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海月屋・辻正仁『短めでお願いします』

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今朝未明に思ったこと~自分に向けての覚書~

昨夜は敬愛するHEAT WAVEの山口洋さんのソロツアー、札幌公演を音響にてお手伝いさせていただいた。

リハの段階で音響に問題がなく気持ちよくやれそうだと言ってくれたのでほっとしていたのだが、本番開始間もなく、まさかの機材トラブル。
専門的なことはアレなんで省略するが、ギターに使用しているエフェクターの一部がイカレた模様。いかんともし難い事態に。

そしてそこからが山口洋の山口洋的なところで(おそらくご本人は望んでいないと思うが)、この状況困難によって余計に気持ちが伝わるステージとなり、多分、客席も一層燃えていた(笑)

歌もすばらしいと思うし、ギターの演奏力もものすごい人なんだが、そういう音楽的なアレもなぎ倒して「一人の人間がそこにいる」ってことで聴く者を魅了してしまう人なのだと思う。

トラブルで思い通りの音を出すことができなかったご本人は不本意なのかもしれないけれど、個人的にはそんな姿を見せていただいて嬉しかった。

山口さんとは考えてみたらもう10数年ぶりに顔を合わせてお話した訳だが、なんとなく覚えてくれていたようで、これまた嬉しい。

そして、今回初めてお会いしたのが、オープニングアクトを務めた、堀下さゆりさん。
福島県相馬市の方で、被災した子供たちと一緒にアルバムを製作していたりするそうで。声も楽曲もステージもツボだった。いろんな方に聴いていただきたいなと…。

このお二人のライブ、歌も震災にまつわる話もとても心が震えるものであったのだが、それ以上に僕にとってインパクトがあったのが、今回同行していた山口さんのご友人、森田さんの言葉。

森田さんは福島県で被災され、ご自宅が津波に流されてしまったとのこと。
山口さんに紹介されてステージに立ち、震災後、原発事故後の相馬市に暮らしている人たちの事や、ご自分の事をお話してくれた。

報道されることのない現地の実情や、その土地に生きるひとたちの暮らし。
元来、陽気で照れ屋な人柄なのだというのが伝わる口ぶりで語られるその言葉が響く。

報道されないこと、政府が公にしないことはいくらでもあるだろうとは思ってるし、その一部はネット上や海外の報道からある程度、知識や情報として知ることはできる。

でもね、そういう文字や写真を間接的に見聞きするよりも、多少話が脱線したり、つたない語り口ながらも、現地で暮らす方の声や表情、存在というものに直接触れて伝わるものの「真実味」というのは、知識や情報ではなく心として伝わってくる。

又聞きみたいに僕がここで細かい話をするのも何も伝わらない気がするので、詳細は割愛するけど(機会があればぜひ、直接被害に合われた方、被災地に暮らす方の声を聞かせてもらうといいと思う)、原発事故の影響で住む土地を奪われた方、生活の糧であり誇りでもあった仕事を奪われた方、明日を思い描く希望も見通しも奪われた方、被爆の恐怖、それに対しての改善のビジョンすら提示されない絶望感。そして「積算線量計」なる物をぶら下げられ、外で遊ぶことも許されない子供たち…

理屈では色々言えるのかも知らんが、果たしてそういう方たちの「思い」を前にして理屈を言うことに何の意味がある?

前回の日記で僕は「原発には賛成できないけれど、電気がないのは困る」と書いた。「暫定的に稼動させながら将来的には廃炉を目指す方向になれば」という気持ちで書いた部分もある。

自分の生活も鑑みて「理屈」の上で正直「簡単に原発反対と一概に言っていいもんなのか?」という迷いもあった。
自分のできる範囲では、原発擁護の論も反対の意見も、代替案が有効なのかそうではないのかといった事もある程度調べたりもしてたけど、これまでの自分の生活には原発による電気供給も組み込まれているわけで(言うなれば僕も当事者な訳で)、色々と躊躇する気持ちもあった。

でもね、昨日の話を聞いて思ったんですよ。
『原発は止めなくてはならない。その上でこれまで溜め込んだ廃棄物の処理に関してもどうにかしなきゃならない』みたいな事を。

人の手に負えないものを支配しようとしていたのだ。
「私の責任で」って言って動かしたって、何か起これば責任の取りようすらないモノなのだ。

電力が不足するから計画停電するという。もちろん、いわゆる停電弱者、生命維持を電力に頼らねばならない方たちには供給を続けるべきだが、自分自身は一日のうちで数時間電気が使えないくらいどうにかできる。
不足に見合った生活に切り替えればいい。

大きな事故などなくたって単純に考えて、機械というのは故障するものなのだ。
それを動かそうとしている。故障したら場合によっては今後何世代にも渡って人が生きていけなくなるような機械をだ。

今、原発をなくしたら経済活動がどうとか、日本が破綻するなんて意見もある。
それはそうなのかもしれない。
でも、それでしばらく持ちこたえたとして、そこに原発事故が起きたらどうなる?

経済が破綻しようと、社会の成り立ちが変化しようと、人が生きていける場所があり、生産活動が行える場所が残されていれば、農作物が育てられる場所があり、魚を獲る事ができれば、その後続く世代が破綻したものを作り直す事ができる。人間としての営みを続けることはできる。

放射能に汚染された場所でできることは、その先に託せるものはあるか?

僕には思いつけない。

そんなモノが国内に50箇所以上あり、それに依存している生活ってやはり何かがおかしい。

このごろの「再稼動反対デモ」。大飯原発のデモに参加した方がNHKの取材クルーが来ていたんで「今度はちゃんと報道してくださいね」と言ったら「そのつもりで来ました」と答えてくれたそうだが報道はなかったとのこと。
現場の意思を通さない決定が上のほうでされてんだろうね。

そういう事も含め、「デモは無駄」とか「もっとうまくやらないとダメ」とか言う意見もある。そうかもな? とも考えたりもする。「物事を変えるのにはデモなんかしても何も換わらない、経済合理性に見合わなければ変わらない」という意見も見た。
そうかもね。

だったらどうだい?
何もしないよりはデモで意思表示したほうがいいのではないか?

例えば再生可能エネルギーが『儲かる』ようにするには、まず企業の開発などが大事なところで、企業は「これが儲かる」と思えば力を入れるのだ。
市民にウケが悪くなった原発の継続と、市民のニーズに合ったエネルギー供給技術を開発していくので、企業イメージも含めどちらが将来的な収益が見込める? どちらの企業が支持される?

企業がそっちに舵を切り出したら、政治に対する要請や圧力はどっちに集まる?

そりゃ、今デモしたから「ハイそうですか」と止まるわけではないかもしれないが、「もう原発はほしくない」と公に表明するのは意味のないことではないと思う。

さて、僕はどうするかと言うと、過激に反対運動する予定もつもりもないが、自分の心積もりははっきりさせたいと思う。

理屈なんて後でいい。人間らしい暮らしを享受して生きる事を望み、正常な遺伝子を後世に継続させる本能を持つ生き物として、僕は原発に反対します。

原発に反対しながら僕は相変わらず他愛のない歌を書き、飯を食うために働き、誰かと仲良くなったり、ケンカしたり、お風呂に入ったり、散歩したりしながら過ごそうと思う。
楽天的、理想主義的ではあるが、それだけでも何かが変わっていくはずだ。

昨夜の森田さんのお話を聞いた後で、そんなような事を思った。

実はまったく個人的な理由で震災があった時に僕は福島の事を考えたというのがありまして…

その後『円山夜想』というお店に声をかけて頂き、マスターの本間さんと知り合い、彼がHEAT WAVEのファンであるばかりでなく、お店のスタッフに山口さんや森田さんと親交のある方がいて、その店に数年会っていなかった同じように山口さんの活動を応援している方が訪れて、山口さんがその店でライブを行うこととなり、そして僕も山口さんが参加する復興支援に協力するお店の企画に参加する事になり、山口さんのライブのお手伝いをさせていただくこととなり…

『コレは呼ばれちゃったな』

という気がしているのです。

その事にとても感謝しています。
ありがとう。


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