海月屋・辻の日々

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想定外デー

昨日は8/3の企画ライブの為に、高校時代の曲から選曲してた候補を歌い散らかしに昼からスタジオに入る。

その前に早目に出かけて飯食ってからと思ってたんだが、珍しく地下鉄に乗り込み、大通り駅で下車しようかって時になって突然「髪を切りたい」という衝動にかられ、そのまま地下鉄に乗って柳本さんとこへ。

着くまでにざっと計算したらスタジオの時間に間に合いそうだし。

で、下車してから柳本さんに連絡したらすぐやっていただけるというんで、サッパリしてきた。


そんでスタジオ。

中には通常のライブ中に洒落で一曲とかやったのもあるが、殆どが20年以上歌ってない曲。

なのに、歌詞も確認せず歌える自分が気持ち悪い。

さらにやってると、選曲のチェックの時にスルーした曲とかも思い出してきたりなんかしてね。

歌詞だけざっとみて、駄目だなと思ってたし、多分、書いた当時から「なんか思った通りにならない」って印象持ってたハズなんだが、なんか行けそうな気がして採用。
コレはきっと当時思うように歌えなかったんだろうね。

そんな収穫もありながら、想定外の難題も…

一部の曲は今歌うとキーがキツイ(笑)
いや、決して出ない音ではないんだが、その高さを出し続けるメロディが辛い。
ま、当時の録音聴くと、歌うってよりメチャクチャに叫んでるだけだし、フラットしてるし…
ま、そうやって喉潰して今の声質とか声の出し方身につけてきたから文句はないが。

一瞬キーを下げてみたりもしたが、たちどころに当時の自分の何かがゴッソリ抜け落ちて、ただの出来の悪い曲になってしまった気がしてやめた。

もう、アレだ。あくまでも当時のキーで怒鳴ってやる。


そして夜は円山海月の収録。
ここでまた、想定外が多発し予定押しまくり。

詳しくはまた。

朝から良いこともそうでないことも、とにかく思惑を外す1日でした。



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少年の歌をオッサンが歌う

んなわけで

8/3は円山夜想での企画にお誘いいただいて歌います。

出演者全員「いつもとは違う事をやる」という決まりになってまして…
全員名前も微妙に変えることとなった。
僕は「迷正仁」ということで。

ま、個人的には本名のままで恥ずかしいことやっても何のアレもないんだが。

そんで、僕は自分が高校生の頃に書いた曲だけでワンステージお届けします。
結構な恥ずかしさ。

でもあれだよね。自分ではずいぶん今と変わっているような気がするんだけど、もしかしたら客観的に聴かれると大して違いは無いのかもしれない。ま、その辺は聴いてみてくださいまし。

で、今選曲をしてるんだけどね。大体今15、6曲くらいに絞り込んでいる。
色々ひっくり返して当時の曲の歌詞やら録音した者とかチェックしてるんだけど、中にはまったくどうにもならないものもあるし、音源がなくて歌詞だけのとかまったくメロディが思い出せないのもあるけど、どうやら月に2、3曲くらいのペースで作ってたようだな。

それで、先週くらいまでに20数曲の中からなにやるかって考えてたんだけど、さっきも書いたようにすっかり忘れてる曲ってのはキレイになにもかも忘れてるんだが、覚えてる曲って歌詞からなにからほぼちゃんと覚えてるね。
何も見ないでギター弾いて歌える。30年くらい歌ってないと思うんだけどね。驚いた。

今日の間に10曲くらいの候補にして、明日ちょいとスタジオでマジ歌いしてみて決めよう。
まぁ、やっぱり色々と拙いところがあるってか、そんな所だらけだけどね。昔々の少年時代い書いたものを、今の自分が歌うとどうなるんだろうってのが楽しみだったりもするし、恥ずかしいのは恥ずかしいけど、あくまでも本気で歌ってやる、
そのほうが笑えるから(笑)


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雨の日に太陽の力で奏でる

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昨日はBetter Days Project presents
- ライブ&セミナー 第3ターム Vol. 2 in ban.K -に参加。三曲ほど歌わせていただきまして。

珍しく白いTシャツを着用。これはね、会場でチャリティグッズとして販売されておった。

1枚1枚デザインが違う。
と、いうのは、製作者の ひがしはるみさんが1枚ずつ直接Tシャツに描き入れてるんだそうで。

マスプロダクトでは絶対に出来ない制作方法だ。

僕のは、ジャンケンの手の形のイラストの下に文字が書かれている。
グー『意志』、チョキ『平和』、パー『賛成』

ひがしはるみさんのメッセージでもあるんだな。
こんな感じで色々なイラストや文字が描かれておる。
僕は『賛成』に惹かれてコレを選んでステージへ。

今回は主催者の1人、インディー横山に加え、もう1人小学校時代の友人もタックさんのバンドのベーシストとして参加しててビックリ(笑)

横山や僕なんかがギターを持ち始めた頃に一緒に音を出して遊んでたんだけどね。

なぜか僕を含む3人、それぞれ個別にタックさんと知り合い、こんな形でまた一緒の時間を過ごしたりしてるのがなんか面白いな。

そしてゲストで登場の椎名純平さん。
とても謙虚で誠実な人柄であった。そして歌声が卑怯だ(笑)。ま、卑怯というよりはその優しい人柄が溢れてるんだろうが、たまらなく気持ちよかった。

そして、今回のセミナーでお話を聞く事ができた、はらみずほさん。
世界中をその目で見てこられた体験からのお話に非常にムネを打たれた。

決して語り口がうまいという訳でもないし、多分弁が立つというタイプでもないと思うんだが、知識や情報を持っている人が饒舌に論理立てて話をするのよりも、やはり自分の経験に基づいてそれを自分の言葉で伝える人の言葉というのには力があるなと思った次第。
帰りもご一緒したんだけど、びっくりするくらい近所だった。徒歩2分くらい(笑)。

さて、今回は音響のほとんどの電力をソーラーパネルでまかなっていた。
畳一畳分くらいのパネルで、しかも雨降りなのにも関わらずおよそ5時間くらいのイベントの音響がまかなえるのね。
で、出て来る音が違うんですよ。
とても芯があってまろやか。いたずらに音量が云々ではなくて、「力のある音」になるんだな。多分、聴き比べができたら音楽通とかオーディオマニアとかじゃない方でも違いが分かると思う。

多分、電力会社から供給される電気も、太陽光発電の電気も、計測すれば数値的には同じだと思う。でさ、それが非科学的なパワーだというつもりは無くて、おそらく今現在の科学力では測定できない何かがあるってことだと思うんだよね。
遺伝子だって構造的に同じもの作っても、食べ物とか色々違ってて問題起きたりするじゃん? あれも、「コレで同じだ」って思っているけど、やっぱりまだ解明できてない、測定しきれていないものがあるんだと思うのね。

ま、その話はまたいずれ。

そして返ってからまっすぐフライアーパークに。みつみチャンがバースデーで僕もこれまで何度か出演させてもらってるバースデー企画ライブを観に行った。
一曲、プレイヤーとしてはまったく素人である旦那さんがカホンで共演。聴いていて、スゲー練習したんだろうなって思った。なかの良い夫婦である。
で、一曲僕の曲もカバーして歌ってくれていた。
色んな人がそれぞれの形にして僕の歌を取り上げてくれるのは本当に嬉しい事です。

んで、8/3にはマルノクでちょっとオチャラケた企画にお呼ばれしてまして、
今ちょっとコレのナニをアレしているところ。

詳しくは、多分明日か明後日にご紹介。

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燻製の夜

あーしたは、昼間に山の中で2、3曲歌いますよ。

この煙たいのなくなると良いのだが…
ロシアの森林火災の影響かって説もあるが…

誰かさんの言う通り、世界の平和を考えずに一国の平和はないのが良く分かる。

けれどそれは武力を使って成せるものではないよね。
人類が武力を使い初めてから随分経つと思うけど、それで世界が平和になった事は一度もないのに、なんでまだ争いたがるんだろう?

誰かを屈服させないと平和にならないって思い込みは人類史に脈々と受け継がれてる勘違いだろうさ。

その辺はどうなんだい、誰かさん?

だいたい、投票棄権とかって態度で国連常任理事国やろうと思ってるとか、ま、常任理事国なのに棄権してるとか、あり得んだろうよ。

国の事情だの国と国のしがらみだの考えてるうちは世界平和はないんじゃないかと思うけど、どーだろう?

よその国が火事になったらこんだけ煙たいような場所に住んでるのにね。

とりあえず、飯食って寝る。

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便秘解消(笑)



さてと、ようやく『音楽的便秘状態』を脱して来たようだ。

ず〜っと踏ん張ってたのがようやく出たんで、この後溜まってたものがどんどん出て来る模様。

ちょっと今出て来つつある諸々をお披露目するのはもう少し後になるけどね。
ソレが一段落したら、通常用のアレコレも出してみようかなと思う。

この夏は作曲三昧だな



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あれから10年ですか・・・

少年の頃からず〜っと敬愛し続けている。

佐野元春さんの音楽

今年は日本でいち早く(多分一般に認知されるよりも5年くらい早く、日本で定着するより10年早かった)ヒップホップの要素を取り入れた(厳密にいうとヒップホップとは異なるものだけどさ)アルバム、「VISITORS」の発表から30年って事で。まぁ、発売当初、それまで日本では聴いた事無いようなスタイルだったもんで賛否両論巻き起こった衝撃作だったから、それから30年ってのは当然話題にしていい事だと思う。

でもね、個人的にはそれよりも2004年7月21日に発表となったこの作品の方がちょっと感慨深いものがある。

『THE SUN』

 THE SUN


あれから10年かぁ〜と。

この作品、大好きなのよ。
詞曲は勿論だけど、アレンジ、サウンド、ミックス全部好き。
特にドラムの音がたまらんく良いなと思う。
アーシーな音作りでジャムバンド的なノリでアナログの質感が漂うのも、当時(今もだけど)巷の音楽の音圧に辟易していた僕にはとても心地よく聴けた。

なので、ただアルバムとして僕の好みに合っているから何も無くても好きなアルバムにはなってただろうと思う。

でもね、まだあるんですよ。好きなアルバムってこと以上に、このアルバムが僕にとってある意味「特別なアルバム」になっている理由と言いますか…。ん〜、個人的な事情によって、そうなったんだけど。

当時、まぁ僕は「会社員」だった訳ですよ。
あんまり会社員って感じの職種じゃないけど、毎月固定のサラリーを頂いて生活をしておった。
給料は驚くくらい少なかったけど、その分子供の頃から好きだった事に関わってる仕事だし、おかげさまで配属された場所が更に面白い場所だったので、それなりにやりがいを感じたり、あるいは愚痴をこぼしたくなったりしながら働いていた。うん、普通の会社員ってみんなそんな感じでしょ?

でも、ちょっとずつ世間の状況とかもあって、憤りみたいなものを感じるようになってた頃だったのね。子供の頃から好きだった仕事だから、まぁ通常の現場に入って初めて分かる現実にガッカリってのは経験済みだったけど、そういうアレじゃなくて、もっとその仕事の本質的な事が「それじゃ、ダメなんじゃない?」って思うような方向に向かって行った。
今、自分が少年だったら、こんな場所には魅力を感じないだろうってな…

そして、今から10年前だね。僕の職場も大きく変わる事になった。会社を存続させるためという意味合いでは仕方の無い事とは分かってたけど、それはもう決定的に。

自分の年齢的な事もあったし、僕は自分の憤りを(会社に対してではなく、その職種の変容そのものに対するね)抱えたままそこで給料貰って生きて行くのか、ここで辞めちゃうかってのを迫るものだった。

いや、その時だって一般的にはもう諦めてこのまま定年までどうにかやって行こうって判断する歳でしたよ。
幸か不幸か僕はその辺がちょっと一般的に出来てないので悩めたんだけど(笑)。

なんせ、そこ辞めたってつぶしが効く訳でもなし。

いや、ほんと悩んだ。
ありがたい事に、もし続けるなら一番やりがいあるだろうなって所に異動も決まってたし、それに関しては僕がバイトから社員になる時にずっと仕事の面白さを教えてくれた方が関わっていたようだったし、またご一緒できるならいいかもなっていうのもあった。
なんせ、どこに行ってなんだかんだ言いながらそこそこ楽しめる性格なのも自分で知っているから、このまま呼んでいただんだから、ありがたく行ってしまえばいいんじゃないか?
とも思ってた。

でもどっかから声が聞こえるようでね「本当にそれでいいのか?」って。
自分が、これをきっかけにどうやって行きたいのかって、本当は前々からどうなりたいのかっていうのが燻ってて、ただ世間的なアレとか、先の事が怖いからおとなしく生きて行こうって思ってないか?

みたいなさ。

僕の居た場所の残務処理してる間もずっとそれを繰り返し繰り返し、グルグル考えてた。相反する2つの考えが、お互いの考えを否定し合うような毎日。

もう、あれ以上悶々とした日々を送る事はないだろうな。

それで、そんな時に飛び込んで来たニュースが「佐野元春が独立レーベルを起ち上げる」っていうね。
デビュー時から長年在籍していたレコード会社が世の情勢に沿って始めた事と、自分の音楽的な指針といか方針というかが折り合いつかなくてっていうのが実情だろう。この件に関してあんまり本人は語らないようだけど、数年前から色々と話は聞いてたから(特に、今では「あれは何だったの?」と言いたいようなCCCDの問題とか)。
それは、「商業音楽、大衆音楽がどうあるべきか?」という所にある話なんだけど。
まぁ、とにかく、これからはメジャーではなくインディーズとしてやっていくと。

その第一弾のアルバムが「THE SUN」だった。

悩んでいる最中に、このアルバムが届いた。
いや、僕は当時の仕事柄、ちょっと発売よりも数週間前にサンプルを頂いてたんですけどね。

泣いたね。
長年在籍した会社を抜けて、自分のスジを通そうとした佐野さんが何を歌ってるのかと思って聴いてみたら、オレに向けて歌ってた(笑)。
いやいや、僕がその悩める時期に、心の奥底で求めてた答えというかなんというか、そんなものがちりばめられていた。少なくとも、当時の僕はそういう解釈でしか聴く事はできなかった。

言葉だけで分かりやすいところで言えば
「我が道を行け」とか「夢を見る力をもっと、風に舞う力をもっと」とか…

その後も、ちょっとしたお知らせが色んな方向からやってきて、僕は仕事を辞める決心をしたのだけど、大筋でこのアルバムでほぼ腹は決まったようなもんだった。

誤解の無いように言っとくと、このアルバムの影響を受けたって言うんじゃなくて、この「アルバムを聴いて、自分の本心がどこにあるか分かった」って感じ。佐野さんが独立して発表したってのもちょっと意味深いものがあったしね。

それから10年。
まぁ、家族をはじめ、色んな方に迷惑かけたりお世話になったり、まだとてもおおっぴらに人様に言えないような事もあったけど、あのまま会社に残っているよりも僕の人生ははるかに豊かになったと思う。少なくとも後悔したことは一度も無い。
半ば呆れつつ、僕を面白がったり心配してくれたりしながら支えてくれた友人、知人に感謝を。

そういえば、このアルバムの発売日、7月21日は、僕が辞めるまでの数年間、上司であった人の誕生日でもある。
この方に教えられた仕事の厳しさや楽しさ、そしてこの方の下にいたからこそ得る事ができた様々なご縁が無ければ、この10年はなかっただろう。

恥ずかしいから、面と向かってそんな事は言えないけど(笑)。

石川さん
お誕生日おめでとうございます。













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連休のお供に「円山海月」を

ろくでなし子さんは釈放されたようだけど、まだ起訴か不起訴かは分からないので、引き続き諸々確認したいところだけどさ、本題とは別件で、警察とか検察で発表する際の「自称」と付ける付けないの判断はどういう事に鳴っているのか明確な基準があれば知りたいな。

あとはあれだね、「再現性の高いデーターの頒布」が猥褻目的でなくても咎められて、明らかに猥褻を目的として「再現されて実態のある造形物」が普通に販売されているのがOKっていうなら現行の法律はどこか間違っていると思うので、その辺も着目していきたい。

あ、別に造形物を売ってるのが悪いとは思ってないよまったく。ただ、ちゃんと考えてみるとコッチが駄目というなら、その前に造形物の販売を取り締まらなきゃならないんじゃないの? っていう、のが変だなってだけで。



それはそれとして

円山海月7月号が公開になっちょりますので、よろしくどーぞ。

今回試しにカメラの角度を少し変えてみたのだが、僕が殆ど見切れている(笑)、まぁこれはこれで絵面が落ち着いている所が嬉しいような哀しいようなあれですが…

今回も楽しくお話させて頂きました。
前にも書いたけど、いつもトークは公開している倍くらい撮っていてそれを編集してるんだが、ある程度回を重ねたら「未公開シーン集」みたいな回があってもいいかな? と、ふと思ったんだけど、そうすっと編集が更に大変な事になるな… 思いついちゃったらやってみたいのはみたいんだけどさ。需要はあるんだろうかね?






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性器の一大事

いや、もうね。

もう少し冷静になってからという気もしたんだけど、あまりにも気持ち的にアレなんで書くわ。多分支離滅裂になると思うけど。

考えてみたら、コレは個人のブログなんでそのまんま書いても言い訳だし。

例の『ろくでなし子さん逮捕』の件です。
何の事やら分からない人は調べてください。

簡単に言うと
女性器に対する認識を変えたい、ある意味女性器を解放したいという考えと思いで表現活動を行っている、ろくでなし子さんという方がいまして。
自身の表現活動で女性器をモチーフとしたボートの制作を思いついて、寄付金を募ったと。
で、寄付して頂いた方で希望者が居れば、自分の女性器を立体解析したデータを(多分、ボートの造形を制作するために型取りするんだろう)差し上げますと言う事で。

要は、差し上げるのはCD-ROMかなんかにデータ化されたものね。記号やら数字の羅列。
その気になれば3Dプリンターで立体造形を再生できるんだろう。

で、それが「猥褻物をデータ化して流布した」だか販売しただかで逮捕された。警察発表では「自称芸術家」という表現で逮捕が発表され、それがそのまんま報道されたと...

だいたいそのような事と認識している。

これに対する僕の意見は、下記の2つのURLにある記事とほぼ同じであるのでご参照を。

http://www.shomin-law.com/essayRokudenashikotaiho.html

http://m.newsweekjapan.jp/reizei/2014/07/post-664_1.php

でだ。

僕は正直、この「ろくでなし子」という人はイラストレーターかなんかだと思ってた。で、女性器を表現のモチーフにするとかしないとか言った事自体には僕自身は何の興味も無い。
僕の女性器に対する考えは書き始めると長くなるし、長いワリには読んでもなかなか理解を得られないような気もするし、何より今回の件に関して僕個人の女性器感はまったく関係がない事なので省略する。

で、URLで紹介した記事にもあるように、この件には色々と考えなきゃならないような問題があると思うのね。
「芸術とは何か?」「猥褻行為の犯罪とは何か?」「ジェンダーの問題」「報道のあり方」「自称の定義」などなど。

ことの発端は、このろくでなし子さんの企画に寄付金を出して、女性器(もうめんどうだから「マンコ」でいいだろう)の3Dデータをもらった人が「猥褻目的でした」と供述したからだという。
しかしですね、ろくでなし子さんには猥褻目的で自分のマンコを型取ってデータ化した意識はないんですよ。むしろマンコ(彼女自身の一部だね)が単純に猥褻と見なされることに違和感を感じているのが彼女の創作活動の根幹なワケで。

あのさ、全員がそうではないだろうし、発表する側がそんな意識なくてもヌード写真集を猥褻目的で買う人はいるでしょ? AKBのDVD見ながら猥褻な行為をする健康な少年だっているだろうさ。監督にも女優にも「必然性があるから」SEXシーンを撮影した映画があるとして、それを猥褻な気持ちで観に行く人もいるよね?
ソレ全部逮捕か?

ましてやだ、マンコを型取ったものが悪いってんなら、ひな祭りで出て来る「菱餅」なんてどうすんのよ? あれ、抽象化されているとはいえ、マンコ型取ったものでコンビニとかでも販売してるぜ?
データ化した記号の羅列じゃなくて型取ったそのものだよ?

もっと言えば、世の中には「オナホール」と呼ばれる性的玩具がある。コレなんかAV女優のマンコを型取りましたとかってやつ、インターネットとかで販売してるよ。
これは、男がマスターベーションする時に自分のチンポをこのオナホールの中に突っ込んでオナニーするという、明らかに売る側も買う側も猥褻目的で売買されるものである。

「マスターベーション」とか「オナニー」とかが何か分からない未成年の方は、お父さんやお母さんに聞きましょう。

で、そういうものがネットとかで写真入りで販売されているのは別に問題ないんでしょ?

あのさ、データ化されたものをワザワザ3Dプリンターで石膏固めて立体のマンコに仕上げた所で、それは女性の身体の一部が造形化されただけの物でしょ?
それよりはネットにもコンビニの雑誌コーナーにも溢れているマンコの写真やら、オナホールの方が猥褻目的にたいしてはよっぽど実用性があって、しかも手っ取り早いし気軽に手に入るんですよ。
ワザワザデータを入手して3Dプリンター使って石膏で立体再現するという手間暇と費用をかけて猥褻目的にするってのは、かなり特殊な性癖の持ち主だとおもうんだけど、どうだろう?
なんで彼女の行為だけがいきなり取り締まられるの?


で、立体造形化された性器と言えば、日本中に奉られている「道祖神」ですが、あれはチンポです。祭りになるとみんなででっかいチンポ担いで大騒ぎです。それはOKで、マンコをモチーフにボート作るのが駄目なのか?

なんで?

ここまでマンコだチンポだ書いてると不愉快に感じたり「いやらしい」と思う方もいるでしょう。そういう、自分の身体に属している部分、しかも相当に大事な部分なのに「猥褻」としてのみ意識されている風潮に異議を唱え、意識を変えたいというのが、ろくでなし子さんの主張であり、彼女の表現活動はその考えを明るくユーモラスに表現することで受け入れやすくできないかというアプローチだと思う。

彼女の活動をざっと調べてみても非常に積極的に世界とコミットしようとしているし、その根幹たる主張に一切のブレがない。逮捕から数日でちょこっと調べるだけでもそのような印象なんだけど、そんな彼女のどこが「自称芸術家」なのか? 個人の好みはどうあれ「芸術家」でしょうよ。

これを「自称」を付けて発表する警察だか検察だかには何やら「意図」があるんだろうね。
んで、その発表をまるっとそのまま発表する報道ってのは一体なんなんだろう?
お上の思し召しのままなのかい?
もしくは「これこれこういう活動範囲でこのような世間の認識のされかたの場合は自称である」とかって明確な基準があるなら教えて欲しい。

特に表現活動している人間なんて、認知度や収益が少ない人はゴロゴロいるし、この世を去ってから評価される者もいる。それをどうやって自称なのかそうではないのかを判断して発表しているのか知りたい所だが、きっとそんな基準はないだろうと想像している。

それで主義主張を持った表現者の活動におかしなレッテル貼付けて、活動も人格も貶めようというのか?
報道に携わる記者ならば、発表された事の真偽を確認するとか、問題意識を持ってみてはどうかと思うのです。
少なくとも、この件で「何が猥褻なのか?」「自称の基準はどこにあるのか?」「表現活動とは何か?」みたいな問題意識を世間に投げかけるやり方はあるはずだ。
報道している人たちに、ろくでなし子さんが自身の活動の根拠となる主張と同じくらい、報道に対しての意識があるのなら。

この件を契機にこうした事柄で世間一般に議論の機会が生まれたらいいのにとも思う。

お上の思惑で発表された事で個人が抑圧される可能性もある事を鵜呑みにして垂れ流すだけで「記者です」と言うのなら、あなたたちこそ「自称・記者」ではないかと嫌みの一つも言いたくなる。ましてそれで報道ですって賃金を得てるなら詐欺行為じゃないの? 「お上のプロパガンダです」っていうんならいいけどさ、なら庶民から購読料とか取らないでね。

ちょっと話はそれるけどさ、道祖神もそうだけど、世界各地で性器をモチーフにした造形物は沢山あってそれにはそれなりにしっかりとした意味や思想があるんだよね。それがなにもかも猥褻って扱いになったのがいつからかはちょっと勉強してみようと思うけど。
日本なんかとりわけあちこちにチンポとマンコが溢れ返ってる素敵な国な訳で、日本の神話には女性が股を広げてマンコを見せる事で神や鬼の怒りを鎮めるという描写が所々に出て来る。
そういう所からもうちょっと考えてみるのもいいんじゃないかなと思っている次第。

こういうさ、一部の権力だかなんだか持ってる人の偏狭な判断で個人や表現が貶められる、圧力をかけられるってのがもう嫌いなのね。コレ、正義とか倫理とかって話じゃなくて、オレは生理的に嫌なのよ。

はたして、ろくでなし子さんのやっている事が芸術なのかどうかってのは自由に表現活動した上で、「素晴らしい表現」とか「こんなモン芸術じゃない、ただ猥褻を面白がってるだけだ」とかいう議論も自由になされるべき事だと思うのさ。


そういうものをお上の意向やら都合やらで抑圧する、秘密保護のなんちゃらに触れるネットの書き込みは処罰する、なんとなく戦争に持って行きそうな流れを作る、マスコミはそれを助長する…

こういう流れがなんか嫌だよね。

で、一番嫌なのが、そういう中で報道される事だけ鵜呑みにして、例えば今回の件だとろくでなし子さんをただの猥褻目的の「自称」なだけで中身のない芸術家を偽ってる人だという目で見ちゃう人たちが作る風潮みたいなもんが一番嫌で一番怖い。

オレ自分で「アーティスト」だとかって意識は無いんだけどさ、分かりやすいから便宜上使うけど。でも何かあれば多分「自称・音楽家」とか言われるんだろうね。自分から名乗ってるつもりなくても。
ま、でも「表現活動してる」って意識はあるのよ。で、表現している上で、その表現がいいとか悪いとか「表現とは呼べない」とか言われるのは受け止めながらやってくべきとは思うけど、それを抑圧されるのは我慢ならないのでね、やっぱり支離滅裂になってしまうね。
















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たまに書くと長くなる

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かなり久しぶりにジュンク堂に入ってみたら、入った瞬間にコレが目に留まった。
『かもめのジョナサン 完成版』

約40年前の世界的なベストセラー。当時は社会現象になってたような気がする。コレが流行っている時に映画化されていて父親と一緒に観に行った記憶があるが、その時はひたすらにカモメが飛んでる映像にモノローグのセリフが重なっていてよくわからない字幕を読むのが困難でひどく退屈していた。同時上映の『マイ・フェア・レディ』の方がよっぽど面白かったという印象しかない。

大人になって思うのは、この作品を映画にする事に、お金を稼ぐ事以外何の意味もないよなって事。

ま、そんなこんなで、その後この作品の著者であるリチャード・バックという人が僕にとってちょっと特別な作家になるとは思っていなかった。

その事に関しては以前にも何度か書いてるんでかいつまんで言うと、リチャード・バックの作品は常に偶然見つけるのです。自分が「リチャード・バックの新刊出てないかな?」なんて考えて探す時には絶対に見つからない。
そして、見つける時には本の装丁やタイトルに目が留って手に取ってみると著者名が彼の名前だってな具合である。で、読んでみるとそこには必ず僕がその時に読むのにふさわしい事が書いてあるってな感じ。
日本で最初に『イリュージョン』が発表された時は、村上龍が翻訳していたが、後で知ったけどこれはもう半分くらいは村上龍が原文にないエピソードやセリフをいれたりしてたそうなんだけど、それすらも初めて読んだ10代の頃の僕にとってはその訳が丁度良い塩梅であった。あれがオリジナルに近い訳だったら逆に当時の僕が物語の「肝」を掴むのは難しかっただろうな。

なので、彼がシリーズとして刊行している「フェレット」のシリーズはあえて読んでいない。これはなんか恣意的に調べたら出て来たので、偶然見つけていないのです。ゆくゆくは読もうかと思うが、多分まだ必要じゃない。

さて、『かもめのジョナサン』

僕が初めて読んだのは中学生の頃だったと思う。ブームが去って数年後。
なんせ映画の件があったからね。自分の中に「つまらないしよくわからない話」って記憶があったんだけど、レコード聴きながらぼうーっとしてる時に父親の書棚にコレがあるのが目に留まった。多分、ベストセラーだった時に親父が読んで、その後ずっとそこに収まってたんだろうけどね。

丁度レコードが終わって、片付けるのに立ち上がったついでにほとんど無意識にソレを手に取ってソファーに寝転がって読み始めたのが最初。

中学生にこんな話を読ませてはいけない(笑)

そこには中学生の僕が誰かから聞きたかった事が書いてあった。

少なくとも僕はそのような解釈をした。
短い話なんで読み終えてすぐまた最初から読んで、確か翌日また読んだと思う。

未だに不思議なんだが、この本を熱心に読んで心酔していたという人物がとある新興宗教に入信してテロ行為を働いたってのがね、どこをどう読むとそんな人生になるんだろう?
まぁ、人は自分の読み取りたいように物語を読むってことなんだろうね。

当時この作品は三章から成り立っていた。

ところが実は、リチャードさん、第四章を書いてあったらしいのね。書きかけだったようだけど。
どうやらそれを仕上げて発表するらしいという話を知ったのは、数年前に彼が飛行機事故で重傷を負ってから、その後どうなったのかを調べている時だった。

それが書き上がって発表されたんだから、元気になったんだよね。良かった。

そんな訳で、ジュンク堂で目に留まった瞬間に手に取ってレジへ。

果たして、中学生の僕がこの第四章が加えられた物語を読んでどんな感想を持つかは分からないけど、今の僕はこっちの方が気に入っている。

僕の価値観が定まる時期に影響を受けたのは多分、リチャード・バックと、そしてジョン・レノンだと思うんだけど、第四章を読んでてジョン・レノンが「みんな立派な本の表紙を崇めるけど、その中身を読もうとする人は少ない」みたいな事を言ってたのを思い出した。
そういう事が書いてあった。

んで、もういい歳になったから言っちゃうけどさ、なんか変な感じに受け止められるかもしれないけどね。

僕がガキの頃にリチャード・バックやらジョン・レノンを好きになったのって多分、自分が本当は既に知っている事をちゃんと経験に基づいた言葉にして伝えてくれてたからなんじゃないだろうかって、たまに思う。
「やっぱりそうなんだ」って。






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日記の存在を忘れておった

気がつけば今月に入ってから一度も日記を更新していなかった。

前回の更新以降、ほ〜んとに色々とございまして。家に帰るとそのまま気を失っておった。

己の「器」に対しても新発見がございました。

そして前回の『円山海月』なんですが。。。

ゲストがいないおっさん二人のトークで、アクセス数が激減(笑)。今までの半分以下だ。
いや、減るとは思っていたが皆さん正直だな〜と(笑)。
アクセスが減ったってことは見てつまらなかったとかじゃなくて、「見もしない」ってことですから。

まぁ、次回はちゃんとゲストおります。
実は本日収録して来ました。公開は今月後半になると思うが。

それまではおっさんトークをご覧ください。

そんなわけで、貼付けてみる。






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