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海月屋・辻正仁『短めでお願いします』

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コピーとカバーとオリジナル ~言霊と声霊~


先日書いた、マンガ『僕はビートルズ』の話題の最後に、僕は「いくら本物と同じサウンドでも本物の歌声が含まれていなければ本物のような魅力も衝撃も与えられないハズだ」みたいな事を書いたハズだ。

それで、実は『僕はビートルズ』の連載が始まった頃から、中学か高校の頃に読んだ短編小説を思い出していた。といっても、タイトルも作者も覚えてないし、内容も不鮮明だけど。で、やっぱり同じような事を考えていたのだった。

その小説は確か『三億円事件』の時効成立前後に発表されたものだと記憶している。

覚えているあらすじは、確か1975年(事件の公訴時効成立の年だね)くらいに大学生だった二人がなじみの喫茶店にいる時に、なんかの弾みで三億円事件が起きる数年前(だったと思う)にタイムスリップして、そこで途方に暮れていた時に若い警官と知り合い、その警官は二人の話を信用して何か生活できるように面倒見るんだよ。
確かね、その当時に起きた大きな事件を幾つか発生前に教えて、そのとおりになったからじゃないかな? 当然、『三億円事件』の話もする。事件後にわかった犯人の手口とか、犯行の段取りとかも教えてね。

で、タイムスリップした一人は小説家とかルポライターとか、なにか言葉を使う仕事をして、斬新さが評価される。それは自分が記憶している今後数年先までの世の流れを踏まえて活動しているからなんだね。
それで、もう一人はもともとフォークソングファンでさ。で、オリジナル曲として『神田川』とか『旅の宿』とかで大ヒットを飛ばして、若者文化のヒーローになるんだな。デビューアルバムが『氷の世界』で、日本初のミリオンセラーになる(笑)。

2人はそれぞれに売れっ子で多忙な日々を送るわけだけど、やがて『三億円事件』が発生する日が来て、ま、その世話になった警官に教えてたから、彼が犯人を捕まえる現場にこっそり行って犯人の顔を拝もうとするんだな。で、行ってみたらその警官が犯人だったと…。
つまり2人が教えた犯行の手口をそのままその警官が実行したんですね。

で、それからどうしたか忘れたけど、またなんかの弾みで2人は元の時代、タイムスリップしたまさにその時間、現在のなじみの喫茶店に戻る。まるで時間が経過していない状態で。
で、2人が「戻れた」って喜びつつも「2人で同じ夢でも見たんじゃないのか」なんて考えてたら、店の戸が開いて例の警官が笑みを浮かべながら現れる…って感じのオチだったと思う。

で、何が言いたかったかって、その大学生の一人が自分の知ってるフォークソングをオリジナルってことにして、タイムスリップした時代にフォークソングブームを巻き起こすってやつね。『僕はビートルズ』と同じなんだな。

それ読んだときも違和感あったのさ。『神田川』『旅の宿』に『氷の世界』。つまり『かぐや姫』『吉田拓郎』『井上陽水』である。それが同一人物から発せられたら気持ち悪いだろう。歌世界の文脈が違いすぎる。そして第一、歌唱人物の声が違う。

歌というのはさ、歌詞とメロディとアレンジ、サウンドが同じなら誰が歌ってもヒットすると思う? 僕は絶対に思わない。歌なんだから『歌声』も重要な要素だろう。

たとえば、陽水の『リバーサイドホテル』を南こうせつが最初に歌ったとしてヒットするか? そりゃヒット曲として認知されたあとならそれをこうせつがカバーしたら話題性充分だが、何もないところからかぐや姫の新曲として『リバーサイドホテル』が出てきたらファンから石投げられると思うよ。「なに単調で意味不明な歌うたってるんだ」って。
いや、もしかしたらAKB48なら投票用紙封入させてミリオンヒットするかもしれないけどね。

アレは陽水の歌声ありきであの空気になるんだからさ。『旅の宿』だって拓郎の声でガサツに歌わないと、最初から氷川きよしが丁寧に歌ってもだめだろう。企画会議で「こんなクズ使えん」ってボツになったかもよ。

最近の徳永英明が女性歌手の曲カバーしてヒットしてるシリーズもさ、中島みゆきのヒットで認知されてる『時代』をカバーするからヒットするんであって、あの曲が世に出るときに徳永英明が『時代』でデビューしてヒットしないだろう。
「いい歌は誰が歌ってもいい」とはよく言うが、それはその歌を「いい歌だ」と世間に思わせた誰かがいたからなんだと思うんだな。
最初に世に出るときにその「誰か」以外が歌ってたら「いい歌」として知られることはなかったかもしれない。もしくはいい歌なんだけどヒットせずに消えてったかもしれないんじゃなかろうか?

そういう違和感があるんだよね。ま、僕は一応歌を歌っていて、しかも技術的に力があるわけでもない。だからこそ思うんだよね。歌には歌い手の発する「言霊」というか「声霊」が重要なんだって。でなきゃ、ただのヘタクソなボーカリストいっぱいいるだろうし、そこを信じてないととてもじゃないが人前で自作自演なんてできないよ。

で、コピーバンドやってるミュージシャンの人達ってだから不思議なんだよね、僕にしてみると。
あんだけギターの音色だのフレーズだの本物に忠実にってこだわって、へたすりゃ本物がミスったところまで再現しようとするのに、ボーカリストの声がぜんぜん違うことになぜあれだけ無頓着でいられるんだろう?

そりゃ、本物にあこがれていて、その気になってモノマネしているのでよければきっと幸せなんだろうから僕がどうこう言う必要もないんだけど、自分がボーカルのせいか、まずどんなにうまいバンドでも2曲以上になると飽きる。申し訳ないけど。

だって、サウンドが忠実であればあるほどボーカルの声が違いすぎてぶっちゃけ「がっさい」と思ってしまうんだもの。ヘタするとオリジナルのキーであるが為に、そのバンドのボーカリストに合わないキーの場合もあるからね。コピーバンドの悲劇は(あくまで僕にとってのね)、ボーカリストが本物のボーカルにそっくりな声でマネをすればしたで本物の魅力とのズレが生じてしまうところだ。それはマネだと気づくから「言霊」も「声霊」も感じない。
ただ、「あぁ、この人達こんなにあのバンドが好きなんだね」ってところで幸せが伝わってくるならいいんだよ。それなら楽器持ったばっかりの人でも構わない。

でも残念ながら僕はコピーバンドは入りたくないんだな。もう「オレ歌えない」って事しかないもん。歌でだれかのファンであることを表現しようと思ってないから。自分の何かを出したくて曲書いて歌いだしたんだからね。人のを聴くときも無意識にそこを聴きたいんだと思うし。

だからコピーは苦手だけど、カバーならいいんだよ。「オレらが好きなあの曲を、オレたちがやるとこういうサウンドになるんだぜ」ってのがね。ボーカルの「言霊/声霊」を生かすキーやアレンジが施されれば、それは表現として好きだ。
なんでもパンクやレゲエやボッサにするのはちょっと品がないなと思うけど。

だからあくまでも個人的な話だけど僕が聴きたくてそして顕わしたいのは「言霊/声霊」って事なんだろうね。昔からずっと。














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