海月屋・辻の日々

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初めて剃ってみました

今回は僕としては比較的短いスパンで散髪してきた。
今年は「年2回」から「年3回」の散髪を目標にしようと思う。

柳本さんとこ。

今回は柳本さん経由で、OneRepublicというバンドを教えてもらった。新しい人たち(調べてみたら結構前からいたようだが)を知る機会が減っているので、ちょっとした収穫だった。
以前はほとんどの人よりも早く情報持ってたのにね。

それで、本日はササキさんというお嬢さんに顔を剃ってもらった。
カットは柳本さんね。

ササキさん、客の顔を剃るのは今回が初めて。
剃りデビューです。

あのね、本人に言い忘れたが、その前に多少肩とかマッサージしてくれたのね。
大して力は入ってないんだが、ツボにヒットするのが上手で気持ちよかった。

それで少しだけお話を聞いてみたのだけれど

いや、コレは知っている方が多いのかもしれないが、僕は初めて聞いたのさ。
こういう職に就く人ってそれの専門的な学校行って、試験とかもあるじゃん?
だから、就職したらもう全部一通りはこなすものだと思ってたのね。

でも、学校で取得した資格を得るためのものと現場でのアレはまた一味違うらしく…
これは入った店にもよるらしいのだが、また段階を踏んで技術を習得していくそうだ。
ササキさんは学校を出てちょうど一年くらいとの事。


柳本さんの所では、洗髪、マッサージ、顔剃り、パーマ、ブロウ、(順番は忘れた)と段階的に練習しては、おのおのの部門で試験を行いOKになったらその許可が降りたパートをお客に対して行っていくらしい。最後がカットで、そこまでに3年前後かけるそうです。

だから、ササキさんは昨日まではお客さんには洗髪とマッサージを行ってたんだね。

専門学校が2年間、その後店で働き始めて3年前後。
だからお客にカットができるようになるまで5年とか6年かける訳だよね。
それ以前にどこかの段階で美容師になりたいという目標やら憧れがあって学校に行く訳だから、目指し始めてから一人前になるまでに相当な時間がある訳だ。


さっきも書いたように、この期間とか細かな事は店ごとに違うそうです。
だから彼女と同期で別のお店で働いている友人などはポンポンと彼女よりも先の段階に進んでて、パーマどころかカットまでやっている子もいるそうです。
そこは、アレだよね。

柳本さんの方針として「きちんと育てる、教える」って部分があるからなんだろう。
ま、当人にしてみれば分かってはいるだろうが、同期の子の進捗と比較したら焦りとか戸惑いみたいなもんもあるんだろうなきっと。

仕事もキツイだろうし、いつ修行期間が終わるかも分からないからか、ほかの店に就職した同期にはこの仕事から離れていった子もいるようで。
離職率がNo1の仕事なんだって。



いや、オジサンは思うのだ。
なかなか先へ進めない事に不満とかもあるかもしれないが、技術を要する仕事なので先々を考えれば、きっと「もうカットしてます」ってよりこっちの方がいい。

そして長い修行期間に、顔を剃ったりマッサージしたりしながらお客とのコミュニケーションも磨いていけばいいんじゃないかなと思う。

ちなみに、彼女が僕のところについてからは、いつのまにインプットしたのか「辻さん、頭下げますね~」とか都度名前を呼んで対応してくれた。
こーゆーのが大事だよねきっと。

それで、彼女の初の顔剃りなんですが…
心地よく眠ってしまい、気がついたら終わってた(笑)

特に出血もないし皮が剥げてもいないし、命に別状もなかったので合格!

という訳で、ステップアップ記念で撮影。
散髪の途中経過とともに。








写真撮ってみたら、寝起きも手伝ってオレが思いのほか「これを公開したら見る方に失礼だろう」という、BPO審議にかかりそうな顔してたんで(普段もそうなのかな?)、モザイクを施してみた。

僕の肩に乗っかっているのはササキさんの先輩の霊(笑)

あと何年か後にササキさんがカットできるようになったら、また一番最初の客をやらせてもらおうと思う。

2年後か3年後か…

その時まで髪があるといいのだが




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どうして君とここで出会うの?(『千歳』 by KAN)



今日は昼から用事があったんで午前中は寝てられるなと思ったんだが、昨夜から「あ〜、明日の朝はゆっくり寝てられるな〜」って意識が働いちゃって、そんな気分でいたもんだから、何を間違えたか「ゆっくり寝る」にフォーカスしてしまい家に帰ってそのまま10時前にいそいそと寝支度してそのまま就寝。

もう、朝パッチリ目覚めちゃいまして。

PC開いて諸々チェックしている内に、YouTubeでKANちゃんのライブ映像なんぞを色々見てた。

素晴らしい。

そんで、用事が終わってからドトールコーヒーで一服。
そんなにカフェに長居する時間もなかったんで簡素に済ませようと思って…
座席のスペースが狭いからさ、あんまりくつろげないよねああいう所は。

で、コーヒーを飲んでたら隣に座ってた女性がニヤニヤしながらコチラをチラ見する。

なんだろう、この人?

と思っているうちに、その女性がコートを着ながら席を立ってまたコチラを見る。目が合った。
「え?」って…

どっかで以前お知り合いだった人だ。

でも、どこの誰で何の関係の人だったか全然思い出せない。
「あれっ?」って口に出してみたけど、こちらが思い出せずに困惑しているのを察したのか、ニッコリしながら「お久しぶりです」と頭を下げて、そのまま去って行ってしまった。

それからさっきまでず〜っと考えてたんだけどね。

ようやく思い出しました。

昔々まだ会社勤めしてた頃に、出張で知り合った人でした。
んと、確かその方は札幌じゃない所から来ていて、千歳空港で初対面だったんだけど、アチラが東京行くのが初めてだって事でそっから翌日戻ってくるまでほとんど行動を共にしてたんだったと思う。

念のため、寝る時は別の部屋でしたよ(笑)。

でも、多分どっちかの部屋で結構遅い時間まで色々と話し込んでたんじゃなかったかな?
内容忘れちゃったけど、多分、彼女の身の上話みたいのを聞いてた。
ワリとディープな話で「ああ、コレ誰かに聞いてもらいたかったんだけど、普段近しい人間には言えないんだろうな」とか思う類いの。

なんか「かしこい子」って印象があったんだけど、今日の帰り際もそうだよね。多分、こちらが思い出してないのに話しかけても話題に困るだろうと思ったんだろうなきっと。
昔は同じ仕事してたから、そっから話し始めれば良かったからね。


さて、話題は変わりますが

こないだ足の検査に言った後、コロっと忘れてたんだけど、無事に骨はくっついた模様。
でもさ、オレが勘違いしてたようなんだけど、骨がくっついたらすぐプレートやボルトを抜けるんだと思ってたらそうじゃないらしい。

まだ弱かったりするから、抜くのは来年になるらしいです。

なので、入院中にその後の計画を具体的に考えて行こうと思ってたのだが、そうではなくなったので、来月中には諸々立案したり調整かけたりしようかと思っている。

ただ、来年のいつ頃入院で活動できない時期が来るのか分からないから、ちょっと面倒だな。
とりあえず、関係各位はよろしくお願いします。







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「私たちにできること」ではないです「オレがやりたい事」なんです



そんでもって

すでに「海月屋info」では発表になっちょるが、来月はライブが2本あります。

毎回出させていただいているマルノクのチャリティーライブ「500L」が9日。前回の「500L」でご一緒した玉田Kouさんとはフライアーパークで29日にまたご一緒させていただく。

ここ何回かバンド的な参加者で異常に盛り上がっていた「500L」だが、今回は弾き語り系の出演者がメインとなるようだね。どちらにも普通に顔出せてる自分が嬉しい(笑)。

今回「500L」に初登場となるUn:Chovi(アンチョビ)というアコースティックユニットは、僕の幼馴染みにして最初にビートルズを紹介した男、Indy横山がやっている。学生時代は一緒にバンドもやってたんだよなそーいえば。

あとは、数年ぶりに辻亮二さんともご一緒させていただく。念のため、血縁関係は一切ない。

それに店長の本間さんが「(44)」という名前で(というか、年齢だろうソレ)登場するという、オジサン勢に20代のお嬢さんが出演するという嬉し恥ずかしな催しとなる模様。

スタートが早めで17時からで、会場時間も一緒らしいので間違えずに来てくださいまし。

コレは昨年9月の「500L」のライブから。
「500L」が緩やかに提携している福島県相馬市・南相馬市を支援する「My Life Is My Message」の中心人物、山口洋さんが書いた名曲を僭越ながら。

      ⬇







そうそう、ライブの翌日3/10は円山夜想の開店記念日である。

本間さんは「日にちが日にちだけに盛大に祝うって感じになれない」みたいな事を言っていたんだが、僕はこの日はお祝いと感謝の気持ちを持って楽しくやろうと思っている。

3/11近辺に開店した店や、誕生日の人や、結婚した人など、お祝い事がある人は大勢居ると思うのだ。それは被災された片達の中にも居る事でしょう。
そういうのをさ、普通に気持ちよくお祝いできるようにするためにチャリティだとかなんだとかもやってるハズだよね?
少なくとも僕はそうなんです。

なので、チャリティーの場に祝い事があってもいいじゃん。

僕がやりたいのは「楽しさを分け合う」という事です。
例えば、音楽を演奏したり聴いたりする喜びで生まれた収益を被災した方々にも音楽を楽しめる事に使っていただくとかね。

ただの言葉のアヤだと言う事は分かってるし、そう言っている人たちを批判する訳でもないけど、個人的にこういうチャリティなんかによく使われる「私たちにできること」という言い方があまりしっくり来ない。
多分、僕の中で「自己犠牲の精神」みたいなものとリンクしちゃってる言葉なんだろうな。

申し訳ないけど、自分を犠牲にするような余裕もないし性分でもないのです。
「オレのやりたい事だからやる」の方がシックリくる。

そんな感じで、よろしければ一緒に楽しみましょう。







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音楽の話のようでいて音楽は置き去り


あのゴーストライターがいたとか本当は聞こえてるんじゃないのかって人…

やった事に関しては色々言われてるからもういいやって気がするんだけど、こういうのってさ、その人が注目、賞賛されている間は決して出てこないんだけどひとたび何かほころびが生じると「そういえばこんな事がありました」って発言し始める人が必ず出て来るよね。

とある雑誌では取材中に「この人、ちょっとどうなんだろう?」という疑問が生じて取り上げるのをやめました。その時にはこんな感じで怪しいなと思ったんですよ。みたいな内容でその取材の顛末を紹介してたりするみたいだけどさ。
だったら怪しいと思った時に調べりゃいいのに。で、人気絶頂のさなかに「この人、宣伝されてる事と違うみたいですよ」ってやれなかった事情でもあるんだろうかね? ま、報道系の雑誌じゃないからって事なのかな?

それはそれとして。

ゴーストライターの発言から騒動が始まった時に一番疑問に思ったのは「この人、何がやりたかった人なんだろう?」ってこと。
若い頃から色んな形で音楽業界に売り込んでたらしいから、きっかけは音楽が好きって事なんだろうと思う。
でもさ、人に曲を書かせて自作と偽って、さらに障害者であるというエピソードを付け加えて出て来るってのは、自分の作品を聴いてほしいとか、音楽性を認められたいとか思っている人のソレではないよね。
結果、詐欺と言われるような形になったが、売れる事を目的としてイメージ戦略を取ったプロデューサーとも言える。

あんまり詳しくはアレだけど、クレジットは自分の名前になってるけど、第三者の手が入りまくってほとんど自分が書いた原型をとどめてない作品を出してるって人もいるしね。
その歌い手のキャラクターというかイメージを作って、その方針に従った曲を発表するってのは結構ありがちな話だ。
買う人は、そうしたイメージやキャラクターにまつわる物語込みで音楽を買う。

「署名が集まらなくてはリリースできない」とか「何枚毎売らないと解散」とかって企画も同様。

それにしても

なんだよな。

多分、この人は名声とお金が欲しかったんだろうね。
最初は音楽が好きだったかもしれないけれど、どっかでそういう方向になっちゃったのかもね。

僕はまったく売れているワケではないけれど、もちろん売れたいなとは今でも思ってるけれど、それは「自分の書いた曲が評価されたらいいな」という事であって、誰かが書いた曲を自分のですと言って売れたとしても面白くも何ともない。
面倒が増えるだけの事のように思う。

だれかに曲を提供した場合も自分の名前をクレジットしていただいている。それは、まぁ僕の自己顕示欲と言ってもいいかもしれない。
自分の曲を褒めてもらうのが好きなんです(笑)。


そして、もうひとつの事

このキャラクターイメージと物語付きの音楽に感動したという人たち。
音楽を購入した人たちの感覚である。

もともとは別なテーマで書かれた音楽に「HIROSHIMA」というタイトルが付けられて、その思いが語られると、ちゃんとその語られた内容に従って感動しちゃった人たち。

「納豆ダイエット」を紹介されてスーパーから在庫が消えるほど購入しまくって、本当に痩せちゃった人たちである(笑)。〜話が逸脱するが、そりゃ、納豆ばっかり食べてたら、それまでの食事と比較すれば痩せると思うんだけどな〜

なんていうのかな?
それがいいとか悪いとかではないのだけど、自分の感性で音楽を判断してないよね。
ちょっと感動できるような物語を提供されると、それがすべての評価になってしまう。
そういう風潮を理解して、利用して売り込んでたんだよね、あの人。

そういうもの何もなしに音楽作っても評価されない事を知っていて、世間の風潮に応じた売り方したんでしょうよ。

たとえば、僕はビートルズが大好きだけれど、最初にビートルズのレコードを聴かされた時には、それがどこの誰だかも知らなかった。それでもやっぱりかっこ良かったよね。しかも、そのレコードを聴いて、もっと小さい頃にCMで使われて、反応しちゃってた曲がある事に気がついた。
そこからビートルズってどんな人たちだろう?と思い、そして、彼らの曲の中でも自分のお気に入りの曲を書いている、もしくは歌っているのがほとんどジョン・レノンである事を知ってという順番だ。

それはまぁ、他のアーティストでも大体同じだね。佐野元春もラジオで曲聴いてだし、山下達郎に関しては「Raid On Time」で人気になるちょっと前から聴いていて、あの曲でCMに本人が現れた時には、申し訳ないがもうちょっとハンサムであって欲しかったと思ったくらいだ(笑)。

情報が先行していなかった時代の幸せな音楽との出会い方だったのかな?

最初にあるのはアーティストの人間性でも、イメージに基づいた物語でもなく、音楽そのものが自分にフィットするかどうかだった。
だから、僕は純粋に音楽に感動できたし、いまでもそうしている。
もちろん、長く聴き続けているアーティストであれば、そのキャリアの上で今回はこの曲が出たって聞き方はするけどさ。
その上で気に入らなきゃ、「あんまり良くないな」とか言うよ。

だからまぁね、あの人の音楽を「感動した」って聴いていて本当に音楽に感動してたなら今でもその音楽に感動できるハズだし、だまされたとかって憤慨するなら、自分の音楽の聴く姿勢をもうちょっと修正すればいいんじゃないかなと思う。

う〜んと、障害を持っている方が、同じ障害者でありながらこんな作曲活動を行っている人がいるってことに励まされたり、勇気をもらったと感じていた場合には、僕の言ってる事は当てはまらないけどね。
そこはもう、あの人が完全にアウトだよなと思う。


いずれにせよ、これって売る方も聴く方も、作品の善し悪しとか、表現に対する評価っていうのとまったく違うところに焦点あててましたって話のような気がする。




























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夢の場所で(by 自分)

今朝、誰かの話し声で目が覚めた。

いや、部屋には自分しかいないハズなんだが、すぐそばでボソボソと何か語りかけてくる声がしてさ。

「ん?」と思って目を開けてみたら、また一言…

驚いたのでハッキリと覚醒したが、最後に聞こえた言葉がした時の事を思い返すと、どーやら自分で喋ってたらしい。自分で一言いったような感触がある。

たぶん自分の寝言が耳に入って目が覚めたけど、まだノーミソが寝ぼけていて、最後のひと言が弾みで出ちゃったんだろう。

その、目が覚めてから呟いた寝言は「さんま」だった。

その前に何を喋ってたか分からない。
ビックリして起きたもんだから、見てたハズの夢も分からない。

だから、自分が呟いた「さんま」というのが、魚の事なんだか明石家の事なんだかも不明。

ま、あんまり有名人とか芸能人とか夢に出てこないから、多分魚じゃないかと思うけど。とりあえず、焼魚の定食を食べながら、これまで記憶している夢に出て来た有名人、芸能人を思い出してみる。

佐野元春は数回。殆どの出演時に僕に腹を立ててたり、非難を浴びせる。

U2のボノとエッジはアコースティックバージョンでAll I Want Is Youを演奏してくれて、その夢を見た数年後に本当にこの曲をアコースティックでやっているのを見てビックリした。

森山良子が、直太朗の息子だという男の子を連れて来て、その子を数時間預かることになった事もあったな。
その時はキムタクが後からボードゲームを持って遊びに来てくれて、一緒にカレーを作った。すごくいい人だった。

ある控え室に案内されたら、疲弊しきった浜崎あゆみがソファーで仮眠していて、その隣で起こさないように気をつけながら大人しく座ってた事もある。

空港ロビーのガラスで仕切られたフロアごしに、さだまさしと向かい合って、なぜか電話で会話してて、確かグレープの再結成ライブを見に来いとか誘われるんだが、その口調が谷藤師匠そのものだったというのもあったな。

屋上でUFOが接近して来て、中から吉川晃司が登場して来た事もあった。なんかロカビリー調の新曲を出して、そのUFOに乗ってキャンペーンで全国を廻ってるという設定だった。

後は、内容覚えてないけど、男性で印象深かったのは、ダライ・ラマとマイケル・ジャクソン。女性だと中森明菜と、実物の姿は知らないけど、夢の中では卑弥呼ということになってる人。

男性か女性かよく分からないけど、美輪明宏も出て来たな。

こーして見ると結構出演してるか?

でも、高校の時あたりからの話だからねぇ。覚えてないのを入れるともっと出てるんだろうけど。

後は、身近な音楽人も音楽と全然関係ない内容で出てくることあるけどね。

そんなに深い付き合いでもないのにしょっちゅう出てくる人とかもいて、なんか不思議だよね、夢ってのは。







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続いてる事について

昨日はチョット想定とは違ったお知らせの類が続いた日であった。

ひとつは自分に関する事なんで、まぁ若干軌道修正すれば良いだけだから大したアレではない。
ある意味ではスッキリと動きが取れる感じもあり、あとはその事で動き出せばよい。

もうひとつは、なんとなく違和感ありつつのお知らせだったが、これもまぁ、後々自分が関係する場合に諸々の調整が面倒かもなって部分だけが現実的な問題点だし、そもそも僕が何か関われるような話ではなく、誰かと誰かが相談して決める事なので、違和感はあるが、だからどーしたってものじゃない。

若干面白そーでもあるしね。


問題は、もう一個のお知らせ。
まったく僕に関係ない事にも関わらず、これに一番動揺した。
なんで自分がこんなに動揺してるんだか分からないまま、まだ引きずっとる。

詳しく説明する気もないし、何より僕にその事に関して何か言えるもんでもないし、第一、結論以外の事情をまったく知らない。

ある人の、個人的な事情の話。

なんだかとても残念な気持ちがずっと抜けない。

あー、ごめん。

まだ動揺してて、しかもどーしよーもない事で、もう何書いてるんだかもわからん。

なんでこんなにショックなんだかも理解してないもんでね。

念のため再度言っとくけど、まったく僕に関係しない話なんで、僕に関しては心配いただく必要はないですよ。

その残念は残念として、自分の日常はつつがなくやってますんで。


話は変わって、先日も書いたが、表現に関しての色々な話が多いってやつ。

例のゴーストなんとかとか、勝手にベストアルバム出されるとか、色んな角度からの話題に語りたい事は結構あるけど、異常に長くなりそうなんで、またその内に。

そーこーしてる間にまだなんかありそうだけどね(笑)
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傷つく前に理解しよう

はてさて

例のドラマの件などもありましたが、最近、表現者または表現物に関する話題で色々と考えさせられる。


村上春樹氏の小説に抗議があったらしいね。
言葉は悪いが、報道を見る限りでは僕は「抗議」というより「インネンを付けてる」という印象を持ったけれど、どうでしょう?

ご存じない方の為にかいつまんで言うと、春樹氏の短編小説中に、中頓別町出身の女性が運転中に火のついたタバコを窓から捨てるのを見て、主人公が「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなんだろう」と思ったという場面があり、それに対して中頓別町の町議の何人かが「そんなことはやっていない、町民は傷ついてる。過ちは見過ごせない」というような抗議を行ったというもの。

これ、おかしくない?

例えばノンフィクションで「中頓別町では町民は皆、タバコを運転中に窓から捨てている」と書いたのならそれは事実とは違うので抗議されるされない以前の問題である。

ま、小説中で「中頓別ではそれが普通のことではあるが、それを知らない彼は驚いた。」みたいな書き方で、あたかも事実と思わせるように書かれているのなら、まぁ影響力のある作家だし抗議されても仕方ないかなと思う。

でもさ、作中の人物がある人の行動を見て「彼女の土地ではみんなそうなんだろうな」と思ったというだけの事である。
人の行動を見て、ある個人が出身地の慣例なんだろうと思うというのは、事実を紹介しているワケでもなんでもない。

素行の悪い少年を見て「最近の若い者はみんなしょうがない奴らだ」という発言をする人が現実にもいたりするのは、みなさんもご存知かと思うが、いかがだろう?

春樹氏が小説で創作した主人公が、そういう思考回路を持っているという設定になって表現されてるだけの事でしょ?

小説の中の登場人物が皆、誰も不快にさせたり傷つけたりしないような事しか思わないとか、事実を正確に認識している人たちばっかり出て来るような物語で何かを物語れるのか? 人物設定も何もあったもんじゃない。

さっきの「最近の若者は…」みたいなのと同じだけど、例えば小説で女性に翻弄されたり憤りを感じるような経験をしている主人公が「女ってのはみんなやっかいだ」と思った場面があったら、人権擁護団体が抗議するような世の中になってきたのかい?

これさ、抗議した人たちが単純に文章理解力とか物語を読み取る力が足りないだけの話だと思うよ。

しかも、抗議の内容によると「町民は傷ついている」そうだ。
本当にみんな傷ついてるなら「たぶん中頓別町ではみんなが普通に文章理解力がないんだろう」とか思っちゃうよ(笑)。

なんでもかんでも傷つきなさんな。

これに対する春樹氏の対応はオトナだな〜と思いました。


なんか、もしかしたら世界的作家が中頓別町を取り上げるなんて言う滅多にない事が起きて、舞い上がっちゃって過剰に反応してるのかも知れないけどね。

一番怖いのはさ、こういう報道見て、もの凄く単純に
「村上春樹がどこかの自治体を名指しで事実と違う事を書いて貶めている」みたいな認識をいとも簡単に持ってしまって、「けしからん」みたいな風潮になって行く事。

先日書いたドラマの件もそうだけど。

もうちょっと自分で考えようよ。

なんか、誰かが声高に「傷ついた!」と言えばロクな判断もしないままに一斉に叩きのめしが始まるみたいな事が少し前から多くなっているような気がするんだけど?

オレ個人の考えとしては、春樹氏は小説の中でさえ中頓別町を貶めてる訳ではないけど、抗議したって人たちは現実の中で「表現」というものを貶めているなと思うんですよ。
こんな事やってたらまともな創作物なんて出てこなくなるよ。

ついでに言えば、これで中頓別町の「程度」が低いと思われる可能性もあると思う。それはそれで残念でしょう?

ちなみに、僕は中頓別町は行った事ないけど、数名の知人の感想からいつか行ってみたいなと思っている場所でもありますので、お邪魔する機会があったら優しくしてね。

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春よ来い(by はっぴいえんど)

本日はファクトリーにて、おおよそ普段交流しないタイプの方々に混じってライブを見まして。

その前に時間が空いたのでお茶してから行ったんだけど、ライブが終わってからまた待ち時間ができたのでお茶しながら諸々の相談に自分なりの意見を伝えまして。

で、約束の時間になって移動して、カフェにて食事とお茶。

んで、解散してから一人でお茶。

そんで、もう一件立ち寄る用事をこなして、今お茶してます。

雪まつりって事もあり、中心部はやたらと人で賑わっておる、中には東京からやって来ている人たちもいらっしゃるようだが、あなた達の済んでるとこも今日はある意味雪まつり開催中ですよ。

それはそれとして。

このやたらとお茶している中で、一人でお茶してた場所でなんだけどね。

僕の座ってたとなりの席の男女が途中から重た〜い空気になりまして。それまで気にも留めてなかったのに、ふとそういう気配が漂って来たんですよ。
それからなんだか声のトーンが下がって来まして。
男がなんだか分からんけどボソボソ言っている。
チラっと見たら、女性が何やら狼狽している。

「ん? もしかしたらコレは別れ話を男が切り出したとかいうことじゃないか?」と思いまして。
できるだけ何も聞かないようにしてたんだけど、両者がなんだかボソっとしたつぶやきを数秒〜1分ほどの間隔をあけながら応酬してる。

その内に鼻をすする音が、とても静かに繰り返し聞こえてきまして。
もう、両者が黙ったまま店内のBGMにまぎれてときおり「グスッ」っと…

そしてまたボソっと何か声を発している。
声を押し殺して叫んでるような気配がしてちょっと全然関係ないのにオロオロしちゃったりしてさ。

いや、もうコーヒー来たばっかりだけどどーしよーかなとか思っている間に、もう一組カップルがやってきて、その別れ話チームと反対側の僕の隣に忌んどりまして。

こちらはもう、ラブラブですよ。多分、デートで雪まつりに来て買い物もしてって感じだね。もう楽しくてテンション上がってる。
二人とも声に張りがあるし、会話のテンポも早いは、意気投合の絶頂だからどっちかが一言キーワードを告げるだけで「そうそうそうそう、でさ〜」「うんうんうんうん、でもさ」「あ、あれあれあれ、あれだよね〜」「うん、そうなんだよね〜」みたいな、もう勝手にやっててくれみたいな会話が…
そんで、どうもこの二人は温泉旅行の計画があるらしく、行ったついでにあそこにも寄ってこようとか、どこだかの店が美味しいと評判らしいとか、幸せな未来予想図(Byドリカム)を描いておりまして。

僕の左右で気圧が違いすぎる。
もう片方は「外は白い雪の夜(By吉田拓郎)」だからね。

二曲同時に左右で演奏されたらどうしていいんだか分からないでしょうよ。

オレの席だけ異常気象…

この先、僕の両側に座っている男女4人がどんな人生を送るのかはしらないけど(なんと言っても、自分がこの先どんな人生なんだか見当がつかないんだもん)、同じ雪まつりの日をそれぞれが思い返す時に、ずいぶん印象が違うんだろうな。

僕の今年の冬は、とりあえず転ばないように気をつけながら歩くので精一杯だ。

はやく春が来ますように。

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人類はいつから擂っているのか?

昨夜はマルノクで晩ご飯

それから本間さんとまったり諸々トークしているうちに、じゅんちゃんが登場してぼへ〜っと過ごす。

しばらくして、「山わさび」を擂ろうという話になり、出していただいたのだが、先ほどパスタ二人前をいただいたというのに、一口食べるなりご飯をリクエストいたしまして(笑)。

山わさびでご飯…  最高のひとときでございます。

で、堪能中に「わさびを最初に食べた人はいったいどんな気持ちだったんだろう」という話になりまして。

おそらく、最初にわさびを発見した人は、特に「擂り下ろして薬味として使う」ということを目論んでたわけではなく、そのままガブリと食いついたに違いない。
わさびだよ?

当然、相当ツーンとくると思うのだ。
ま、唐辛子なんかもそうなんだけどさ。
多分、そのまま齧りついても食えたもんじゃないし、刺激の強度からすると「食べ物としては危険、これは食べられない」と判断される方が自然なような気がする。
それでも食べ続けてきたからこそ、今でも我々はわさびを食生活に取り入れているのである。

そして、その過程のどこかで「これはそのまま食べるのではなく、他の食べ物にちょこっと混ぜると、ほどよいアクセントになる」という判断がされているんだよね?

そうしてできあがった文化を、できあがったあとに何も考えずに当たり前のものとして享受するのはとても簡単なことだと思うのだが、一度食してみて刺激が強すぎてそのままは食べられず、ヘタすると毒の部類に仕分けされていてもおかしくないようなものを「コレを擦って別の食材の味付けとして利用すると美味しい」という事を気づいたというか、そういう発想をして試してみた人は、いったいどういう感性をしていたんだろう?

ある種の天才ではないかと思う。
そしてまた西洋文化で、こうして刺激の強い植物を薬味として活用するというものはあまりないように思う。少なくとも僕の貧しい食生活の中にそのようなものが登場した記憶はない。

昨日も話していたんだが、おそらく仏教の影響がある地域、もしくは東洋文化圏の中で発達、洗練、定着してきたものではないだろうかね?
東洋文化を背景とした天才が、多分、経験則プラス著感と発想の飛躍を経て閃いたものではなかろうか?

そしてまた、この「擂る」という調理方法がどういう発想で生まれたのか考えてみると興味深い。

多分、西洋では「小麦を擂って練ると食べられる」というあたりから擂り下ろし文化が始まったんじゃないかと思うが、そっから「擂る」は東洋に伝播したんだろうか? それとも、地域問わずに同時多発的に食べ物を「擂る」とか「擂ったら食べられる」という方法が発見されたのだろうか?

ん〜、そういえばサルとかが皮の硬い果物なんかをつぶして果肉を取り出したりしてるの見た事あるから、もしかしたらそのへんから発達してきたのかもしれないな。

で、「擂る」についてもう一つ考えたんだが、人間って硬いものを咀嚼する時って、奥歯の上下で擂り潰してるんだよね。そうすると段々柔らかくなって食べやすくなるし、旨味が染み出て来てより美味しく感じることもある。それに幼児などはこの咀嚼する力が弱いから、動物なんかでもよくやるけど、親がまずは咀嚼して柔らかくて食べやすい状態にしてやってから子供の口に入れてやることもある。

この辺から来てるのかな?とも思うのさ。

あのさ、多分人間も最初に食べてたものってのは、喰いちぎったり、あるいは手で裂いたりちぎったりして口に入れやすい大きさにしてたと思うのね。
だから、道具を使って「切る」っていうのは、そうした行為の延長線上にあって、そこに道具を活用するっていうことだからワリとスムーズに理解できるんだよね。その発達の経緯が。「刻む」というのも発展系だと思うし。

その系統の食事に関しては、本能的な行為というのかな。
多分、人間も他の動物もだけど「なんで腹が減って食べ物を食べるのか?」なんて事は意識してないでしょ?
腹が減ったら何か口に入れたくなって、それを飲み込んだらお腹が満たされて来てなんだか身体が動けるようになるとかってのは、意識してやらなくても、行為の意味を問わなくてもできる。
そこまで考えて分かってないと「食べる」とかそれに伴う行為に移れないとすれば、生き物は生存できない。

だから、食べるために喰いちぎる、手でちぎる、切るってのは本能的というか、あまり思考が介入しない行為のように思う。

でも「擂る」には思考があるよね。
硬くて歯が立たない物を、道具を使って潰す事で食べられるようにする。歯が立たないものだから「コレは食べ物ではない」ではなくて「この食べられないい物の中に食べられるものがあるかもしれない」とか「この道具使って柔らかくしたら結構食べられるんじゃないか?」とか考えた訳だよね?

そういうふうに発想したのだとしても凄いし、何の前例もないのにあたかも知っていたかのように確信を持って擂ったのだとしたら、もう何がどうなってるんだか。

だって、今のオレらって「これは食べ物ですよ」って認定されたものしか食べ物だと思わないでしょ?
それ、最初は食べれるんだかどうだか分からなくて食べた人がいるんだよね? しかも、食べられないような状態のものを擂れば食べ物になるとかってトライをしてた人がいるんだよな。

そんでさ、さっき書いたような「咀嚼行為」をヒントに口に入れる前に予め擂り潰す(つまり、咀嚼を口に入れる前に行う)という事を発想したんだとすれば、それは「手でちぎる作業を道具を使って切る作業に転移した」というのとは違って、「食べるという行為の中で自分は食物を取り入れて何を行っているのか?」という事を意識して、客観的に解析した結果ということになるんじゃないだろうかね?

「食べる」って何だろう?

って事の始まりだったんじゃなかろうか。

もっと言えば「自分はなぜ、腹がへって食べ物を食べるのか?」ってことにも繋がって行く。
それは腹の中に入った食べ物がどのような過程でエネルギーになってどのような作用を及ぼすのかとか、この食べ物にはどのような効果があり、またデメリットがあるのかというのを解明していく科学的な発展にも繋がるし、「ヒトはなぜ食べるのか?」というのは哲学的な命題にもなりそうだよね。

それはそれとして。

で、この食べ物を擂るという行為を、そのままかぶりついたのでは刺激が強すぎる、わさびとかにやってみて、他の食い物にちょっこっと乗っけてみると味が引き立つとか、旨味が出るとかって発想ってもの凄くパワフルでエキセントリックで、なおかつ繊細な感性してる人がいたんだよなと思ったのさ。

昔々にそういう人が存在してたおかげで、僕は深夜においしいご飯を食べられてるんだなと。
夜食には人類の叡智が受け継がれていて、それを味わってるのだと思うと、山わさびでご飯というのはとんでもなく贅沢でスケールの大きな食事である。


要するに、とても美味しかったって話です。







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見ていないテレビについて語るという愚行を行ってみる。



さて、見てないテレビの話で恐縮ですが

最近はドラマの内容などにも色々クレームがあるようで。

そのドラマの脚本家さんは人気の方らしいが、僕は個人的にその脚本家の脚本が好きではないので、これまで彼の人気作品をほとんど見ていない。
見てないけど人気作品、話題作品だけあって何かと場面が紹介されてるものを見聞きしたり、途中の1話位をぼんやり眺めてた事くらいはある。
それだけの材料で、続けて見てみたいとは思わないので見ていない。話のテーマとかなんとか言う前に描き方が好みではないのです。
「ストーリーは面白そうだけど、絵が好みではないので読まない漫画」とか、そーゆー感覚です。

見ても楽しめない、不愉快になる、嫌悪感を持つ。
そういう番組であれば、チャンネルを替えて好みのものを見るか、スイッチをオフにしてしまえばいいだけの事。それはテレビの良いところのひとつだと思っている。

で、例のクレームだが、それはそういう個人的な云々ではなくて、もうちょいと社会的な要素を含んでるワケですよね多分。

孤児を引き取っている施設の描き方とか子供の扱い方とかで、実際のそうした立場にある子供達が傷つくとか、周囲の偏見を助長するとか…。

それで抗議があったってニュースを知った時に最初に思ったのは「ドラマで施設が必要以上に美化されていたり、素晴らしい人格の持ち主ばかりが関係者として登場するドラマだったら、果たしてこの人たちは抗議しただろうか?」という事。

ドラマの影響で、世間に事実と異なるものを事実のように認識される事に問題があるというなら、当然、事実よりも過剰に素晴らしく描かれていても「偏見や誤解を生む」し「子供が傷つく」ということはないかもしらんが「ゆがみが生じる」という可能性は懸念しなければならない。
抗議しただろうかね?

あのさ、ドラマって最後とか始まりとかに「このドラマは作り事だから、本当の事や団体とは関係ないよ」って出るじゃん?

ドラマで孤児が取り上げられてたら、そりゃ学校とかにそういう子供がいたらドラマのあだ名とかで呼ばれたり、ああいう環境にいるとかって言われると思うよ。たとえば、政治家の子供がいたとして、欺瞞と金券に塗れた汚い汚職議員が出て来るドラマみたら次の日にその議員の子供がからかわれるのと同じように。
孤児だろうが議員の子供だろうが、偏見なくみんなからかわれる。
そこで嫌な思いをするのは孤児も議員の子供も同じだと思う。

それを「孤児に対する偏見が」とかってなんか違うような気がするんだよね。

中には、ドラマみて孤児だった人が自傷行為をおこなったとかって話もあったようだけど、OLが主人公のドロドロしたドラマ見て自傷行為した人だっているしね。

で、ドラマはフィクションです。

それは現実とは違うのだと言う事を教えるのも、「フィクションを現実と同一視しないで楽しむ、あるいは作品性に嫌悪する」という態度を伝えるのも、それはドラマの仕事ではなく周囲のオトナが示すものだと思う。

なんか、「私が被害にあってます!!」と何でもかんでも抗議して気に入らないものを排斥していくという態度を見せる方が、子供への影響としてどうなんだろうって気がするのね。

ま、ドラマの内容も孤児を取り巻く実際の環境も知らないで言ってますけどね。

そんで、バラエティも品がないとかなんだとかで放送倫理のなんとかってのに取り上げられてるんでしょ?

そのバラエティも見てないけどさ。見なきゃ不快にもならないし。

昔から、テレビって子供に悪影響があるとかってんで、番組に抗議きたりするけどさ。
僕が子供頃だったらドリフとかひょうきん族とか。

実際に、みんなアレ見てた訳だけど、どんだけ社会的に悪影響及ぼすような人間が育ったんだろう?
テレビでも映画でも漫画でも、それの影響で反社会的な行動したとかって人のほうが特殊なんじゃないかと思う。テレビのマネして下品な事やるとかそういうのは一時的なもので、それはさ、多分テレビがない時代から子供が成長するある過程で似たような経験があって、それを経て成長してくような類いのものじゃないかと。

もう一方では、「はだしのゲン」は子供に読ませないみたいな動きがある中で、戦争の特攻隊員の感動的な作り話が賞賛されてたりもするよね。
映画監督かなんかが言ってたけど、「アレは戦争の美化に繋がる可能性だってある」と。でも美しい話ならOKなのかね? そこの影響は懸念しなくていいのか?

ま、今や抗議をする方もテレビ見て育ってきてる時代なのでね。
そういう抗議する人が増えてるってののもテレビを見続けて来た影響で、そういう思考のオトナに育ったってことなのかもしれないけどね。






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ざわめきが追いかけてくる

まー、あれですよ

日がな一日ざわざわした場所にいて、ほとんど喋り続けて、今飯食ってようやく落ち着いたんだけどね。

帰る前にもうちょいと頭というか気分というかを鎮めて、切り替えてから帰宅しようと思ったんだよね。

で、今中心部にあって騒がしくなく、落ち着いた雰囲気のカフェにきてみました。

たまに立ち寄る。
珈琲が美味いし、静かだし、音楽の趣味が良い。
ちなみに今はスタンリー・クラークが小さな音量で流れておる。

狭いスペースだが、地下と二階、三階に席があり、僕は三階がお気に入りだ。

四席ずつのテーブルが4つで埋まるスペース。
この時間帯なら大抵誰もいない。

日中でもこの時間でも、もし誰か居たとしても大抵パソコンやら書類を広げて黙々と何かやってる人とか、読書してる人。
たまに静かに会話する2人組がいるとかそんな感じ。

僕もMac持ってきて作業したり本を読んだり、ボーッとして過ごすことが多い。

今日はボーッとしようと思って席に着いたのだが、その後を追うかのように、8人組が賑々しくご来店。
二つのテーブル占拠。

このフロアの半分が彼等の領域となった。

何かの飲み会の二次会に参加しなかった人達らしい。

最初は静かめに話してたけどね。
ま、酒も入ってるし、案の定盛り上がってまいりました(笑)

スタンリー・クラークなんてもう聴こえやしない。

今日は頭を緩めるのが難しい日のようだ。

でも、美味しい珈琲が約2杯分あるんですよ。ここは珈琲注文すると、他と同じ料金で2杯飲める。
なので、作業や読書で長居するのに良いんだけどね。

とか書いてる間に、誰かが盛り上がり過ぎてカップひっくり返してやがる。

そんな訳で静かにボーッとするのを諦めて、日記で実況中継している次第。

あー、落ち着かない(笑)


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踊りました。間違ったリズムで



まだ、僕がインターネットを使い始めて間もない頃だったが、とあるSNSで人探しをしているという情報を色んな人に拡散して、その人の目撃情報を集めたいという趣旨の書き込みを見つけて、事件性も考えられるって話だったし、自分も書き込んで、それ読んだ人がさらに書き込んで…って連鎖して拡散していくとなにか情報持ってる人が見つかるかもな〜って考えてさ。
まぁ、そんなんで何かの役に立てるんならと思って、同じ内容のってか、情報は正確にと思ったんで、但し書きつけた上でその記事そのままコピーして公開したんだわ。

気持ちとしては悪い事じゃないんだろうけど、でも浅はかだったね。

それ、消息不明な人の友人だかが、心配している家族を手伝ってて情報収集の方法で思いついたらしいんだけどね。

連絡先とかもバッチリ掲載されてて

僕と同じように拡散に協力した人は全国に沢山いまして。
それ見てあくまでも「善意」からその家族に励ましの連絡入れたり、あるいは悪戯で虚偽の情報を連絡する人もいたりで、結局必要な情報の収集の妨げになったというか、収集がつかなくなっていったらしいのね。

更には、情報って拡散しだすと勢いつけて増殖するからさ。
例えば、本人が見つかって解決したとしても、そんな事とは関係なしに、誰かが拡散して放置された記事に目を留めてまた「善意」で自分も拡散を開始したりする人がいると、その善意がもの凄い迷惑をかけることになる。

ま、オレはその後どうなってたか後追いしている途中で、そういう話も見つけたんで、割と早いうちに自分の記事は削除してオレから拡散した人にも削除してもらうように頼んだんだけどさ。

あれは後味悪かった。

それ以来、それ系の拡散協力はしない事にしたんだけどね。
ま、やるんだったらその後の経緯もしっかり確認して、しかるべき時には再度、解決したって内容を拡散したり元記事を削除したりしなければならないし、自分だけがそうしたところで、自分から派生して増殖した物がどう広がって行くか分からんからね。公開してるんで、誰とも繋がってない人が見かけて拡散したりもするでしょ?
それに、記事見て何か悪さを始めたりするのもいるし。

と、まぁそんな事がありまして、以来何かの情報を見ても、迂闊には垂れ流さないようにはしようと思ってるし、何かの話題を見かけたら、一応できる限りだけど情報の出所とか、対峙するような内容の情報はないかなど確認するようにはしている。

しているんだけど、今回は怠ったね。

ちょっと似たような話を以前から色々見聞きしてた時の憤り見たいのが積み重なってて、その記事見つけて瞬時にカチンと来たのね。
えと、簡単に言うと
「尾崎豊の『15の夜』が音楽の教材に取り上げられるんだが、教育委員会で歌詞にある『盗んだバイクで走り出す』という部分が反社会的表現で、教育上よろしくないから、その部分を差し替えて教材に掲載する運びとなった」みたいな内容。
どっかのニュースサイトでの紹介記事だったんだけど。

特に尾崎豊が心酔してた事はないし、どっちかというと僕の好みではないのだが、それでもコレはおかしいだろうと言うのがちょっと感情的に盛り上がっちゃって、「どーかしてるぞ」というのをフェイスブックに長々と書いたんだけどさ。

そのサイト、虚構の記事を掲載しているサイトだったという…
もうね、完全にしなければならない確認をすっ飛ばしていた。先に記事が目についちゃったんだな。え、あっさり鵜呑みにした。

普段から「情報は鵜呑みにしてはいかん」とかここでも書いてるし、そう意識してるんだけどね。さっきも書いたけど、ソースとか確認たいして。

それでもやるときはやらかすね。

幸い、気がついた人が教えてくれて、すぐ「間違えました」ってコメント入れたけどさ。
ま、あまりにもマヌケだったんでしばらくそのまま残しといて恥を晒しとこうと思ったんだけどね。
さっき見たら、そっからまた拡散され始めていて、最初は「嘘の記事だった」ってコメントに入れてるから大丈夫だろうとおもったけど、大体自分が記事の出てるサイトの確認してなかったんだからさ。そのコメントも確認しないで、目についてところだけでまた増殖していくと面倒な事になるし、恥ずかしいし(笑)。

ちょっとゾッとしたんで削除しました。

なんか、放送メディアに「都知事選終わるまで原発の話題はだすな」ってお達しがあるとか、話題になってるテレビドラマにクレームついたって話とか、ちょっと前だけど「はだしのゲン」読ませないようにするとか色々あってね。あともっと前だけどオレが見て感動して中高生に見てもらいたいと思った映画がR15指定かかったとかさ。
そういうのが色々あって「おかしいじゃねぇか」って気分がずーっとあったのね。
それがよりによって虚偽の記事でぷつっと切れたというマヌケさ(笑)

えと、話題に出したついでに、そのドラマとかなんとかに関しての見解はまた日を改めて述べようかと思う。








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