみたいよね。

ただし、その脳科学者の名前も本のタイトルも分からないのでどうしたものかと思ってたんだよね。このご時世すぐ絶版になってたりもするだろうし。

そしたらさ、「TED」という非営利団体でやっている色んな分野のオーソリティの方々とかがスピーチする企画があって、そのスピーチの動画が観れるサイトがあるんだけど、それたまに観てるのね。

で、その夢を見た日に、そのサイトである女性が出てくる動画を観まして。
自分が脳卒中になった時の体験を話している脳科学者でした。

ジル・ボルト・テイラーという方でした。
名前をクリックしたら動画が観れると思う。

それで「あ、この本を読めってことだな」と思って、名前で検索したら著書名がすぐ見つかった「奇跡の脳」ってタイトル。そしてありがたいことに絶版にならずに文庫化されておった。

動画の内容をもっと詳しく書いてあるんだけどさ。
なんちゅうか、まず左脳の言語中枢とかがダメになって、一時左脳がほとんど機能していなかった方が、こうして本を書けるまで回復しており、なおかつ脳科学の現場に復帰しているというのが驚きだ。

そういうのも、なぜそうなれたかってのがちゃんと本に書いてあるんだけど。

次に驚くのが、さすがに脳科学者というかなんというか、自分の脳から出血し始めた事態になってから次第に事態が悪化していく様子(言語が認識できなくなり、やがて自己認識すらできなくなる。物事を論理立てて思考することさえできなくなる状況)を冷静に観察しているのですよ。

で、なんで読んどけって事になったのかってのはさ、多分、この方が左脳が機能停止しちゃって先述のように論理的思考や自己認識できない状態になって、外界を(まぁ自己と外界を分離して認識することができなくなるんですが)右脳側のみで認識しているあるいは感知する世界というのが、瞑想やなんかによって起きる現象と酷似してるっていうか、ほとんどそのものなんだよね。
だからどうしたって話は長くなるんで省略するけど、自分にとっては以前から考えてたことの結構な裏付けができたというか、そんな感じで幾分興奮しておる。

まぁ、興味があればご一読を。

そんな中、もう12月になる気満々の世間であるが、年内のライブはあと2本でございます。

恒例の500Lと、そして年内ラストは復活しつつある、かまゆいとご一緒のやつ。

ここんところ、ライブで常に新曲を披露してるんだが、実は今年は例年より豊作でございまして。
残り2本のライブでも何曲かずつまた別な新曲をやるかもね。

2017年12/9(土)
場所:円山夜想<マルヤマノクターン>(札幌市中央区南1条西24丁目ヴィンテージビル地下)

『東日本大震災チャリティライブ 500Lゴヒャクエル vol.23』


OPEN/19:00〜
START/19:30〜
料金:入場無料(振る舞い酒あり!)
出演:kenzzzi(前説) / 32MR / 會田隆也&三原広聡 / 辻正仁 




2017年12/26(火)
場所:円山夜想<マルヤマノクターン>(札幌市中央区南1条西24丁目ヴィンテージビル地下)


OPEN/19:30〜
START/20:00〜
料金:2000円(1ドリンク付き)
出演:なりまつえり / がじー / かまたゆいこ / 辻正仁 



ということでよろしくどーぞ。

そして年が明けると、バースデーライブが待っております。
50曲以上歌うという暴挙に出るので、こちらも何卒。

2018年1/21(日)
場所:フライアーパーク(札幌市豊平区平岸4条7丁目)

OPEN/17:300〜
START/18:00〜
料金:¥2000(1ドリンク付)
出演:辻正仁
クォータータイムショウ:市沢光英 / 丸山昂太





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もともと何を提供するのが誇りだったのか?



最初に断っておくけど
これから書く話は別にモラルがどうとかとかそういうつもりで書くわけではないです。
あくまでも、自分が生理的に不快というか、もっと正直に言えば「なんかやだな」って印象だったって話なんで、そこを勘違いしないように。

だからコレは文句とかクレームとかじゃないよ。個人的に嫌だってことを個人的なこと書いてるスペースで披露するだけなんでご了承を。

ってことで

YouTubeでちょっといろんな動画からチェックしてた時に、本筋と脱線して関連動画みたいなところに表示されてたTVのバラエティを開いたのね、ちょっとした気まぐれで。
そしたら、その番組のワンコーナーで「大食いチャレンジ」みたいなのがあって、大食いタレントと、あと元スポーツ選手とかが飲食店の「大食いメニュー」ってのかな? そこで出してるものすごい量のメニューを制限時間内に食べられるかどうかって挑戦するやつがあってさ。

これ、実際にその飲食店でメニューとして出していて制限時間内に食べ切れたら無料とかって奴なんだけど、とにかく量がハンパない。
1人で5kgとかって量なのね。
なんかご飯の上に焼き鳥とかをびっちり乗せた巨大なお重が出てきて、食べ進めるとご飯の中にさらに唐揚げがゴロゴロ入っているとか、別の店でも似たような仕込みのメニューが出てくる。

それをさ、まぁ大食いタレントは食べきる訳で、それはそれで凄いなとは思う。関心するけど、見ていてなんか楽しくないんだよね。なんか気持ちのどこかで嫌な感触がある。

なんだろうなって思ったんだよ。
まぁ、食べ切れなくて残したものは捨てるだろうけど、別に食べ物を粗末にするとかそういうのはいーんだ。勿体無いとは思うし、ちらっと貧困に喘ぐ国のこととかも思い浮かべるけど、それはこんな番組にケチつけてたってしょうがないから。
そもそもスーパーとかに大量に食材が売られていて、そこで売れ残って捨てられる分だけで、世界から飢餓がほとんどなくなるくらいの量だっていうんだから、そういうのは生産とか流通とか経済のシステムごと変えなきゃならん話なので、見える場所で食べ物が勿体無いからってことで貧困国を持ち出して文句つけるのはちょっと違うだろうと思うのさ。

なので割とTVとかで食べ物が粗末に扱われるのを見てもこれほど不快になることはなかったんだよね。

それで、なんでこんなに嫌なのかなって考えたんだけど、まぁ一つは食いきれるかどうか分からない(おそらく食べ切れない)量の食い物に「挑戦する」って姿勢が嫌なんだよね。
美味しいとかたくさん食べたいとかで食事するんじゃないってところが、自分の性分に合わない。
食を楽しんでないだよね。勝負を楽しんでるかもしれないけど。

それで食い物を貪って「食い切った」とか「ダメだった」とかって言ってるのが、なんか下品だなって思うのよ。
腹減ってようやく食い物にありついた奴が飯をがっついてるのとはワケが違う。

更に、コレ番組の企画で特別に作った大食いメニューじゃなくて、飲食店で普段から出してるメニューだってところに引っかかったんだよね。

店の方で、絶対に食い切れないだろうってな量の(実際にメニュー紹介する時に「今まで完食成功者は居ない」とか言ってる)メニューを作って出して「食べ切れたらタダ、ダメなら1万円お支払いください」みたいな事をやってるんだよね。それもちゃんと美味しい料理を提供してる店でやってるんだよな。

そこがなんか嫌なんだよね。
自分の店で出す味に誇りがあるなら客が喜んで食べて残さず食べてくれたってことが喜びになるべきなんじゃないかと。
そもそも料理を人に出すってのはそういうものじゃないかと思うのね。
それで喜んで食べた方が対価として料金を支払うワケでしょ?

それが、絶対に食べ切れないだろうって量のもの出して、食べ切れなくてお金をもらうって仕組みの「ゲーム」として料理を提供してるのが生理的に抵抗がある。
だって、丹精込めてとか、それなりに試行錯誤して作り上げたレシピとか厳選した食材とかそういう事を、最終的に食べ残して捨てる事のために費やして料理してるんだよね? 
なんか、そこに料理店の「誇り」が感じられなくて嫌なんだよな。

まだ若い頃にさ、仕事の時に毎日昼飯を食ってた喫茶店があって、そこでオレはほっとくと毎日同じもの食うからってんで、店の人がオレの身体の事とかも気遣ってくれて、勝手に毎日同じ料金で違うもの食べさせてくれてたんだよね。
喫茶店の定食とかだから、特別に味がどうとかとか食材がどうしたってものではないけど。まぁありがたかったワケですよ。

で、その店が閉店することになって、たまたまオレが最後の客だったんだけど、その時に店の人から、俺が毎日うまそうに全部食って行くのが嬉しくて、明日は何出そうかって考えるのが楽しかったみたいな事を言っていただいたんだけど…。

なんか、本来飲食店をやっている人の誇りってそういうものなんじゃないかなって思うんだよね。
収益を上げるためとか企画で客寄せしなきゃならんとか、いろんな事情はあるんだろうけど、食べきれるかどうかに挑戦させて食い切れないどころじゃない量の食い物出して、失敗したからその量の文の料金取るってところに、食としての喜びも料理人としての誇りも何もないような気がする。

そういうのがちょっと寂しいな。

コレ、音楽でも似たようなアレだと思うけどね。
CDに特典つけるのはファンも喜ぶだろうし、それで売り上げ伸びるならそれはそれでその対象への一つの評価だから文句はないけど、決してその音楽が聴きたいから売れてる訳ではないよね。ひとつのゲームアイテムとして音楽が使われてるみたいな。

100万枚売れても100万人が音楽そのものを評価してる訳ではないっていう。
実際、特典付きの音楽だってそんなに悪い内容じゃないものだってあるだけにね、それを作っている人たちはどういう気持ちなんだろう? ってなことをふと考えちゃうな。
















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ここ最近のアレコレ

また日記の更新が空いちゃった

んと、ちょっと前になるが、大阪の高校でもともと頭髪が茶色っぽい子に「黒く染めてこい」と指導して、その子が学校で色々文句を言われるんで不登校になったって話。
修学旅行とかの学校行事にも参加させないなど「いやがらせ(まぎれもなく嫌がらせだ)」があったりして、その生徒の親が訴えてるってやつね。
未だに学校ってのは生徒の個性を尊重しないんだな。基本的に、1人の人間の姿形を否定するってのは個性を育む以前の問題だ。
ってかコレ、人権問題でしょうよ。
しかも、この子も黒くしようとしたけど線量が体質に合わずに皮膚を痛めたりもしてるらしい。

これはもう、規律を守らせるとかそういう問題じゃないんだよ。単に学校が生徒一人一人に気を配ろうとせずに、まとめて管理しちゃえって発想だよね。


しかも、染めてこいと指導(コレ、指導じゃないよね)してる理由が「茶髪の生徒がいると学校の評判が悪くなる」って、もう教育的見地でもなんでもないところが呆れる。
結果として学校の評判は随分悪くなったと思うし、このニュースは海外でも紹介されてるので、日本の教育の評判も落とすことになっている。
さらに「留学生にも髪を黒くするように指導している」という話だったが、本当に留学生が居てそんなことやってるなら人種差別問題だろ。

ここの学校の人たちってどんな教育受けてきたんだろう?



「かまゆい」こと、かまたゆいこ がぼちぼち復活ってことで、オープンスペースでのライブを覗いてきた。
結構大きな病気で療養してて、まだ完治ではないんだけどね。歌えるようにはなっているのでこれから徐々に活動も増えていくんではないかと思う。
何より、本人が楽しそうでよかった。
今回はバックににノリさんのピアノと、パーカッションで出田さんがサポートしてたんだけど、この2人の演奏だと、かまゆいの曲がグレードアップするな。
非常に心地よいアレだった。
本人が療養中に書いたという新曲もよかった。

えと、かまゆいとは12/26にライブでご一緒する予定なので、ぜひ。


10月だったかな? 近所に弁当屋がオープンしまして。徒歩2分。
非常に便利なのだが、このほどおかずのみ単品でも販売が開始されたのが嬉しい。
ご飯大好きなので、弁当屋のご飯だけだと物足りないのだ。
調理器具はないのだが、飯は炊けるのでおかずだけ購入してご飯炊いていただけるよ。
コンビニとかスーパーの惣菜よりも安くてちゃんとしているのでありがたい。
充実の食生活である。


ところで、この時期って毎年こんなに寒かったっけ?
って、毎年思っている気がするけど…。







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そろそろ腰も回復方向

昨日はライブでございました。

初めましてのお二人に挟まっての出演。

なんかこう、三者三様でもあるしなにかしらの繋がりを感じないでもないという、いつもながらのマスター宗ちゃんの絶妙なブッキングであったと思う。

で、ですね

数日前から腰を痛めておりまして。
まぁアレですね、普段から腰痛持ちではあるんだが、何度かぎっくり腰をやって以来クセになっているようで、ちょっと厳しい状態になる事がある。

まぁ、随分と治まって来た状態でったので、無事ステージを終えましたけど、途中で「ウッ」って状態になった部分もお楽しみいただけていれば幸い(笑)


〜 セットリスト 〜

楽な気分で
自画自賛
孤独の雨
天使
ソファー
さすらう


で、今月は色々立て込んでおり、次回ライブは12/9の『500L』に出る予定。
あと、年内はもう一回12/26が歌い納めってことになるかな?

年々、年を追うごとに一年が過ぎるのが早くなっている気がするんだが、そのうち大晦日が済んだら再来年になってたりするんじゃなかろうか?









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なんとかセミナーとかなんとかセラピーのお知らせについて思うこと



よくSNSとかでイベント事のご招待をいただく。

まぁ、自分でもライブの時などに皆さんに送っているのだけれど。

一個イベントとしてライブの日程やら場所を入力しちゃって、あとはそれを各個人に送信するので送る側としては便利な機能ではある。なんていうんだろ? 公に告知するのと、個別にメールでお知らせするのの中間くらいのものかなと捉えているのだけれど、受け取る側ってどういう印象なんだろうね?

個々のメッセージとかはないので、温かみというか人情味に欠けるものという印象を持たれるのかな? とも思うけれど、正直みなさんに一個一個メッセージを送るのもなかなかな作業ではあるし、そこにまた返信を気遣わせたり、その返信に対してまた返信する状況になると、双方が時間を割くことにもなっちゃうなとかも考える。

個人的には、そうしたご招待を送信されてきても、自分も送ることのある立場であるから、その「温かみ」とかそういうことに関しては悪い印象はないんだけどね。
こういうSNSならではのデジタルベースの交流方法だと思っているので。
これが受けるオンリーの方とか、インターネットでのやり取りよりも手紙や電話での連絡方法に馴染みのある方だと、ちょっと無機質な印象になるかもなってのはなんとなく考えちゃうね。

さて、そういう場所でですね、なんか自己啓発系のセミナーだとか、ニューエイジ系とかスピリチュアルっていうの? そんなイベントだとか、カウンセリングめいたものやら、もうちょっと新興宗教っぽいなんちゃらとかのお誘いをいただくことがある。
お誘いじゃなくても、そういう催しやら主催側に関与してるとか、あるいは体験して良いと思った方が、大元の宣伝告知をシェアして拡散しているものが目にとまったりもする。

facebookに関して言えば、たまに自主的に設ける「ネットを断つ日」以外は日に数回見るんだけど、1日に最低でも2回くらいはそういうのを見かけるのね。

でさ、そういう告知みたいのをアップしている方の共通点ってのがあって、あくまでも自分が見る限りだけど。
みなさん、そのイベントとかのお知らせだけなのね、場所日時簡単な内容の紹介みたいな。たまに「前回行って大変良い体験をしたので、みなさんにもおすすめ」みたいなコメントは載ってるけど。

どっちにしても、それ以外の日常でその方がどんな事があって、それについてどんな考えを持ってるとか、どんな態度で生活してるとか、そういう「普段のその人」がわかるような書き込みを見た事がないってのが、共通する特徴でして。

単純にそれだと効果ないよな〜って思うのね。
いくら自分がそれに参加して良かったから勧めたいという気持ちがあっても(それ自体は否定しないですよ。僕は参加しないけど。)、単純にその集まりのお知らせしたって、興味持たせられないと思うんだよね。

そこに参加だか所属している本人が、普段どんな生活ってか、まぁたとえば道を歩いていてなんか景色見てこんなこと感じたとかさ、仕事でこんな事があってこう感じて笑いましたとかさ、そういう、その人が普段楽しかったり生き生きしてたり、充実してたりするような意識とか空気とかで生活してる様子ってのかな? 要するに、SNSを眺めている人が、その送り手が魅力的に見えるってか、楽しそうにしている様子が伝わった上で宣伝があれば「あ、この人が毎日楽しそうに暮らしてるのは、こういうのに参加してるからなんだ〜」ってな印象を持つと思うんだけどね。

これ別にスピリチュアルとか自己啓発とかってなものじゃなくてもさ、例えば誰かがギターのカタログだけ見せに来たって、俺はギターに興味持たなかったと思うんだよね。
それ持って楽しそうに演奏してる4人組とか見て、それが魅力的だったから「ギター持てばあんな楽しいのか」って感じた訳だから。

なんかそれが、「毎日ワクワクして生きられる」とか「みんなに愛をとどけましょう」みたいな文言が書かれたイベントとかの宣伝だけしていて、実際に楽しそうにしてる普段のその人がわからんのじゃ意味ないってか、「このイベントって効果ないんじゃん」って思っちゃうんだな。

正直、「参加者をいい気持ちにさせて依存体質にして、カネ集めに動かしてるんじゃないのか?」とか疑ってしまう。申し訳ないけど。

また結構な値段するんだよそういうのって。

で、主催してる人のブログ読んだりとか出版物読ませてもらったりすると、少年時代から触れている音楽や映画や小説が示唆していることとそんなに変わらないっていうね。

それだったら、俺はジョン・レノン聴いてリチャード・バック読んで、『ブルース・ブラザーズ』観て、公園を散歩して自前の楽しいこととかバカな考えを書き散らかしたり曲作って歌うよっていう。で、そんなことやってると特にそういうイベントとか行かなくてもちゃんと興味深い人に会えたり、いろいろなことを教えてもらえるよっていうのがあるんで。

俺がもしああいうイベントの主催者なら「アナタが何者なのかを表現しなさい、表現できる自分でありなさい」って言うけどな。
それがうまくできない人が集うのなら、そのやり方ってか実践できるようになる手伝いだかをするものでしょ?

ああいうものが何を広めたいのかって言えば、本来はそういうことでしょ?

それをやらずに宣伝だけしてるのって、どうなんだろう?













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