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海月屋・辻正仁『短めでお願いします』

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ここ数日のアレコレ

まずは、『円山海月〜MaruyamaKurage』の7月号、無事7月内にギリギリ更新できましたよ。
今月はお休みって事になって、自分のライブ動画でお茶を濁しているのだが…。
本当は、ちゃんと予定してたんだけど、ゲストと自分と店の都合がどうにも調整つかず、さらに代案でちょっと収録も試したりしたんだが、結果とても公開できる内容ではなく(笑)。いや一時的に流れるだけなら自分の事だけ考えればどうでもいいのだが、流石にその場にいた人たちのこと考えたり、しかもそれがずっとアーカイブとして残される事を考慮すると後悔しないほうがいいなと。
結構酔っ払って盛り上がっちゃってる人たち(主に女性)の、微笑ましい姿や発言(『醜態』とも言う)が網羅されてたもので。それも編集でどうこうできるレベルではなく(笑)。


次の話題

たまに面白い夢とか見るとここで紹介したりしてるけどさ。
今回は面白くない夢。というか不愉快…ってか気が滅入る夢を見た。

昔のお知り合いの方が登場しまして。今はまったく交流がないんだけど、かつてはそれなりに深いと言える繋がりが会った方。
その方がですね。オレに対してひどい事をするんですよ。
なんちゅうのかな? こちらの自尊心を故意に傷つけて(傷つけると言うよりも破壊すると行った方がいいかも)、嘲笑うという… もう目的がオレを愚弄して貶めることでしかないような行為をされまして。
あくまでも夢の中でね。

目覚めてからもダメージがひどかった。夢とわかっていても、それでもだ。その、行為を受けたダメージプラス「なんでこんな事をしなくちゃいけないの?」という気持ちが湧いたのが、愕然とするというか途方にくれるというか、とにかくやられた。
なんだろう? 今はどこで何をしているのかまったく知らないけど、まるでその人がどこからか憎悪を念を送ってきてるんじゃないかと思えるような。なんかの呪術でオレを攻撃してるんじゃなかろうかみたいな気分になって、それがまたコチラを滅入らせる。
実際に、その方にそんな事されたり言われたりする覚えはないからね。

でだ、さらに滅入るのは、これはあくまでも夢なんで自分の脳みそでそういうものを作り出して見ているんだろうねきっと。そうすっとさ、自分で自分の自尊心にダメージを与えてるってことになるワケで、オレはオレにそんな事されたり言われたりする覚えもないんだよな。

アレは一体どこからやってきた何なのだろう?


最後にもう一つ

先日ちょっと書いた、読もうと思っていた新刊のひとつ、伊坂孝太郎の新作を読んだ。
「グラスホッパー」「マリアビートル」に続く『殺し屋シリーズ』の新作だった訳だが、過去2作とは毛色が変わってまして(と言ってしまえば、1作目と2作目も毛色は違うのだが、より大幅にね)。
最初はなんか多少違和感を覚えつつ読み進んだのだが、それが後から効いて来まして。
後半のほうで、非常に間抜けな空気で笑える部分で、もちろんニヤニヤしながら読んでるんだが、同時に涙腺が緩むという… 「おかしみ」ってやつかな?
殺し屋の話なのに、ちょっと切なくて、でも心温まる爽やかな読後感を残すと言う、まぁ伊坂作品の好きな部分なんだけど、そういう一品でした。
お話としては前作の「サブマリン」の方が好みだったけど、コレはコレで良し。
んで、もう一冊別な本を読み始めたところなんだが、まだ最初の部分だけど、コレはちょっと期待はずれ感が満載。
この前紹介した再読した小説と似たような感触だな。
核となる部分は嫌いじゃないけど、ストーリーテリングがイマイチかも。
とりあえず読み進めてみる。



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急遽決まりました

え〜と、8月の11日に急遽ライブが入りまして。

BlueMoonのブッキング業務に転職しましたイッチーこと市沢光英君からオファーをいただきまして。

なかなかに日数に余裕のないお誘いでスケジュール的にどうかなと思ったんだが、なんとかなりそうだったので、まぁ転職祝い代わりに歌わせていただくことにしましたよ。

当日はおそらく駆け込んで行って歌う感じになると思うけど、よろしくです。

2017年8/11(金)
場所:音楽鑑定舎 BlueMoon(札幌市中央区南1条西13丁目317-3 フナコシヤ南1条ビル2階)


OPEN/19:30〜
START/20:00〜
料金:¥2000-(1ドリンク付)
出演: KIM/ 辻正仁 /西条公敏 / 山口孝司


そして翌週のこちらもよろしく


2017年8/18(金)
場所:円山夜想<マルヤマノクターン>(札幌市中央区南1条西24丁目ヴィンテージビル地下)

『ふたりのピッグショー』

OPEN/20:00〜
START/20:30〜
料金:¥2000-(1ドリンク付)
出演: Tomomi / 辻正仁









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用は済んだ

「わすれてた事を思い出すシリーズ」はまだ続いているようで…

ちょいとリフレッシュしに、本を抱えてとある場所にこもって来た。
本当は読みたい新刊がいくつかあったんだが、まだ発売されておらず、得意のジュンク堂内をフラフラしていて、多分20代の後半の頃に読んだであろう小説が目に止まって、それを再読してみることにしてとある場所に持ち込んだ。

ん〜と、初めて読んだ頃はなんとなく「ふ〜ん」と思ってた程度でさ、あんま印象に残ってないってか、正直小説としての出来は大したことはないと思ったんだよね。一応世界的なベストセラーだったはずだが。

ま、結構メッセージ性が強いってか、それを伝える手段として小説の形をとってるだけなんでその辺はまぁい〜んだけど、小説として大した事ないので、覚えてなかったんだろうね。伝えたい事の大まかな部分は嫌いではない。

ま、なんか目に留まった時にね、これ読んで人生変わったみたいな話をしていた古い知り合いがいたもんで、それがふとよぎりまして。
その知り合いとこの小説の話をしたのが10年くらい前だったかな?
その時は、その人が非常に大切に思っている小説だと思えたので、ほとんど内容覚えてなかったけど、話を合わせてたんだよな。「小説としてつまらない」とか言って、せっかくの「好きです!」って思い入れに水差すこともないでしょう。

で、今回そんなこんなを思い出しながら「そういえば内容ほとんど覚えてないな」と思って手にした次第。

うん、小説としてはまったくダメでした(笑)。

もうちょっと物語がしっかりしていれば伝えたい内容自体は面白いと思うんだけどね。

えと、主人公がある出来事に巻き込まれて異国の地で奇妙な体験をしながら段階を踏んで意識が変わっていくみたいな話なんだけどね。
それがさ、その主人公の体験ってのが、昔読んだ時は「こういうことがあったら面白いな」と思ってた気もするんだけど(なんせ当時のことはほぼ忘れているから、印象もなにもないんだけど、最後まで読んだ記憶はあるので、多分、そこらへんが興味を引いたんだろう)、今読み返すとほぼ完全に内容忘れてたんだけどさ、「あ、この感覚はオレも経験したな」とか「あ、あの時のアレはこういう状態だったな」って思い当たる節があったのね。
全部じゃないし、繰り返すが小説として物足りないので逆に書いてることがそういうリアリティというか自分に引き寄せて解釈できる訳じゃないんだけど。

でもまぁ、読んでて「あの時の自分はこうだった」みたいのを改めて解釈できたのがよかったかな? ついでに、そういう事を忘れてたなってのが思い出せたのが良かったかも。ちょっと今、それを踏まえとくべきだなってことに思い当たったので。
「この感覚は持っておいたほうがいいな」みたいな。

なんかこう、不思議な感じだね。物語がチンケだし読んでて感動も興奮もしないんだけど、淡々と自分の事を思い出して「あぁ、コレ忘れてたな〜」みたいな感覚で読んでたという。

こうやって事後に考えてみるとさ、昔読んだのって今回読み返して自分の事を思い出すための伏線だったんじゃないかなって気がしてくる。
「言ってることは嫌いじゃない」って事だけ当時インプットされて、必要になった時にそれだけを理由に手に取ったってのがね。

ま、この本の役割としては「自分の感覚を思い出すこと」しかなかったんで、帰りに古本屋に持って行ったよ。








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無視できない存在


地球を支配してるのは人間だと思う?

オレは虫なんじゃないかと思ってるんだけど、どうだろう?

まぁ、一言で「虫」と言っても種類は様々なんで、哺乳類と比較してみよう。
それでもやはり「昆虫類」の方が多種であり個体数も多いらしいよ。
多分、昆虫と「脊椎動物」って比較でも昆虫の勝ちだと思う。

あとは「支配」ってのがなにを意味するかって問題もあるけどね。

おそらく人間以外に地球を「支配」するって感覚はないだろうし、そんな気もないだろう。
その上、人間ってのは地球の環境をもっと都合良くしようとアレコレやってみるが、それが地球のお気に召さない度を越したものになるとしっぺ返しを食らってアタフタしている生き物である。単に個体がある程度大きくて、数もそれなりにいるから目立っているってのと、そういう生物としての繁栄具合だとか何だとかを気にしてるのが人間しかいないってところでの価値基準の判断だからね。アテになるもんじゃない。

「脳が最も発達してるから素晴らしい」みたいな考え方って、脳が発達してる生き物以外には何の意味もない話で、生物全般で言えば、単純に人間という生物の特徴が「脳が発達してる」ってだけの話で、「鳥が空を飛べる」とか「魚はエラ呼吸する」とかと同等のもんでしかないだろ。

要は生存能力みたいなことかと思うんだけど、そこで昆虫ってのは、爬虫類が繁栄してた時も、哺乳類が繁栄してた時も、いつも多種多様な生態を持って絶滅することなく生き続けてるのである。
しかも、体長の水位はあっても、能力的には太古の昔からそんなに変わっていないようだ。

ってことは、地球がいかなる環境になっても、それに適応できる生態システムを持っているってことだよね?
どうなっても生き延びれるんだから、地球環境をどうしようなんてことは考える必要もない。

だって、人間がわんさか増えて、その発達した脳みそのおかげで人工的な環境となった都市部でも平気で生きてるもんね。

でさ
子供の頃はこの時期になるとそこら中にいたバッタとかクワガタとかは流石にみる機会が減ったけど、その代わりに子供の頃には見たことのないような姿形をした虫を見かけるようになった。

もしかしたら、都会の環境に適応した新種というか進化形態なのかもしれない。または環境が変化しているのでかつては北海道にいなかった種が入り込んできてるとか。
まぁ、環境だけでなく、流通が盛んになってるから、その荷物に混じってやってくるってのもあるよな。「ヒアリ」が最近話題だけど、そんな感じで。
あるいは、放射能だとかなんだとかの影響による突然変異かもしれないし、今あげた原因の全てが混在しているのかもしらん。

妙に細長いハチとかさ、変な色したコガネムシみたいのとか、縦に平べったいのとか…

でさ、地球外に高度に失火した生命体がいたとして、地球を観察してるとしましょう。
そうすると彼らは地球人の活動とかも観察するんだけど、それは鳥が飛んでる、魚がエラ呼吸してるとかと同じ特徴として「ヒトが発達した脳で活動してる」ってだけの判断で、色々観察した結果「地球は昆虫という生命体が繁栄してる惑星だ」って認識するんじゃなかろうかと…

というのが、今朝乗ったエレベーターに見たことない姿形をしたでかい虫が這い回っていて思わず「うわぁぁぁ〜」と声をあげてしまってから考えたことでした。



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あの頃のまま(by ブレッド&バター)



探し物をする時って、大抵目的以外の諸々が見つかる傾向にある。

で、今回、高校生くらいから20代半ばにかけて書いていた雑文みたいなもんが発掘された。
多分、以前にまとめて処分したつもりになっていて、処分し忘れたものが一かたまり残っていたのだろう。

ノートだったり、チラシの裏に書き殴ったのだったり、メモ用紙の切れ端みたいのだったり様々。
学生時代に手書きの下らない新聞(ネタみたいなエッセイとか、自分の好きな映画やら本なんかの紹介を書いてる)の原稿とか、シナリオか小説のプロットらしきものとか、なんかのライブやるときの企画書めいたものとか、あと特に発表するつもりもなく書いた駄文の数々。

他に、歌詞とか散文詩なんかもあったんだが、それはまた別に保管したり処分したりしている。

何ちゅうか、記憶してるよりも随分多く文章を書いていたようだ。
こういうのって発見されると多少記憶が蘇るんだが、実際には今回発掘されたものの3倍くらいは処分しているはずなんだな。

でだ、自慢じゃないが字がヘタなもんで、しかも走り書きのようなものが多いので、なかなか何を書いたのかが判読できない(笑)。
一応、読み取れる言葉と薄らぼんやりした記憶を頼りに、内容を思い浮かべて見たんだが、いずれも下らない文章だ。ってか、今も昔も変わらず下らないことを思いついては書くのが好きなんで、当然といえば当然。

こうやって忘れかけてたものを改めて見つけて思ったんだけどさ。

本当に書くの好きなんだなって。

誰に頼まれた訳でも金になる訳でもなく(前述の「新聞のようなもの」に関してはコピーして物好きな方が定期購読してくれてた。一部50円くらいだったかな? それで学食でメシ食ったりタバコ代にしてたんだった)、ただ思いつきを書いているというものばかりである。
当時、自分がそうした行為が好きなのかどうかなんてことも意識せずにやってたんだな。
それが溜まると結構な量になる。

無駄の蓄積(笑)

そして、そんだけ毎日のように文章書いていても、一向に字が綺麗になったりはしないものなのだなというのにも気がついた。
「思ったことを書く」という修練(この場合、なんの修練にもなってないが)と「字が上手くなる」ための修練というのは別問題なのかもしれない。

で、そういえば昔は右手中指に結構大きな「ペンダコ」があったんだが、アレはどこに行ったのだろう?
指先にボコっとしたタコがあって、ちょうどペンがそのタコにはめ込まれるような感じの湾曲した窪みが出来てたんだが…

今自分の中指を見てみると、そんな形跡が微塵もないことに気づいた。

今でも相変わらず文章書いてるけど、ほとんどキーボードで入力で、ペン使わないからな。

だもんで、もちろん手書きにすると字はヘタクソなままだ。
そして、文章の内容も下らないままだ。

成長のないまま量だけが増え続けていく。






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暑さにのぼせて思い浮かんだこと


連日暑い。
と、言いながら、実はこれくらいの連日の暑さが好きだったりする。
この「暑い」と言いながらよく晴れた日を過ごしているのがなんとなく。

いや、さすがに札幌に暮らしているから言えることなんだろうけれどね。
年々湿度が上がっているというか、子供の頃にはなかった梅雨のような気候になったりしつつもあるんだが、多分それでも他所と比べれば過ごしやすい方だろう。

というのは前置きで。

先日ふと新しいコンピューターとかスマートフォン的なもののソフトウェアだのなんだのの紹介を見ていて新機能が紹介される度に頭をよぎったのが「そこまでしなくていいじゃん」っていうアレだった。

映像の解像度だの解析料だのとか、本当にすごい技術だと思うんだよね。
CGでも通常の画像処理でももう本当にすごいと思う。
あと、メッセージに動画を送信できるとか、アニメーションを加えたりするとか、ちょっと以前からやってるけど、昔で言うところの「テレビ電話」ってのかな? 映像込みで通信できたりするじゃん? 携帯電話で。あと、腕時計を連動させて時計で通信したりとか。
「ウルトラセブン」でやってたみたいなもんだよね。
その他諸々、子供の頃の漫画やSFに出てきたような、まさに夢のような技術だ。

今や、買い物やら交通機関の改札も携帯電話を翳せば処理できたり、その気になれば家の鍵や電気も携帯から操作できたりする。その内人間はスマホに住むようになるんだろう。

だが、どうだろう?
それで毎日が漫画やSFのように胸ときめくような生活かと言うと、そうでもない。

さっきの映像技術にしても、まぁ特撮映画とかのクォリティは高くなったんだろうが、子供の頃を考えてみると、もっとちゃっちいもので十分にドキドキしながら見ていたんではないかと。

今は多分、映像にしても通信機能にしても、その他、スマートフォンなどの通信機器やコンピューターの機能などは、たいていの人が「こういうことやれたらいいな」って思ってた、その想像のキャパシティをオーバーして提供されているんじゃないかと思う。そしてそれが年々更新されておるような。

一人の人間が求めるもの、必要とするもの以上のものが供給されていて、その技術に合わせて生活していかなきゃならんくなってるような気がするのね。なので、使えば確かに便利かもしれないが、思ってもいなかった機能に取り囲まれて対処しなきゃならんストレスも生まれるだろうなと。

これさ、昔打ち込みで音楽制作できる機械を手にした時も思ったんだ。
ものすごく機能がたくさんあって、自分が発想してなかった音楽が作れちゃったりするのよ。
なんか、機能とか音色とかたくさんあるから、それを駆使しなければならないような気がして、色々とやってみたんだけど、ひとつも気持ちよくない。むしろ気持ち悪い。
自分がどこにもないようなサウンドになっちゃうってか、「機械に振り回されてる感」があって、あとで聞き返しても胸踊るものがなかったんだよね。
それよりも少年時代に友達の家に集まって、雑誌とか空き缶を叩いてドラムがわりにして、ギターとかピアニカとか演奏して録音した拙い演奏の方がよっぽどエキサイティングでクリエイティブな空気を出してるなって発見があったりして。

ちょっと話がそれた。

まぁ、コンピューターにしろ何にしろ、便利さとか快適さを求めてどんどん発達していくのはいいんだが、一つの観点から見ると便利なことって、だいたい別なところで不便さというか「困ったこと」を生み出してるんだって事が経験上わかってくる。

例えばさ、携帯電話が普及した時って、そりゃ便利になったと思った。家にいなくても連絡取り合えるんだもん。移動中とかでも。そこにメール、ショートメールなんてものもできたから、相手が通信状態になくても用件を伝える事ができるし、受ける方も自分の都合に合わせて確認して返事できるから非常に連絡がしやすくなった訳だ。

だけどさ、そのせいで今度は「連絡はつくものだ」っていうのが前提で物事が進むから、処理しなければならない用件が増えた。仕事でもプライベートでも。携帯電話なくてなかった時代には、なくてもちゃんと回ってた世の中が、いつのまにか携帯電話を持っていないと生活に師匠が出る世の中になっていた。

出たくもない飲み会の誘いだって連絡付かなければ「知らなかったんですいませんね」で済んでたものが、断る言い訳考えたり、仕方ないから出席しなきゃならなくなったりとか、連絡付かないからまた明日にしようって感じで対処してた事も今日中に処理しなきゃならなくなったりとか…。そういうのが当たり前になってくるから、より短時間で効率よくってことが求められるようになるし、自分を常にその渦中に置くことになる。

連絡がつくという便利さが、面倒な諸々を生み出したよね。


同じように、この夏のように暑い日が続くと、昔は存在しなかった「冷房器機」というのが活躍する訳だが、これも度を過ぎて供給されているからね。冷房で体を壊すとかさ、どこもここも冷房つけるからたしかに室内は快適かも知らんが、その分の放熱で「ヒートアイランド現象」なるものが生じて、外はますます温度が上がる。

これも前から言ってることだけどさ、多分、人類が「道具」というものを使い始めた頃からそういうのがあったんだろうと思うのね。何かが便利になるに連れて、今までになかった不便や弊害も生まれてきたんだろうと。
そしてそこをどうにか便利にするものを生み出すとまた別の不便が生まれるというのが「文化の歴史」なのかもしれない。

そんで、技術開発というのは加速して多岐に渡って増殖しているもんだから不便や弊害も加速して多岐に渡って増殖している。

人間のせいだけではないにしても「地球温暖化」にもその影響はあるだろうし、効率よくコストをかけずに膨大な電力を供給する仕組みというのが、ちょっとした事故が起きると何世代にも渡って膨大な数の人間の健康というか生命や、環境に深刻な影響を及ぼすってのもその一つでしょう?

今は便利さとか効率の良さが過剰供給されてると思うのね。
多分、快適さと弊害のバランスみたいのがあって、そうすっと、実は結果的に処理しきれない弊害ってものに取り囲まれた生活になってるんじゃないのかなって。

最近よく言われてるのが、技術の発展に伴って、特にAIの台頭とかによって20年後には人の仕事がほとんどなくなるだろうって。

便利で快適な暮らしのために発達させた技術によって、失業して生活に困る人が増える世の中になるんじゃないかって話だと思うんだけど。

きっとね、ある時期までは技術的進歩だとか発展みたいなものが必要だったんだとは思うけど、今はもうちょっと違う方向を目指した方がいいんじゃないかなと思うのね。
そういうアレで人が幸せや豊かさを得ていた時代はとっくに終わっているんじゃなかろうか?

誰もが「便利で効率がいい」ってことと「豊かさ」は別問題だってことを体験していると思うのよ。
本来、なんのためだったか? ってことを考えると、みなさん本当に求めているのは「豊かさ」とか「幸福」とか「楽しい」とかそういう暮らしなんだと思うんだけど、どうでしょう?








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考えてるとバカになる



今日帰りにブラブラ歩いておりまして

非常に満腹感があるな〜と思って、ふと考えてみるとそういえば食事したんだったなと…。

ところがだ

つい数分前だったはずのその食事が一体何を食べたんだったかがまったく思い出せない。
食事の内容どころか、おそらくどこかの飲食店に入って食べたはずなんだが、どの店にいたのかも記憶にない。
ただ、この満腹感は間違いなく、どっかでなんか食ったのだ。

それが果たして蕎麦屋だったか中華屋だったかパスタ屋だったか定食屋だったか…

だいたい食事をとる店も相場が決まっているので、一個一個考えてみるんだが、その店に行ったのがさっきだったか、昨日だったか、先月だったかも定かでない。

まぁ、普段から昨日何食べたかは覚えてないのであまりアテにならない記憶なんだけど、さすがにさっき食ったものが思い出せないのには我ながら唖然とした。

いや、仕事が終わってからメールチェックとかして、一人メッセージ入ってたのに返信しなきゃと思ったのは覚えている。それで、どっかの店に入ってから返信したのも覚えてる。
ってか、ちゃんと送信記録がある。

おそらく、店に入るまでに返信の内容とか考えていて、そのまま返信しながら注文して、その返信から派生した考え事をしながら食って、多分考え事はあらぬ方向に広がりながら、店を出てきて歩いている途中で満腹感に気がついたのだ。

そんなに深刻に考え事してた訳ではなく、なんか夢見てるような感じで考えてたんだと思うのね。
そういうのはしょっちゅうなんで。いわゆる「ぼーっとしてる」というような。

それで気がついたら、なんでこんなとこ歩いてるんだ? ってことはたまにある。
途中で地下鉄乗り換えまでしてるのに意識してなかったり。

そんだけ思考を行なっているにもかかわらず、結果的にはバカの佇まいである。

しかし、食事を覚えていないというのは、年齢的なアレなのかなんなのか。

いやね
多分食事してる時とか移動してる時は意識もちゃんとあるし、そんなに病的なもんではないと思うのよ。単純に覚えてないだけで、その時はその時でちゃんといろいろ判断しているはずだ。
でなければ、毎日ちゃんと帰って、翌日起きて仕事に行ったりできないもん。

ただ何か夢想するようなモードで考え事をしてると抜け落ちるものがあるんだろうな。

それでさ、結局何食べたかも思い出せないくらい、その時自分が何をどう考えてたんだかも思い出せないんだな(笑)

食事は覚えてなくても胃袋に納まって消化されるんだろうが、その時の覚えてない考え事はどこに納められてるんだろうね?







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漫然なるチェックメイト



昔から、ちょっとだけチェスにハマっては、一向に上手くならないままブームが去り、再び興味を持ち始めてルールを覚え直すことからまたしばらくハマってはまた忘れるというのを繰り返している。
かれこれ小学生の頃から。

なもので、未だに小学生の始めたばかりのレベルなんだけどね。
性格的に自分が「こうしたい」と思ったら、相手の駒の動きに御構い無しに手を進めたがるので、根本的にチェスとか将棋とかは向いてないだろうと思うのだが、それこそ子供の頃だと「スタートレック」のTVシリーズでチェスをやってるシーンがあったり、映画の「フェノミナン」とかでチェスやってるシーンとか、そのほかドラマや漫画なんかでもチェスやってる場面を見ると、ちょっとした憧れのようなものが発動して、チェスがたしなめるようになりたいな〜とか思うのね。
それを繰り返してる。

なんか、あのチェスを対戦している二人の佇まいというか空気みたいなのが好きなのだ。

ゲームの内容ってことになると、マージャンが好きだけど。

で、かつて実在した天才チェスプレイヤーにボビー・フィッシャーという人がいる。
諸々あって日本で隠遁生活を送っていた事もあり、その時期に彼を支援するために将棋の羽生名人なんかが動いてたりしたこともあったと記憶している。

彼の事を描いた映画で『完全なるチェックメイト』というのがあったので、観た方もいると思うが、実物もどうやら天才すぎてちょっと「紙一重」な感じである。
なんか映画見たのは結構前なんだけど、ちょろっと思い出して諸々調べてみたりもして…

ほぼ「奇人」の域に達しているであろう。
本人がそういう気質なんだか、チェスというゲームの持つ何がしかが彼の思考や精神に影響を与えたせいなんだかはわからないけど。まぁ、さらに彼は当時冷戦下にあった米ソの政治的な思惑に翻弄されていたようでもあるし、そこもまた繊細な人間の神経を脅かしていたんだろうなと思う。

ちょっと、今現在はチェスそのものよりも、このボビー・フィッシャーに興味があってまた軽いブームが到来中。

といっても、ちょっとした空き時間にアプリのゲームやる程度なんだが…

そして何も考える前に自分の駒はほとんど消失しておる(笑)

なんせ、アバウトに駒動かしてるだけだもんな〜

で、思ったんだけど、こういうゲームってアプリで対戦相手なしにやってても強くなれないねきっと。
負けても全然悔しくないから、失敗に関して反省もしなければ注意深くもならないもん。
おまけに数分の時間つぶしだし。

やっぱり身につけるなら、ちゃんとボードを用意して強い相手と実際に手を合わせてボロクソに負けて嘲笑われないとダメだな。
そして、そこまで入れ込むつもりは今のところない。

とりあえず、ボビー・フィッシャーの諸々を見聞きしてドキドキしてるほうが楽しそうだ。



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消え去っていた言葉



いい季節になってきた。

夏は好きである。
まぁ、札幌に暮らしている分には、であるけれど。

今日は湿度も少なめで、適度に良い風が吹いていて気温が高く、気持ち良かった。
気持ちよすぎて、ちょっと久しぶりの場所に行った後にどこなんだか分からない河原をぶらついて帰り方がわからなくなってしまったが、どうにか無事帰還。

毎年この時期になると、歩きながらサンクスを見つけたら立ち寄って、130円くらいのソフトクリームをゲットして食べ歩きが好きだったんだけどさ。最近サンクスはどんどんファミリーマートになっていくのでね。このソフトクリームがもう食べられないんですよ。
コンビニなんて別にどこの会社の店舗だろうと構わないと思ってたんだけどさ、このソフトクリームが食べられなくなったのが残念。
なんか、昔ながらの安っぽい味が好きだったんだけどな。

で、今日ブラブラとしている時に、小学校低学年くらいの少年とすれ違って、その子がさ、首からヒモに通した家の鍵をブラ下げてたのね。
それ見て、瞬間的に「あ、鍵っ子だ」って思ったのよ。

まだ自分が子供の頃にそういう呼び方があったんだよね。「鍵っ子」って。

それまでは母親というのは基本的に家にいるものだというのが世間的には普通だったんだと思うけど、それが段々と生活の事情やらなんやらで母親も仕事に就く過程が徐々に増えてきた時代だったんだな。
で、子供は学校から帰っても家に誰もいないからさ、鍵を持たされてたんだね。そして無くさないようにヒモに通して首からぶら下げていると…。
そういう「家の鍵を持たされている子」を「鍵っ子」と呼んでいたんだな。うっすらとした記憶だけど、当時はそれが結構問題になってたってか、「鍵っ子は可哀想」みたいなイメージがあった気がする。
家に帰ったらいて当然の母親がいない、仕事に出なきゃならんって状況が、子供が寂しいだろうってのもあるし、家庭の経済事情も段々父親の稼ぎだけじゃやっていけなくなってきたってのが、それまでの家庭のあり方を変えざるを得ないみたいな社会的な問題で話題になってたりしたんじゃないかと記憶しているが、どうだったかな?

今では、むしろ両親が共稼ぎしているのが普通みたいな感じになってるよね。だから保育所、託児所が足りないとかなんとかの問題が出てきてるわけで。経済事情だけじゃなくて、女性が子供を持っても社会で働くのは当たり前みたいな感じでもあろうし。

だから、家に帰って母親がいないってもふつうの事だから「鍵っ子」なんて特別な呼び名もなくなったんだろうな。

自分でも、もう何十年もの間、口にした事も耳にした事も思い浮かんだことすらもない言葉だ。

もう社会からも自分の記憶からも消え去っていたハズの言葉なんだけどね。

それが、これまた何十年も見かけなかったような、首から鍵をぶら下げてる子供見た瞬間に、パっと「鍵っ子」ってワードが出てきたのにちょっと驚いた。

こういうのって、ノーミソのどこに保存されてて、どういう経路で意識に上ってくるんだろうね?

ってか、なんかの拍子で浮かび上がって来るこうした言葉って、いったいどのくらい潜んでるもんなんだろ?


多分、まだまだたくさんあるような気がする。




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相互プロデュース(笑)〜今年もまたあの季節が…



pig.jpg


ってなことで

Tomomiちゃんと打ち合わせしてきまして。
今年も彼女と2マンライブやります。

毎年夏の恒例行事『ふたりのピッグショー』

まぁスケジュールだのなんだの色々ありますんで、今年は例年よりちょっと早めの開催。

どうするこうするってな相談をいたしまして。コラボで何やるとか…。

で、今年はですね、コラボももちろん予定してますが、さらにお互いに相手のステージのセットリストを作ろうってことになりまして。
つまり、Tomomiちゃんがオレのステージの選曲をして、オレが彼女の選曲をすると。
なので、もしかしたらいつもとちょっと毛色の異なるセットリストになるかもね。ならないかもね。

で、まだお互いにちゃんとした形で音源化していない曲を交換してきまして。それぞれ持ち曲も少なくはないので、そっから選曲してくんですが、特にコチラの持ち曲が膨大な数になっちょるので、Tomomiちゃんは聴くだけでも大変かもね。

まぁ、多分どちらも「コレいい曲!」と思うのは皆さんと大差はないと予想してるんだけど、そのなかにちょろっと個人的好みが見え隠れするんではないかと思う。

アレですよ。オレのステージ聴きながらTomomiちゃんのセンスを楽しんだりとか、その逆もまた然りで聴いていただけるんではないかと思う。

そんなわけで、しばらくは選曲をジックリやろうかな。

お楽しみに


2017年8/18(金)

『ふたりのピッグショー』

場所:円山夜想<マルヤマノクターン>(札幌市中央区南1条西24丁目ヴィンテージビル地下)


OPEN/20:00〜
START/20:30〜
料金:¥2000-(1ドリンク付)
出演: Tomomi / 辻正仁





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睡魔です。すいません。

寝不足ではないってか、睡眠時間は十分なハズなんだが…

現在異常なまでの睡魔に襲われておる。

本当は色々とやろうと思っていたことがあるんだが、何も手につかないまま1時間くらい経過しており作業効率が悪い。悪いってより作業効率が0である。ただ寝ないために起きるのを頑張ってるだけだと気がついたので、何もかも放り投げて今日はもう寝る。

おやすみなさい



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気づいた事を気づき直す



この日記って何度も書いてるけど、書き終わってアップしたら自分ではほとんど読み返すことないのね。たまに何か確認しなきゃならん事とかあった時ぐらいで。

で、前に骨折入院したのっていつだったっけ? って思って、そういう個人的なものを確認するのには便利なんですよ。自分以外にそんな事記録してる人もいないし。

それで、弾みでその入院中の日記を全部読み返したりなんかして。

そううっとさ、色々と骨折中とか入院生活で気がついた事とか経験したこととか大まかには記憶してるんだけど、やっぱり忘れちゃってる事も結構あるんだよね。文章読むと感覚思い出すので、無意識には記憶があるんだと思うけど。

で、結構思い出したことが「あ、コレちょっと大事かも」と思うことがあったりして。
書いた時には殴り書きみたいなもんなんで、そんな気持ちじゃないんだけどさ。もしかしたら最近書いてることだって、あと数年すれば「書いといて得したな」みたいな気になるのかもしれん。

この前もなんかそれに近いようなこと書いた気もするけど。なんかどっかの段階から一周してきてちょっと同じものを多少違う角度から見直してみるみたいな時期なんだろうな。


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その努力をバカにはしないが遠慮したい。



なんかよくわからんが、「合コンの必勝法」みたいのがあるらしい。女性側の。
今流行りなのかどうかもわからないのだが、そういう話題があってちょっと聞き耳をたててたんだけど。

要するに、「合コンの席でこういう態度や仕草をすると男性のハートをつかめますよ」みたいなもんだと思うんだが、そういうハウツーみたいのがあって、そしてそれを実践しているような女性は、同性から顰蹙を買うらしい。

まぁ、一度も「合コン」というものを経験したことがないので、実際の現場でどのようなことが行われているのかは知らん。酒を飲まないからというのもあるんだけど、若い頃には「合コン」という呼び方もなかったしね。なんか適当に友達同士で別な友人に声かけて親睦会みたいな飲み会はあったような気もするが、別に男性と女性の人数を調整したりもしないし、居酒屋とかでたまたま居合わせた別の団体と合流したりとかさ、結構自然発生的な「出会い」みたいなもんはあったと思うんだが、なんか「合コン」って恣意的なイメージがあってお誘いがあっても遠慮していた。
苦手な感じがするんだな。事前に準備して「さぁ、交流しましょう」みたいな構えたアレが。もうそれだけで面倒臭い。

別に、そんな事企画してまで知らない人と意図的に知り合う必要があるのかと…。個人的にはその意味がよくわからんのですたい。

しかしだ、自分の好みは置いておいて、中にはそういう会で異性とお近づきになりたいとかいうのを考える人がいてもいいかなとは思う。
で、冒頭の「合コンの必勝法」に戻ると、そういう異性と知り合ってお近づきになって、いい人がいれば交際してとか、いい人がいたら貢がせてとか考えているんなら、その「必勝法」というのは、まぁ身に付けようとする人はいるんだろうな。ってか、それは自分の目的にむかって努力してるんだからいーんじゃないかと思うのだ。
そういうのが目的の会なんだから、そうやって目的を果たそうと頑張っているアスリートに対して、なぜ同性が文句をつけなければならないのかがよくわからない。参加する以上は自分も頑張ればいいんではないかと思う。

なんかその必勝法みたいのをちらっと聞いたが、たしかにそういう女性が近くにいたら、男性として悪い気はしないなと思うのです。少なくとも、男の側だって合コンに参加するってのはそれなりの目的なんだか欲望なんだかがあるんだろうから、楽しく気分良く過ごせる相手に好感を持つのは当たり前ではないかと。

ただねぇ、それを素でやってるのか、意図的になんらかの目的があってやっている事なのかってのはバレると思うよ。
やっぱり気遣いができて仕草も可愛らしいとかは多分自分も好感を持つとは思うんだが、結構その辺は見えちゃう方なんで。なんか、若い頃に経験した飲み会の席とかでも「無理しなきゃいいのにな〜」ってか「この人、なんか腹の底はこうじゃないな」って感じの女性はいたんだよね。男もそれぞれなんで、そういうのも好きな人もいるだろうが、ちょっとこっちとしては苦手だ。

で、「合コン」ってのはなんかそういう「狙ってる人同士の集まり」みたいな印象があって興味を惹かれないんです。ただ、そういうところに参加する人であれば、それなりに作戦立てたり必勝法を身につけたりするのは素晴らしいのではないかと。オレは遠慮するけど。

それで、ちょっと不思議に思ったんだけどさ。
最近って歌とかは「自分らしく生きよう」とか「君は君のままでいいんだよ」みたいな歌が人気あるじゃん? で、多分合コンの必勝法とか考えてる人とかもそういう歌好きなんじゃないかと思うけど、そこはなんか人種が違うのかな?
「自分らしく生きよう」みたいな歌に励まされて生きてる人が「必勝法」とかって世間で普及しているハウツー、いわば他の人が選定した価値基準に従って合コンとかに参加するのであれば、なんかそこには矛盾があるような気がしないでもない。

まぁ、世間の価値基準に染まっていく習性がその人らしさなのかもしらんけど…

とか、飲みの席だと、ダラっとそういう話をしてたい。





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