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海月屋・辻正仁『短めでお願いします』

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光を描く時は光を描いているわけじゃない。


結構長い間日記書いてなかったようだね。

色々と考えていたんですよ。あんまり意味のないことを。

でも結構ず~っと考えてた。
ま、引きこもって考えてたワケではないけどね。空いている時間に。
空いている時間というのは、お仕事したりご飯食べたり、寝たり、立ち読みしたり、すれ違ったときに「おっ、今の子カワイイなぁ」などと思ったりすることの合間を縫ってって事である。

主に寝る前とかね。

ホラ、最近ツイッターとかやっていると、他の音楽人達が音楽について、ワリと作る側の観点で語っていたり、分析したりしているのを見かけたりする。見かけるたびに「すごいな~」と感心するんだが、実は何を話しているんだか実際には理解できていない事もある(笑)。「音楽理論」ってやつだね。経験的に知っていることでも、言語化されると、何のことなんだかわからんのだ。それで、多分僕は良くも悪くも、そのあたりの事を感性勝負でやっている。「ここでこうすると、あ~なるから」みたいに考えてないのだ。コレはちゃんと感性ということと「コレでいきます!」みたいなものを意識してないと、惰性の音を生み出すことになるんで「良くも悪くも」なんである。

考えていたのはその事ではない。

そうした音楽理論みたいな知識を得たり、反芻したり、言語化したり実践しないで、自分は何処についてこだわって考えてきたんだろうね? って事にふと気がついたのです。僕はもう音に関してはある時点で「感性のみ!」とハラをくくってきたんで、コレを今から曲げようとも思わないし、自分のキャラであろうとは思っている。そんで、多分そういう音製作の人たちの拘りみたいなものを、僕は「歌詞」でやってたなぁ~と思い当たったんですわ。

なんか、ここで「例えばね」って実例を書いたんだけど、これは聴いている人のイマジネーションを規定しちゃうんでやめとく。
その曲が「何について歌っているか」は作者である僕にも「ようわからんけどできた」ってものがあるしね。「ようわからん」ってのは、言語的な意味としての説明ができないということです。よく弾き語りのライブやる人で「次の曲はコレコレこういう気持ちを歌にしました。聴いてください」みたいなMCあるけど、僕はそういうふうに説明できる歌が殆どないんだよね。その場の流れで話しにあわせて紹介することはあってもそれだけじゃないみたいな。

だから、どう解釈されてもそれは聴き手ひとりひとりが正解であるということにしたいと。だから「コレってこういう歌でしょ?」なんて確認されると、その日の気分で「そうだよ」とも「そうじゃないよ」とも言う(笑)


あ、ちょっと話が逸れた。

いや、考えたこと全部言うつもりはないんだけど、まだ途中だし。

で、何が言いたいかというと、自分の歌詞についてず~っと考えてたら、書いた曲のトータルとして自分のやっている行為が腑に落ちたんだよね。全然歌詞とか音楽とかいう観点の話じゃないけど。もう河合隼雄先生の分野の話ってか中沢新一さんの目指してる話がよ~く分かってきたかのような気がするし、気のせいかもしれないし…。
そんで、音楽理論とか突き詰めて考えながらやっている人たちも、やっぱりそういう事をやっているんじゃないかと思った次第。

※コレ、真ん中にあった説明ズッポリ削除したから、いったい何が言いたいんだかさっぱりでしょ?(笑)。
タネ明かしはしないので、雰囲気だけで「なるほど~」と思っておいてください(笑)。



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