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海月屋・辻正仁『短めでお願いします』

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放送倫理のくだらなさ


テレビ観てないクセにあんまり言うのもなんだけどさ。

最近テレビに関する2つの話題にちょっと触れてみる。


まずは『日本レコード大賞獲得に向けて裏金工作があった』とかいう話。

え〜と、まずはなんでこれがスクープとして今更話題になったのかが不思議だった。

とりあえず、動いたお金には「プロモーション委託費用(正確ではない)」とかいう名称がついたものである。その実質が受賞するための挨拶なんだか工作費用なんだかなんだろう多分。

そういうのってさ、ずっとあると思うのよ。要するにアレも以前に話したオリコンチャートと同じように、音楽性とか売上だけの評価の指針となるものではなくて、事務所だとかレコード会社とかの力具合とかなんだとかいろんなものが混ざった上での発表でしょ?

ソレを込みでの受賞したとかしないとかを楽しむもんだと思っていた。少なくともオレは、子供の頃はともかく、色々と世間の在りようを知ってからは、そういう感覚で観てたので今更感がある。

音楽に限らず、いろんな賞で(例えば「モンドセレクション」とか)「たくさん金くれたら賞をあげるよ」って構造に近いものはいくらでもあるし、賞を与える側に思惑が絡んでるものだってある。

まぁ、昔はもうちょっと品のいいやりかただったと思うけどね。「今年はウチがいい思いさせてもらったんで、来年はおたくががんばってくださいね」みたいなものもあったろうが、近年は賞に限らず、いろんなものがガツガツしてるよなとは思う。

ごく普通に暮らしていたって「公正な判断、対応のもとで」ってものの中に公正な判断や対応を見つけることの方が難しいんじゃないのかな?

そんな中で音楽賞だけが公正であったとしたら、その方がスクープに値すると思うのだが…。

だから結局、賞がどうしたってあれじゃなくて、本当に良いものをと思うなら、自分が好きなもの食って、聴きたい音楽聴いて、読みたい本読んで観たい映画観ればいいって話じゃん。

そういう判断を自分でしないで「なんとか賞」をアテにするからそれが公正じゃないことに文句言いたくなるんじゃないのかな?

ちなみにオレは、世間で高らかに発表される賞ではなくて、個人が独断と自分の趣味趣向で勝手に選んでるような賞の発表の方が興味深く楽しんで観ている。
例えば、桑田佳祐が毎年恒例で行なっている、「本年のベストテン」みたいな企画とかね。アレで桑田さんが佐野元春を1
位にしたりしているのには、すごく価値があるように感じている。


さて、もう1件は
『TBSのバラエティ特番が放送倫理問題で取り上げられた』という話。
要するに、下品だとか裸の芸人が騒ぐだけで低俗だとかって話。
いいじゃん別に。

さっきの賞のアレもだけど、結局、そういうのを不快に感じるなら観なきゃいいだけの話で、それを倫理がどうしたって話にするのがなんか違和感がある。

テレビに何を求めてるの?

低俗で下品でくだらないのはダメなのか? そう言うのが楽しい人だっているだろう。
該当番組は見てないが、だいたい想像つくんだけどね。裸の芸人が集団でゴチャゴチャやってるのってオレは結構笑える。
その低俗さが面白いんだよ。

あえてそれを楽しみにテレビを観ることはないが、ヘタなドラマとか見てるよりは楽しい。
アレをシロウトが裸になって同じようなことやってもつまらない。芸人を甘く見るな。


そういう視聴者だっているんだよ。

テレビは低俗なものも教養を高めるようなものも全部やれるからテレビなんじゃないのかって思ってるんだけど。
それで、視聴者はそれぞれ見たいものを選べるようになってるし、テレビをまったく観なくたっていい。
そういう条件で放送されてるものに低俗だとか文句言って倫理の問題を出してくるのはどうなんだろう?

「子供に見せられない」とか「悪影響」って、そんなもんテレビの外側にだっていくらでもあるだろう。
見せたくないなら親が見せないようにすりゃいいんだよ。
なんでも自分ちの子供のために存在してるワケじゃないだろうし、世の中がアナタの教育信念に合わせた番組作ったりするワケないだろうと言いたい。

「見なくてもいいものをワザワザ見て文句を言う」というのはどういうアレなんだろう?
不快になるものを自分で選択して、オマエが不快にさせたと言ってるワケでしょ?
ワザとぶつかっておいて「テメェ何しやがんだ!」って言ってるのと同じじゃん。

そっちの倫理の方を問いたい。

もう一つ

バラエティ番組、娯楽の低俗番組に倫理なんか求めなくてもいいけどさ、放送倫理ってことなら、いくら芸能人といえども個人と個人のやりとりのメールとかラインとかの内容を公表して騒いでいるのはどうなんだ? しかもそれも自分らで取材したわけではなく、別の週刊誌の取材内容を紹介してあーだこーだやってるとかさ。
アレの方が裸芸人がウロウロしてるだけよりも教育的にも倫理的にも問題あるだろう。

あと、被災地をヘリで中継しててその騒音が救助の妨げになったりとか、取材に押しかけたことが避難所の迷惑になってたりとかさ。
「放送倫理」ってそういうところで問題にするべきことなんじゃないのか?

そういうのは「観て不快なら観なきゃいい」で片付かないんだし。



まぁ、もしかしたらそういう裸芸人とか文句つけても面倒にならないことに文句つけるのがそういう人たちの娯楽の一環になってるのかもしれないけどね。
それであれば番組以上に低俗だよな(笑)












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語り過ぎ(笑)

昨日のライブは無事終了。

考えてみれば久々の平日ライブ。
そのせいでもないのだろうが、来客数も久々な感じで…。
まぁ、アレか? みんな広島への移動日だったのか(笑)?


先日の声出しにスタジオに行った時にはなんだかタテノリの勢いいいやつばっかり歌いたがってたクセに、本番ではなぜかいつもよりも勢い抑えめな選曲。
ちょっとしばらく歌っていなかった曲と、2日前にできたばかりの曲でお届けしてみた。

〜 セットリスト 〜

光と影
ワルツ
お大事に
まるで詩のように
素敵な君の歌
おやすみ、君は自由だ



さて、前からお互いに顔見知りなのになぜか一緒にライブするのが初めてだった宮津有沙ちゃん。
おそらくどちらかが 出演しているライブをどちらかが見に来ていて共通の知人でも介して知り合ってたんだろう。それもお会いするのは一度や二度じゃないハズなんだが…。

その辺の知り合った経緯を本人に確認してみようと思ってたんだが、どうやら彼女も覚えてないらしい。
お互いに「なんで知ってるんだろうね?」みたいな…。

そして、初めましての迫水秀樹くん。

東京在住のシンガーソングライター
92カ国をストリートライブやりながら回って来たって。
それはさ、とても勇気が必要なことではあるし、さらにある程度バカなところがないとできないことだと思うのだ。素晴らしい。
彼の書く曲の音楽的なスタイルはなんと呼べばいいのかわからんが、ライブで歌っているのを聞いて感じる印象はソウルミュージックだったな。おそらく、彼の経験がそうさせているのだろうと思う。

そして、話をしてみると、非常に好奇心旺盛なんである。とにかくなんでも知りたがるというか、聞きたがる。
札幌の旨いものはどこにあるとか、オススメのスポットだとか、北海道はどういうところだとか、どんな映画が好きですかとか、どんな本読むんですかとかとかとか…
この好奇心が彼の原動力なのかもしれない。

そしてまたこのオジサンは語り好きである(笑)
アレコレと彼の質問に答えるというより、答えのようなものを語り続ける。

本番前も随分話し込んじゃったけど、終了後も有沙ちゃんや本間さんも一緒に小説や映画や音楽や不思議な経験談やゾンビについて語らう。
なんか楽しいひとときでしたが、改めて考えるといささか調子に乗って語り過ぎたかもな。


とか書いてる間に日本ハムが優勝したそうで、おめでとうございます。






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いまだに「リハ」と言うより「練習」と呼ぶ方がしっくりくる。



久しぶりに本域で歌うためにスタジオへ。
なんせライブが入ってなかったのと、元々の頼まれごとのアレコレで、『ふたりのピッグショー』以来まともに声出ししてなかったからね。

長年お世話になってたスタジオが移転で、今後はレコーディング業務になったという事で別なスタジオへ。

驚くくらい声が出なかった(笑)。まぁ、一時間くらい歌い続けてると戻るんだけど。

ほぐれてきたところでようやく本域で歌う。
気持ちよかったというか、なんかやたらタテノリの曲ばかり歌いたがるという珍しい現象になってしまいまして。
昨今書いた曲はそういうのあんまりないので、20代の頃のとか、しまいには3コードのロックンロールみたいなのを即興で歌詞つけて歌いまくる。

ま、今日は声を出すことが目的なんで、何だっていいのだ。

金曜日には久々にライブである。

2016年10/28(金)
場所:円山夜想<マルヤマノクターン>(札幌市中央区南1条西24丁目ヴィンテージビル地下)


OPEN/19:00〜
START/19:30〜
料金:¥2000(別途要オーダー)
出演: 迫水秀樹 / 宮津有沙 / 辻正仁


ってな感じでよろしくどーぞ。

宮津有沙ちゃんは何度もお会いしてるんだが、ステージご一緒なのは初めてじゃなかろーか?
迫水秀樹さんは、完全に初めましてというか、お若いように見えるのだが、世界中を歌いながら回っているらしい。ちょっと楽しみ。

そしてこのオジサンはこのままだと本番でパンクロック歌いそうな勢いだが、多分、当日までにはもう少し収まっているだろう(笑)。





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急に寒くならないようにしてくれないか?


昨日、雪が降りまして、一気に冬の空気になった。
そして気温が極端に下がったように思う。

寒くて腹が立つ。

それはそれとして、昨日は午前中はちょっと天気も良かったのよ。昼から荒れだしたんだけど。

で、朝出かける時にはまだ秋だったので、前日までと同じように出かければよかったはずなんだが、なぜか分からないけどふと冬用の靴を履いて出かけたんだね。ほんと、無意識にというか出来心みたいな感じで。
目的の場所まで向かう途中でも「なんで冬用履いちゃったかな?」とか思ってたんだけど、結果的には正解だったわけで、帰りの荒れっぷりだといつもの靴ではかなり厳しかったと思う。
多分、どっか穴空いてるので、足がとんでもないことになっていたはずだ。

「虫の知らせ」でもないし、なぜ出がけにわざわざ冬用を選んだのか不明だが、ラッキーであった。

それにしても、生まれてこのかた、ずっと北海道で暮らしているにもかかわらず、毎年冬がくることに慣れない自分がいるな。
第一に寒いのが嫌いである。なんか、体も動きが鈍くなる気がするし、活動も制限されるような束縛感があるんだな。
暖房の空気も好きではないが、かといって暖房止めると好き嫌いの問題ではない空気に身を晒すことになるし。

夏のように、ふらっと外に出かけたり、あちこちブラついたりもしにくくなる。出かけるにはそれなりの覚悟と装備が必要になるのが面倒臭い。

でも、昨日なんとなく考えてたのは、だからと言って通年気温の安定している場所、例えばハワイとか年中暖かい場所で暮らしたいかと言えば、そうでもないんだな。

まぁ、札幌に住み慣れちゃってるから、今更他に行きたくないってのもあるかもしらんが。
なんせ、この場所は住むのには一番いい場所なんじゃないかと思っているので。

で、多分、冬のそういう煩わしさというか苦手さ加減ももっと寒い場所よりはマシだし、それなりに都会なので不便さが格別あるわけでもないからね。
夏だって、これ以上湿度があって気温が高ければ結構きついだろうし。

寒くて動きにくい時期、苦手な季節というのがあるのも、まぁ日々暮らす中での「メリハリ」みたいなものがあって、適度に退屈しない刺激になってるのかもしれないなと。

まぁ、できれば初雪が降ってから、積もった雪が溶けて春になるまでの間を2ヶ月くらいにしてもらえないかなと。あと、急に寒くなるのはやめてくんないかなと…

そういうのはどこに頼めばいいんだろう?

さて、鳥取の方面も揺れているとの事で、おそらくしばらく余震に悩まされるのではないかと思う。
熊本もまだ何日かおきに揺れているようだし…

そういうのがさ、なんかその前の事がまだ何も片付いてないのに、新しい情報が一個入ると、その前の事は終わっているかのような感覚になるというか、報道も「今あるトピック」を伝えるから、前の事は触れなくなってくるってのもあるからね。
その辺は気をつけたいなと思った。

もうさ、なんでもそうなんだけど地震とかは「どこかで起きた事」としてではなくて、日本なり地球なりの規模で「自分の住んで居る場所」で起きている事とか、継続して起きている現象として感じていかないと、当事者じゃないからってニュースやなんかで心配したり気にかけたりを繰り返してるんでは、ちょっとうまく言えないのだが「違和感」みたいなものがあるんだな。
なんだろう? それだけだと先がないというか、こういう事に関して気持ちとか暮らしのあり方が突破口を見出せないような…

う〜ん、考えがまとまったらいつかまた。






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How does it feel?(「Like a Rolling Stone」by Bob Dylan)

度々言っているが、この日記は毎回一切の推敲も校正も行っていない。

たまに、ちょっと固有名詞などで気になったり失礼にあたる誤字なんかに気がつけば修正するが、基本的には誤字脱字、文章的におかしなところがあっても、それを含めて「その日の記録」としてそのままアップしている。
要するに、書き終えたら読み返す事なく更新しているのです。

それはそれで楽しんでいただければ幸いと思っているのだgs、それにしても昨日のは酷いな(笑)
まぁ、直さないけど。

まぁ、もしかしたら時代が変われば、こういうブログでの一個人の日記が、しかも誤字脱字だらけなのが功を奏してノーベル文学賞に選ばれたりするかもね(笑)

あの、ちょっと「ディランのノーベル文学賞についてコメントしないんですか?」的なお問い合わせをいただいたので、「ネタ」を与えられたつもりでコメントします。

まず、オレはそんなに大してボブ・ディランに熱中して聴き込んだことがないんですよ。
「ライク ア ローリングストーン」を始め、何曲か好きな曲はあるが、それも主に歌詞の内容ではなくて、まずサウンドが好きなのね。その歌い方とか、言葉の響き方も含めてのサウンドだけど。

なので、歌詞だけを取り上げて「文学賞」と言われても、自分の中ではまったくピンと来ない。

もちろん、ロック史なんだかポップス史なんだか文化史なんだかの中でディランの存在が大きいのは理解している。
歌詞に文学的評価を与えられるのも理解できなくはないし、これまでだってそういう評価はされてきていると思っている。
まぁ多分、彼の何が凄いのかってのも理解しているつもりではあるが、個人的にあまり「あ〜ディランが聴きたいな〜」とか思うことがないんである。
そのクセ、「この人、ディランの影響受けてるんだろうな」と思える人は結構好きだったりする。

それhそれとして

そういうことなので、ディランがノーベル文学賞を取ろうがどうしようがあまり関心がない。

さらに考えると、アレを受賞することがディランにとって特に何もメリットとかないだろうなと思っている。
受賞理由みたいなもは、散々今までのキャリアの中で評価されているし、認識されているだろう。まして、本人はそういう評価や認識を求めてるのかどうかが非常に怪しい。

要するに、今まで評価されてきたことをノーベル賞側が「その評価認めます」と言ってるだけで、それによって何があるわけでもないだろうと…。
強いて言えば、ノーベル文学賞にロックアーティストを選ぶこともあるんですよ。選考委員って結構開かれた見識持ってるでしょ? ってな事しかないんじゃないのかと。

専門的な研究で世の中に貢献したとかの、普段一般の方に見えずらい部門にスポットを当てて、功績を讃えることで認知を高めるとかいうのとは違うでしょ?

散々知られた存在を、その多くの人に注目され影響を与えた理由で称えますって、なんかよくわからん。
ノーベル賞を受賞したからディランを聴いてみようって人がそんなにいるとも思えないし、ディランをいいと感じる人なら、すでに聴いてるだろうって思うのさ。

文学性が高かろうとなんだろうと、大衆音楽である。
権威のある一部の組織から評されるよりも、ライブで客が熱狂する。作った歌をみんなが歌うことが大事でしょ?

なんか、もっとまだ知られてないような小説家だとか詩人で優れた人に賞を与えることで、その人物や作品に多くの人が発見するような選考をするのが「権威」の役割なんじゃないかなと思ったんだよね。

ディランってある意味、もう十分に彼自身が「権威」じゃん。それを、よその権威が「君に賞を与えよう」ってのが、なんかピンと来ないんですよ。

なんか、毛色の異なる権威を評価することで自分らの権威に注目させようとか、逆にノーベル賞に関心のなかった層に認められようってな下心があるんじゃないかという気もしている。

ノーベルさんはどんな気分だろう?
















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時間が空いて痒さに思いを馳せる


頼まれ事月間とかしている今月も前半を終了。

楽しく諸々やらせていただいておる。

がだ

ここに来てある事に気がついた。

実は今月に入ってから首の両サイドに湿疹のようなものができて、若干かぶれておる。痒かったりする。

ず〜っとなんでだろうと考えてたんだが、どうも上着がわりに着ていたワークシャツに問題がありそうだ。

というのは、胃t図からだったか金属アレルギーになっちゃって、ニッケルとかあのへんの金属で皮膚がかぶれる現象があったのね。

ベルトのバックルでお腹のあたりとか、腕時計の…アレも「バックル」というのかな? バンドを留める部分とかの金属でも反応しちゃったり、ニッケルのメガネフレームに反応したりとか。

おかげでベルトも腕時計も身につけないようになった。メガネはチタンフレームにしている。

で、首のかぶれ。

最初は汗疹かと思ったんだが、気温が下がって愛して汗ばみもしないのにかぶれが酷くなるのでへんだな〜と思ってたのよ。
で、だんだん酷くなってくるうちに、その感じが金属アレルギーの状態ににているなと…

んで、さらに気温が上がったんで、最近はフリースの上着にしたんだけどさ。

そうしたら治りつつあって、ひょっとしたらと思ったんだけど、多分、ワークシャツ襟が首に触れて反応を起こしていたんじゃないかと。

安物なんでね。多分繊維の中に何かアレルギー反応を起こすものが混ざってるんじゃないかな?

これはちょっとやっかいだ。

来春に羽織るものについてちょっと考えよう。

という、こっから数日間は頼まれごとの隙間ができて、こういう余計な事を考える時間ができましたとさ。

久しぶりに読書に勤しんでから寝ます。



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蜜月と海月



昨日は東京からシンガーソングライター、拝郷メイコ嬢がやってきまして、ワンマンライブ。

デビュー15周年ということで、ゆかりのある土地でワンマンライブを行うという『蜜月ツアー』の一環でございました。

数年前に来た時にはブッキッングとかお手伝いさせていただいたのだが、ちょうど骨折入院中でございまして、無理やり病院から外出許可もらったという、協力してるんだか迷惑かけてるんだかわからん状況だったんだけど(笑)

今回はPAとして手伝わせていただいた。

まぁ、簡単に言ってしまえば彼女のファンであるのだけれど…

加えて、その15年前のデビュー前後に毎月札幌にやってきてマンスリーでインストアイベントをやってたのね。その時にPAやってたのもあって、ずーっと気にかけてるんだよね。

詳しくは、その入院中の日記にアレコレ書いている。

実はPAやるのも数年ぶりで、カンとか衰えてないか心配だったんだけど、まぁ無事終えることができた。
リハの間に気にしてた部分が幸いなことにお客さんが入って良い具合に変化してくれたのもあって、本番中は思ったよりも気持ちに余裕ができてライブも楽しませてもらえたし。

泣けたし(笑)

ってか、今回ピアノのサポートで櫻田さんとうミュージシャンが参加してたのだけれど(札幌出身なんだって)、彼のプレイが実に素晴らしかった。ちょっとそれにも感動した。

それにしても、毎回ライブを聴くたびに思うのは、「もっとたくさんの人に知ってほしいな」ってこと。
聴けば気にいる人は結構いるはずなんだよね。

そんなわけで、いつになるかわからないけど、次回来た時には皆さんもご一緒にどーぞ。






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無事帰還


昨日は夜中に緊急出動が一件ありまして(笑)

Macやらケーブルやらを詰め込んで某所に出かけて行きました。
無事解決。

そんで、日記書くのはお預けで帰宅後眠りにつきましたが…

その出動の前に、ずいぶん前になくしたものが戻ってきたよとの報告が、本人から。

前日にそんな話は届いていたのだが、直接ご本人から報告を受けた。
ヨカッタヨカッタ。

かれこれ一年近い紛失である。よく出てきたな。

その件に関してはご本人とも結構話したりもしてたんだが、その時に改めて思ったのは、なにか大切なものが突然消えるというのは、往々にしてなにか物事の流れの中の象徴的な出来事であることが多いんじゃないかってこと。

日々の生活って、いろんな事が絡み合ってるわけじゃない?

家族のこと、仕事のこと、趣味のこと、友人関係、腹具合、経済的なこと、不謹慎な思惑 などなどなど、挙げればきりがない。逆に考えると、それらの要素はすべて「自分のこと」としてまとめられるというか、全部が交わったものが「自分」とも言えそうだけど。

とにかく、大切なものや身近なものが消えるとか、異変がある時って、なんかそういう全体の流れみたいなものがあって、そこの滞りなんだかちょっとした加減みたいなもののわかりやすい現象の一つとして起きるのではないかと。

なので、そのことだけではない、一件無関係な事柄も影響してるんじゃないのかな?
なんせ、同じ「自分のこと」のひとつなんだから。

という観点でこの件を考えていたりしたのよ。

村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」では、飼っていたいた猫が姿を消してからそれまで見えずにいた諸々の問題が顕在化していくような感じだったけど、まさにそんなね。

で、あの話では猫が戻って来るんだけどさ。めでたしめでたしの解決ではないにしろ、それらの流れはそこでまたちょっと修正されるというか、流れの滞りみたいなものがちょっと解かれていく。

ネタバレしないように表現するのは難しいな(笑)


今回の大切なものが戻ってきた件に関しては、そんなようなことではないのかな? と、本人の状況をまったく知らないままに想像している。



それはそれとして。

気にかけてた分は、これから存分にお返ししていただこう(笑)











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あるロックンローラーのおかげで






johnsSky.jpg



誕生日おめでとうございます。

毎年この日は言葉少なに日記を記していた気がするけど…

音階はもしかしたら長くなるかも。


もうずーーーーっと昔の話。
まだ桃太郎も拾われて間もない、鬼退治に向かう前くらいに昔のことだけど。

僕はまだ小学校の低学年くらいの頃の記憶。

その頃はまだビートルスなんて存在を知らなくて、当時の音楽に関する記憶個人的な記憶と言えば「フィンガー5」が好きだったこととか、ラジオから流れてくるフォークソングの幾つかがちょっとよくわからないけど心惹かれるものがあったとかそのくらい。

なんか妙に記憶に残ってて今考えると笑えるのが、井上陽水の『青空ひとりきり』の一節「楽しいことならなんでもやりたい、笑える場所なら何処へでも行く」ってあたりをアイロン掛けしてる母親の近くで歌っていた時に、母親からいきなり「今からそんなことでどうすんの!」と言われた事(笑)。

当時は「?」だったんだよね。なんで歌ってる時に急におかあさんに注意られるんだろうって。
まぁ、結果的に母親が懸念したような人間が出来上がることになるんだけど(笑)。

さて、そんな時代のいつだったかに
夕食の買い物かなんかに一緒に行って、母親と歩いていた時のこと。
なんの流れかは忘れたけど、会話の中で母親に「どうしてお腹がすいて食べ物がない人たちに食べ物をあげたり、貧しい人たちがちゃんと暮らしていけるように世話をするように世の中はできてないんだろう? なんで戦争なんかがあって、よその国の人たちと助け合ったりしないんだろう?」みたいな疑問を投げかけたんだな。言葉はもっと拙いものだったと思うけど。

そうしたら、母親はちょっと不機嫌になったような感じで(子供の頃はそう感じたんだよね。母親の空気がちょっと不機嫌というような…)「そういうのはキョウサンシュギでしょ」と、まるでいけないものの考え方のように言われた。
あくまでも子供の自分がそう感じただけで、母親は考え方とか「そういう思想の呼び名」みたいなものを教えただけのつもりかもしれない。まぁ考えると連合赤軍がどうしたみたいな騒動があって間もない頃だと思うし、その「キョウサンシュギ」的な思想は危険を孕んでいるとか、正しくない行いをする主張のような風潮が世間にあったのかもしれない。

僕自身は「キョウサンシュギ」ってものが何なのかもサッパリ分からなかったけど、そう言われたことと言葉の響きをずっと覚えてることからして、なんか非常に子供心にインパクトを感じたんだと思う。それよりもインパクトは劣るが「よの中はそういうものじゃない」的なことも言われたと記憶している。

当時は母親も今の僕よりもはるかに若い年齢なんだし、うまく説明できなかったんだろうな。

とにかく、その時の「空気」みたいなもので僕は話を続けるの控えたんだよね。疑問を抱えたまま。
なんか「大人の人に言わないほうがいいのかもしれない」というような事を感じたんだと思う。なので、以後そういう話を大人に投げかけた事はなかった。

今考えてみたら、単純に子供らしい「困ってる時には助け合いましょう」とか「みんなで仲良くしましょう」って事なんだよね。その方がいいのに「なんで世の中には困ってる人がいるのに、得をしてるクセに知らん顔してるんだろう」とか「仲良くしないで戦争してるんだろう」という素朴な疑問があっただけなんだけど。

思春期を迎えて間もない頃、横山くんがみんなに広めたバンドに夢中になった(その時はすでに解散してたけど)。だんだんとそのバンドを詳しくしっていくうちに、自分の好きな曲を作ったり、歌ったりしてるメンバーが同じ人であることに気ががつく。

今度は、解散後のそのメンバーのソロ作品を追いかける。

最初に心を捉えたのは、自分の奥さんの事を歌にした曲だった。
「真夜中に君の名前を呼ぶ、風呂の中で君の名を呼ぶ」みたいな事を歌ってた。

その歌を、自分が好きだった女の子に重ね合わせて聴いていた。


そしてその曲が入ったアルバムの一曲目の訳詞を読んだ時に「アレ?」っと思った。
ずっと引っかかってた事。
何年前だったか、買い物の帰り道に母親と会話してた事。

「貧困も飢えもなく、みんなが平和に暮らしてる世界を想像してごらん」「世界中が分かち合ってる世界を想像してごらん」

あ、そうだよ。想像してたよ。

「アナタは僕を夢想家というかもしれないけど、そう考えるのは僕一人じゃない」「君も同じ気持ちでいるなら、世界はひとつになるよ」

この人、大人なのに小学校の低学年と同じ発想じゃん(笑)
大人が「世の中そんなもんじゃない」というような事を考えてる大人がいるんじゃん。
そうか、同じように考えてるのは一人じゃないんだな。

とかね。

そのすぐ後に残念な、悲しい事があったけど、ニュースでものすごくたくさんの人たちが、彼が住んでた周りに集まって、ロウソクを手にその歌を合唱しているのをみた。

一人じゃないどころか、こんなにたくさんいるんじゃん。


そんなこんながあって…

その後僕も「キョウサンシュギ」の事も「ミンシュシュギ」も「シホンシュギ」も、そのほか色々な事もなんとなく知って行くようになるんだけど、どの「シュギ」だって立派なもので、それを掲げて何をするかってのが問題だなと思うようになった。
そして僕自身は「シュギなんかいらない」と思っている。そういうもんが話をややこしくしてるんじゃないかって。

「困ってる時には助け合いましょう」とか「みんなで仲良くしましょう」が大事で、楽しい。

楽しい事ならなんでもやりたい、笑える場所はその先にあるんだろう。

もちろん、今の世間でまともに生活していこうと思えばそんな事も言ってられないし、自分の中に「得をしたい」という欲望があるのも知ってるし、誰とでも仲良くなれる性格でもない。

でもきっとね、仲良く出ない相手と戦うのではなく、仲良くできない根本と戦うべきなんだよね。

相変わらず、ニュースなんかを見聞きすると小学校低学年の時の発想が自分の中にあることに気づく。
あの頃よりも多少知恵はついたし(という気がしてるが錯覚だろうか?)、経験もしたとは思うが、やっぱり当時と同じようなことを考えてるんだよね。


たとえば

今、この国は軍需産業を盛り上げようとしているようだ。さらに憲法を変えてまで積極的に戦争、紛争にも加担しようとしてるようだ。
多分、経済的な理由もあるだろうし政治的、外交的な事情もあるんだろう。いろんな思惑もあるんだろう。

だけどさ、戦争のための道具つくったり戦争に参加しなくたって、国際貢献をして経済も回していく方法はあるんじゃないの?と思ってしまう。
「積極的平和活動」みたいな事いうなら、戦争してないでほかの国にも戦争しなくても済む付き合い方を積極的に示す方向でいけばいいんじゃないの? って。
そういうので、世界一の水準になるのね。

兵器を開発製造する代わりに、そういう予算や知恵を使って自然災害なんかの時に役立つ機械や、被災者保護、支援のノウハウを研究開発して輸出すりゃいいじゃん。
そんで、自衛隊とかもレスキューのスペシャリストたる訓練をして、国内だけじゃなく、世界中で自然災害に見舞われた場所があったら出動するの。

もう、その国の主義だの国際的な評価だの、宗教性だの、思想主張だのどうでもいいから、地震や津波や火山噴火、洪水、台風とかで被害にあった場所を助けに行く。「国際救助隊」にしちゃえばいい。
なんせ国内にそういうのがちょくちょく発生するんだから、経験も豊富だし、被災者救済の問題点とかもしっかり研究して改善できるハズでしょ?

で、そういう災害が発生する場所には、役立つテクノロジーを輸出する。レスキューノウハウの指導も含めて。

誰かを攻撃するのではなくて、誰かを助けることで国際貢献する。

どこの誰にでも役立つ。

そういう存在になれれば、この国を攻撃しようとするのがいたら世界中から怒られるんじゃない?
困ったことがあったら主義主張が違っても助けてくれるんじゃない?
自分たちの平和のためにいなくては困る国なんだもん。

とか想像してみる。

きっと「世の中はそんなもんじゃない」と言われるんだろう。

じゃあどんなもんだ? 

ってことを考えていけば、少なくとも色々と「そんなもんじゃない」で片付けてはいけない事が見えてくるよね。

とかいう事を夢想するオッサンになりました。
「大人には言わない方がいいかな?」って思ってたことを、大人になってから日記で公表するようになっちゃった(笑)

アナタが僕より先に生まれてくれていて良かった。

ありがとう。

誕生日おめでとうございます。




















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語る意味がないことを語る



昨年もそうだったんだが、今年も隣の住人がドアの処にハロウィンの飾りをつけている。ちなみにクリスマスにはリーフがつけられるが、正月に門松はない。

可愛らしい飾り付けだし、てっきり女の子が住んでるんだと思ってたんだが、先日お隣は30代前半の男性であることが判明した。意外だったな〜 というのはオレの偏見なのかもしれないけどね。別に30代でも60代でも男がドアに可愛い飾りをつけてもいいんだしね。飾り付けを見て「若い女の子が住んでる」という連想をするのは、偏見なのか発想が貧困なのかなんだろう。


それはともかく

宇多田ヒカルのアルバムがオリコン1位でネットのダウンロード購入でも国内だけでなくいろんな国でチャートの上位に顔をだしているようだ。
で、EXILEのアルバムがオリコン2位ってことで、連続1位の記録がどうしたこうしたというアレらしい。

ここで話題になってるのが、EXILEの所謂『特典商法』ってやつで、特典を数種類付けるとか、ジャケットを数種類つくつとかで、一人に同じアルバムを何枚も買わせるってやつね。
対する宇多田さんは特典がない訳で、要するに一人に何枚も買わせて数を稼いでも、宇多田さんの支持に叶わなかったってことで話題になってるみたいだ。

ま、AKBとかの売り方もそうだよね。

正直、EXILEの音楽にこれっぽっちの興味もないんだが、音楽的に悪いものを作っているとも思えない。AKBもなにがなんだかわからないし、メンバーも誰が誰だかわからんのだが『恋するフォーチュンクッキー』は名曲だと思っていて、アレが曲の良さだけで評価される土壌がないってのが残念だったりもした。

のはいいんだけどさ。

別にこういう商法はAKBとかEXILEから始まった訳でもなくて、自分が若い頃にはそこまであからさまじゃないけど、特典にポスターがつくだのなんだのは結構あったし、そういうところからすでに始まってるんだよね。
多分、アイドルとかそういう人の作品だとポスターつかなきゃ買わなかったけど、ポスターが欲しくて買う人とかいたと思うし。
最初は、「買わないかもしれない人に買わせる」だったのが「買う人にもう一枚買わせる」とかって方向に行ったんだろうね。

記憶では、ジャニーズのグループのどれかがデビューシングルのジャケット5種類とかってのがあったと思うけど…。とにかく、一人にたくさん買わせる商法は結構昔からある。
特典だけ外されたCDが大量に捨てられたってニュースがあったりとか、発売の翌日に大量に中古屋に並んでるのか観ると、なんか一応音楽やっている身としてはちょっと寂しくもあった。まだ若い頃ね。

でも、まぁ「応援したいから買う」ってファン心理もあると思うんだよね。AKBの選挙のアレたかもそういうんだろうし。昔ちょっと関わった、アニメの声優さんだったか主題歌歌っtる人のイベントでは、全国からおっかけみたいのが来てたんだけど、CD買ったら握手するってやつ。
で、そのおっかけみたいのって、本当にイベント盛り上げに来てるのね。で、スタッフとも顔見知りらしく後ろの方で「今日はちょっと厳しいんだよ〜」なんてマネージャーさんが言ってると「う〜ん、しゃ〜ないな〜」とか言いながら、またCD買ったりしてるのね。コレ、もう完全に自分が何やってるか自覚していて、でも応援してる子がやっている場を盛り上げようとしてるんだよね。

そういう応援に対して特典を渡すとか握手するとか写真撮るとかは「お礼」とも解釈できなくもない。

まぁ、一口に「CD販売枚数」と言っても、売る方も買う方もそれぞれで「誰の何を売っているか?買っているか?」の内実はそれぞれなもんで、それをスポーツの記録みたいに売上枚数だけひとくくりにしても仕方ないんじゃないかと思うのだ。

「CDを売ってる」事がイコール「音楽を売っている」でもなければ「売上枚数」イコール「音楽性に対する評価」でもないのは、おそらくずーっと昔からそうなんだよね。
だから、音楽性がメインの人とそうではない人〜人っていうか表に出る人を中心としたプロジェクトだけど〜によって売り方は違ってるんだよね。そこに「音楽で勝負しろ」とか「一人に何枚も買わせるアコギな商売」とかって、音楽目線だけで文句つけてもあんま意味ないよなと。

そういうのをオリコンとかは全部ひとくくりにしてチャートを出しているので、そもそも何の評価による順位付けなのかが非常に曖昧というか、あれは音楽の魅力と、アーティストのキャラクターやらルックスだとかと、事務所やレコード会社の力具合とか企画力とか、そういうもののチャートな訳で、音楽に対する支持率だけの順位ではないんだよね。

20万枚売れたからって20万人がその音楽聴いてるワケでもないし、1万枚しか売れてなくても10万人が知ってる歌もあるでしょ?

今や、「特典をつけません」とか「プロモーション一切せずに音楽だけで勝負します」って情報だってプロモーション戦略になり得るわけだし。

なので、音楽の話をする時にオリコンの順位で何かを語る意味は随分前からないと思っているし、アーティストの音楽を語る上でオリコンの記録も意味をなくしたなと思ってる。
そういうことをかいつまんで10数年前にやってた新聞の音楽コラムに書いたことがあったんだが、大量の特典つけてたアーティストのファンから「特典つけてなにが悪んいんだ」みたいな抗議がけっこうあったらしい(笑)。
だれも悪いと思ってないって。

「音楽を介在させた商売」をやっているか「音楽を商売」にしているかが整理されないままなのが面倒くさいんだよね。やってる側も揺れるだろうし。

売る方も買う方もチャートの順位なんか気にせずに好きなようにすればいい時代じゃん。

だから紅白なんかももう限界だなって思うのよ。「1年間に活躍した」とか「NHKへの貢献度」とかで番組側が選考したことにありがたがっても意味ないし、NHKが選ぶことが聴き手それぞれの中に何かの意味があるとは思えない。

もう、アレでしょ? 国民の多くが認知度を共有できて1年の思い出を振り返ることができるって選考基準なら、『ゲスの極み乙女』とか『ファンキーモンキーベイビーにいた人(名前調べるの面倒くさい)』とかになるじゃん。

「応援に清原和博さんが来ました〜!」とか

視聴率すごいうと思うよ。抗議も比例するけど(笑)











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