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海月屋・辻正仁『短めでお願いします』

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ワタクシ事で甚だ恐縮ですが



さてさて

幸運にも震災の物理的被害は僕の知る限りほとんどなく、繁華街で現場の電源供給に関して殆ど意味を持たない節電が行われている札幌にいる、うだつのあがらない一人のおっさんとして、今回の震災とそれに伴うもろもろに関しては、何も発言しないことにしようと思っていた。今も思っている。

自分でやっていることは個人的にやっている事なので発表するつもりもないし、だれかに「コレをやるべきだ」なんて事を言うつもりもないし、誰かが何をやっていても、やらなくても、そんな事をいちいち個人的に指摘して批評したってあんまり意味がない。

ふだんから世の中に物申しても意味はないしソレを承知で書いてるんだが、今回はたとえば政府の対応がどうだとか、世の風潮がなんだとか言ってると、自分が貧しい気持ちになると思うので言わない。
報道の仕方、買占め、『不謹慎です』発言においても賛同も批判も公にはしないことにしている。
というかむしろ「そういう気持ちや考え方もあるんだな。それはその人が良かれと判断していることなんだな」と考える事にしている。
言いたいことがあれば、建設的な形で実際的な場所と思われるところへ直接と考えている。

それでもね、メールや実際に対面しての会話の中で今回の件に関する話題は当然出るわけで。

なんだか知らないけれど、悩みを聞かされたり、何か僕なりの考えを伝えたほうが良いと思えたりする事もあって、あと、それ以外にも『こんなときにあのボンクラはどんな事を考えてるんだろう?』みたいに思っている方もいるようなので、ちょこっとだけね。

僕が話をしたのは、
「大変な目にあって困っている人が沢山いるのに自分は何もできない」と悩んでいる人。
「こんな大変な時にライブなんかやって楽しんだりしていてイイんだろうか?」と考えている音楽人。
自分のやっていることや発言に『こんなときに自分の活動ばかり考えて不謹慎だ』と言われた音楽人。
「今は自分が楽しんだり、普通に生活する事もなんだか気が引けておとなしくしている」という人。
その他。

以上のかたがた。

僕は大体において同じような事を相手に言っていたと思う。
それがたぶん、僕の個人的な考えだ。

その辺をまとめて文章化してみようと思う。
これが絶対的に正しいとは思っていないし、この話が何か公共の役に立つとも思わないし、ある程度気心の知れている方との会話の中での発言を下にしているものであることはお断りしておきますよ。

誰を批判するつもりもなく、誰の批判も受け付けるつもりはない。

もちろん、被災されている方々の状況とも何の関係もないし、実際的な効果などないのは承知の上。
そしてコレは現在の札幌という場所での自分の生活環境の中においての考えだ。

ただの個人的な戯言である。
「オレはこう考えてこういう姿勢ですよ」って事を記録しておくためのもの。もしかしたら後で自分で読んで「あの時はオレ、間違っちゃってたなぁ」とか思うかもしれない程度の、今の考え。

コレを読んで何か自分なりの意見があったり、思うことがあった場合はどうぞそれぞれご自分の場所で、ご自分の姿勢としてどうぞ。

賛同であれ、批判であれ。

そして、前置きほど中身はたいしたことはない(笑)。



再びさてさて

チャリティーライブ、または個人的に街頭に立ち募金を集めるのは、まぁたぶん1円でもお金を集めた方がいいんだろうから、有志がやればいいんじゃないかな? と思う。
今この時点で自分が音頭取ってやろうとは考えていない。
理由は簡単。オレが自分のライブでやったとしても大して集金できないからだ(笑)。「自分はチャリティーやりました!」みたいな自己満足しか残らん。
それに、僅かながらでも普段オレのライブに来てくれる方やら音楽を気に入ったくれている方は、大体こういうことがあれば自分の判断で、自分ができる限りの募金(それがコンビニでのつり銭を募金箱に入れるだけとしてもだ)は黙って静かに行っているだろうと思っているからだ。そういう人たちにわざわざこちらから募金を呼びかけて、また募金してもらおうとは思わない。

ついでに言えば、然程余力のない個人やライブハウスの現状を知っていると「そんなに無理しないで」とも思っている。なんだかこの時期に営利でライブやっちゃいけないような空気もないでもないが、一晩の収益減が即死活問題になるような状況で、志だけを頼りにやっている場所や人をつぶしかねないような事は、長い目で『復興』を考えた時には、なんら効果的ではない。
ここで無事だった場所のライブハウスが潰れたり、音楽人がやっていけなくなったら、たとえば被災した場所で音楽を目指している人たちが再び自分の目指すことを叶えられる場所も、支えとなる人もいなくなるじゃない。

これは音楽だけではなく、芝居も映画もクラブもキャバクラもおんなじこと。

幸運にも無事だった場所にいる者が力尽きるような事をして全国でしょんぼりしても仕方ない。
喜びや楽しさや夢や憧れや、もしかしたら自力で生活を立て直せるかもしれないと思えるような場所や機会を用意しとかなくちゃ。そういう元気さを発していなくちゃと思う。

たしかにしばらくはお金や物資を支援するのは大切なことだと思うが、その辺は経済力や影響力のある方々が先導して、協力できる事を協力すればよいのではないかと。

この大災害に己の無力感を感じない者はいないんじゃないかと思う。もともと無力なんだってところから考えれば、そして思いもしなかった事が起きたって事から考え始めれば、「自分が無力だ」と落ち込む必要はない気がする。
落ち込むのはいいけど、それは現場にいる人たち、被災した方々も直接支援活動している方々もより感じているかもしれない。聞くところによると、救助犬は見つけた方がすでに亡くなっている人ばかりだとどんどん気落ちしていくらしい。
それでも、それを飲み込んでやるべき事をやっている。

無事だった側が周囲に気遣わせるような空気を漂わせるのは個人的には好意的には受け止められないし、例えばネイルアーティストがレスキュー隊員や物資調達や介護や現場対応の知識やスキルのある人たちと同じ事をできないからといって落ち込む必要はないと思うんだな。
レスキュー隊員にオシャレな爪は作れないでしょ? 喫茶店のウェイトレスさんは命を救う技術も知識もないかもしれないが、笑顔で「いらっしゃいませ」と言って、お茶を飲む時間を快適に過ごしてもらう事はできる。

ただ、それが力を発揮するのは今ではないって事だよね。平時に自衛隊が活躍しないのと同じこと。彼らはそんな時はしかるべき時の為に訓練していたり、お気に入りの喫茶店でくつろいでいたり、区役所の窓口の子に恋をして彼女を芝居に誘っているかもしれない。
懸命に誰かを助けている看護師さんはパチンコやホストクラブで英気を養っているかもしれない。

音楽とか芝居をやっている人間も含め、無事な場所で自分のやっていることで周囲を元気にして、ついでに稼いで金貯めて、しかるべきときにしかるべき場所に赴いて、歌を歌ったり芝居を楽しんでもらったり、爪を磨いたりするのもいいかもしれないね。

そういう時の為に、ライブや芝居をお金払って観に行って活性化させたり、誰かを直接助けたりできるかもしれない人たちに笑顔を向けたり、東北の地酒でも飲んで酔っ払うのもいいんじゃないかな?

今、それぞれの場所でやれることって、誰かの揚げ足とることじゃなくて(その辺は黙っといて)、まずは自分が元気でいることと、余力があれば誰かを喜ばすことのような気がしている。とりあえず身近な人から。

例えば音楽人なら、自分の音楽を聴いてくれる人達に、精一杯楽しんでもらって、お客さんを元気にさせて、その収益で自分も含めて現場が明日も無理なく回っていけるようにして、これから20~30年くらいのスパンでいろんなものを失った人達に、何かを得てもらえる状況を維持して(できればもっと盛り上がって)いく事なんじゃないかなと。

別に使命でも義務でも立派でもなく、無理なく楽しくね。






http://www.city.sapporo.jp/kinkyu/busshi_boshu.html

http://tamesue.cocolog-nifty.com/samurai/2011/03/post-c95f.html

http://ameblo.jp/hcj-info/entry-10839078375.html






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