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海月屋・辻正仁『短めでお願いします』

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本日も

ワタクシはラジオおやすみでござい。
代打は先週に引続き橘亜耶ちゃんでござい。
よろしく。



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年内ライブ終了(予定)

昨日アミナでのマンスリーライブ『毎月海月』の10回目を終了した。まぁ諸々あって今回がマンスリーの最終回となったワケだが、いつもより多くの方がきてくれた。ありがとうございます。

ふと気がつけば今回が年内最後のライブのようだ。来月はよっぽど突発的なオファーがありよっぽど運よくその日が空いているのでなければステージには立たないだろうね。

さて、今回はアミナでのラストという事もあり、できるだけたくさん歌を聴いてもらいたいと思った。しかし、アミナマンスリーには時間規定もありいつも以上に曲数を増やすと時間オーバーとなる。
そこでだ。

MCを少なくした(笑)。大概いつもしゃべり過ぎなのだ。だから今回は初めの挨拶と、後半で短めなのを1回だけ。ほどんど歌を歌ってみた。

そんなセットリスト
    ↓

・ガールフレンド
・Bye-Bye Boyfriend
・オレは愛を持っていないんだろうか?
・光と影
・素敵な君の歌
・心の壁、愛の歌
・おやすみ、君は自由だ
・Strike Back Over 40s
~アンコール~
・三日月のかんざし

なんかね、良い具合にやれたようだ。
店主せいちゃんと女将あやさんには本当にお世話になった。

ありがとうございます。


さて、来年は恒例となった1月21日フライアーパークでのバースデーワンマンライブから始動の予定である。知っている人は知っている長丁場(笑)。楽しく会えるようにしとかなくちゃね。
またお会いしましょう!



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辻 正仁 Monthly Live”毎月海月~Maitsuki Kurage Vol.10(最終回)~”
≪cafe amina≫◆(札幌市中央区南9条西16丁目)
2009.11.27(金)OPEN18:30/START19:00
料金:1,000円(1ドリンク付)
*会場には駐車場がございませんので、お車での来場は御遠慮下さい。


よろしくね。ひょっとすると今年のラストライブになるかもしれない。
どうやら紅白にも出演しないみたいだし(笑)。








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届かぬ手紙

そんなわけで僕がお休みをさせて頂いた『KurageYa本舗』、今週と来週をメインで留守番してくれるのは、先日まで岩淵綾だった橘亜耶ちゃんである。

放送がどうなっていたかは知らない。その時間にラジオが聞けるくらいならラジオに出てしゃべっているだろう。
基本的に丸投げ状態。若者は好きにやらせたらいい。そうすれば我々よりも遥かに面白いことをやってのける。そう思っている。
むしろやってくんなきゃ困る。「オマエらなんのために若いんだ!」とオヤジ臭い小言を言いたくなる。
今回のような件で言えば(亜耶ちゃんがそうだと言うのではなく、慣れない若者に番組を預けたってことでね)、初回なんかウマく行くハズがない。ウマく行ったらたぶんつまらない放送になる。
どうせ失敗するんなら、萎縮してつまらない放送になるよりは元気良く失敗してほしいのだ。そうすれば良し悪しはともかく、楽しい番組になる可能性がある。自分のこともアピールできるだろう。萎縮すればただのツマンナイ放送で終わる。
楽しく元気に好きにやればいい。そう思って留守番してもらっている。

ところで、亜耶ちゃんはシンガーソングライターをやっていて、もともとは樹さんの紹介で番組ゲストに来てもらった。その時準アシのTomomiちゃんも居た。
その後彼女はいろいろと音楽活動上の悩みがあると聞いていたので「谷藤師匠を紹介しようか?」などと言っていたら、気づけば自分で師匠の門を叩いていた。その後の彼女の成長には目を見張るものがある。
そんで、師匠の門下生になってからまた番組に来てもらったんだが、その時も同門となっていたTomomiちゃんがスタジオに居た。で、今日は同じく師匠のスクールに通う高井麻奈由ちゃん(彼女もゲストインしたことあるな。彼女の書く曲がまたいい感じだ。)がゲストになったらしい。
ちなみに、Tomomi、橘、高井は同い年。いろいろと面白いめぐり合わせだな。

さて、今日僕は空き時間に番組にメッセージメールを送っておいたのだが、フォローしてくれた樹さんによると届いていなかったらしい。どこに行ったんだろう?

黒ヤギさんが食べちゃったのかな?






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彼方からの手紙

明日の『KurageYa本舗』はワタクシ欠席でございます。さて誰が代打でしょうね?

このブログに寄せられたメッセージとか、ホームページのメールとか、プライベートなメールとかをたまに読み返してみることがある。
ま、今日がそうだったんだけど。

基本的にはありがたい気持ちになる。どんな内容のものであれ、少なくともメールを打っている間はその人の時間や労力や気持ちや思考は僕に向かっているのだから。
それぞれについては思うこともそれぞれだ。

ただまぁこうしてメールを読み返すだけでも随分と沢山の人達に僕のことを意識してもらっているのだなぁと思った次第。

中には「一千万円用意したので、一晩私と付き合ってください」なんてメールもある。いや、コレはただの削除し忘れだ(笑)。
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体をほぐさないと声はでないが、声を出しているうちに体がほぐれてくるのもまた事実。

家の近くにローソンがあってね。
その上のフロアが以前は学習塾だったんだけど、いつの間にやらレンタルスペースになっていた。
かなり格安なんで、ちょっとしたライブとか練習に使えないもんかなと思って入り口んとこの張り紙見てたんだけど、ちょっと音出すのは厳しそうだな。でもちょっと何かに使えそうだ。

そんでもって今日は物凄く久しぶりに練習スタジオに行って来た。約1年半ぶり。
昨年の5月にサポートメンバー入れて小樽でライブする時のリハ以来である。考えてみるとその後あんまり大所帯でライブやってなかったし、師匠とか村山さんと一緒にリハやる時はそれぞれのレッスンスタジオがあったし、あとは数回アミナで声を出させてもらったからね。スタジオに行く必要がなかった。ライブも結構やってたんで、個人で声だすためにスタジオ抑える必要もあんまなかったし。

そんなワケで昨年の小樽リハのときに初めて行ってそれっきりだったスタジオにお邪魔してきた。会員登録してたんだけど、とっくに期限切れ(笑)。ま、今後の事もあるんで再登録してきたよ。

と、まぁそんだけしばらく声出してなかったんだな。
マンスリーのラストでどんなことやるかも考えつつ、以前の曲でちょっと違うアプローチを思いついたりなんかして、結構有意義であった。

そんで帰りにスタジオオーナーと話してみたら、前から僕の事も知ってたみたいで、知り合いの名前が出てくる出てくる。色々と話し込んできた。

ホント札幌は良い意味で狭いな。




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誘いの声



少しずつ風向きが変わってきたような気がしている。

いろいろとお誘いの声が相次いでいてありがたい。

ま、中にはウサンくさいのもあったけど(笑)。

そういうのは何となく感じるものがあって

ちと問い合わせてみたら案の定ウサンくさかった。

カンも冴えてる事が確認できたし

良しとしよう。


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あなたの言葉が注射のように(『ペッパー警部』 by ピンクレディー)

この部分だけを抜き出して言葉だけ眺めると凄い表現だな、阿久悠…。


久しぶりに注射を打った。予防接種というやつである。たしかジステンバーだと聞いた。
注射を打つのは10年ぶりくらい。その間特に注射が打ちたくてガマンできないとか、おかしな幻覚が現れて突然暴れだすといった事はなかった。

特に感慨もなかったし、思えば物心ついたあたり(3日前くらいの話かもしれんが)から注射の恐怖というのはあまり感じたことがない。大して痛いとか思わんのだ。それよりもまだ若くて血気盛んだったころ、ジュースがもらえるという理由だけで何度か献血をして、その時に一度血液を採取するためのモーターがおかしな振動を始めて針が腕に刺さった状態でブルブル震えてたときの方が痛かったし怖かった。アレ以来どんなにノドが乾いても献血には行っていない。

あと似たようなもんで(似てるんだろうか?)ニガテなのは針治療である。二回ほど受けたことがあるのだが、痛いとか怖いとかはないんだけど、神経いじられてる感覚がリアルにあって具合が悪くなってくるのだ。二回目の時なんかはあまりにも具合が悪くなり貧血起こしそうになって、献血した血を返してほしいと思ったくらいだが、「だったらジュース代返せ」と言われるのもしゃくなんでやめといた。

それにしても、注射がニガテな人って先にこちらが打ち終わると「痛かった?」とか聞いてきて「痛くない」と言っても信じないし、「痛かった」と言えば余計怖がるし、何のために聞いているんだかその心理がよくわからん。何事も経験して見なければ自分がどう感じるかなんてわからないでしょうに。





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新しい場所に呼ばれる

本当に物事は示唆に富んでいる。

古い弦は張り替えて調律するものなんだな。
明日もまた歌うために。
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夢で逢いましょう(by 坂本スミ子)





昨夜(多分午前3時前後)に夢の中で会った人。なんか大事な話をしかけていた気がするのですが、途中で僕がガマンできずにトイレに行ってしまい、ロクな話もできずにすみませんでした。あれから目が覚めて本当にトイレに行きました。
その後見た夢ではお会いすることができず、僕はどこかの山の麓の小屋の中で待ってたんですが、今度は目覚ましに起こされました。
なにか大事な用件だったと思うので、もしお時間ありましたら今日また来てくださいませ。
ところでアレは誰?







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JKPK

本日の『KurageYa本舗』はスタジオの外にいた女子校生が参加(笑)。渋い曲からスタートしたのに、その後の話題がパンツだ(笑)。

あ、ところで来週と再来週はまたしても僕は番組をお休みさせていただきます。番組自体はあるけどね。
誰が留守番してくれるかは、放送をご確認下さい。

まぁ、先週の放送以後今日の放送まで、話題にできるようなネタもない1週間を過ごして、やる事も決めずにスタジオに入って、一時間喋れるんだからな。我ながら呆れる。

どっかのタイミングでがっつり事前準備した生放送ってのもやってみたいな。
去年はそういう番組の制作やってたんだからさ、あのスキルを生かした事もやりたくなって来た。
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僕を避けて世界は回る(『Void』 by natsu)

今日はnatsuちゃんのワンマンライブであった…行けなかった。
先週金曜日はノリさんとTomomiちゃんが対バンという興味深いライブもあった…行けなかった。
気がついたら床で寝ており、メガネが少し歪んでいた。
ただそこを歩いていただけなんだよ。
昼飯の貴重なクーポン券が見当たらなくなった。
明日はラジオです。
27日はライブです。
19日に注射を打つ。
なんかまた新たな企画があるらしい。
自分の寝言で目覚めた。

繰り返し、明日はラジオです。
最近、ネット中継のアクセスが増えたみたいだね。
明日はノープランだよ。



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よくわからんのだが

なにかの修行をしているような気分だ(笑)
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う~ん・・・?

なんとなく昨夜あたりから変な感じがするのです。
変な感じとしか言い様のない感じ。
何かが気になるんだが、それが何だか具体的には分からないような・・・。

それはそうと、自分で書いた事が課題となって試験を受けてるみたいな1日であった。結構やられたな(笑)。
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検察側の証人(by さだまさし)

週末は賑やかであった。
まずは、今回は出演予定のなかったハズの師匠のスクールのイベントに出演したのです。まぁ、そもそも僕は生徒ではないので、そんなに毎回出演するもんじゃないハズなんだけどね。
クラップスホールで行われたこのイベント、土日の二日間あったんだけど、土曜のトリがTomomiちゃんで、この日はフルバンドスタイルでのステージ。それは知っていた。で、わりと急遽彼女からオファーがあり僕が提供した『流せない涙』の演奏に加わって欲しいということで、喜んで参加させていただいた。
彼女のバンドは本当に良いからね。一緒に演奏できて楽しかった。聴いていて気持ちいいバンドでもあるが、一緒に演奏するともっと気持ちいい。
本番前に楽屋でチラっと打ち合わせしただけのぶっつけだったし、誰かのバックで演奏するなんてほとんどない事だからね。良い経験をさせてもらった。

そんで翌日も、仕事が終わってからクラップスに。ヒデちゃんのステージはちょこっとだけ間に合った。トリのnatsuちゃんは最前列ど真ん中で鑑賞した。ゲストで参加した師匠の佇まいが談志であった(笑)。

スクールの生徒さんや関係音楽人とも久々に顔を合わせてなんか元気になったよ。natsuちゃんもステージで言ってたけど、それぞれやり方や目標は違うにしろ、なにか共有できる人たちが集まる場ってのは本当に楽しいし、元気をもらえる。もう50近いオッサンから5歳くらいの女の子まで、みんな音楽の中でそれぞれの高みを目指しているのがこのスクールの素敵なところである。

そんで本日は、Tomomiちゃんのバンドでキーボードを弾き、彼女のアルバム『Palette』のアレンジ、サウンドプロデュースを手がけた佐々木憲子さんと、ヒデちゃんのバンドでドラムを担当してたりする馬場広太郎さんが「KurageYa本舗」のゲスト。実は、スタジオにはショータも遊びに来ていた。
馬場さんはNewHopeSapporoという、ハワイを中心にあちこちに支部を持つ教会の札幌支部のサウンドプロデューサーでもあり、憲子さんはそこのゴスペルクワイアの指揮をやってたりもする。で、11月23日に大規模なコンサートを行うというので、その宣伝にきたのです。
ゴスペルとハワイアン(フラダンス)が一度に楽しめる、総勢150名近くが出演するというコンサート。そんな大きなコンサートの宣伝が「KurageYa本舗」でいいのかは疑問だが、楽しくお話させていただいた。


さて、本日のタイトルにした、さだまさしの曲。先日の「事象云々」の長ったらしい記事に寄せられた幾つかのメッセージを読みながら思い出したのです。確か20年くらい前のアルバムに収録されてた曲。
ある男女の別離を、男の友人、女の友人、二人とはもう少し距離があるであろう知人が、それぞれの観点からこの別離について語る(この「事件」の証人として証言するわけだ)という歌だ。
ワンコーラス目は男の友人。女性に捨てられて苦しむ男を擁護し、自分の友人を捨てた女性を魔性の女として糾弾する。
次のコーラスでは、女性の友人が語る。男と分かれざるを得なかった女性が、その後いかに苦しみ、罪悪感に苛まれていたか。そして女性の立場からするといかにそれが仕方のなかったことかを証言する。
ここで間奏が入り、3コーラス目で証言するものは、同じ別れ話を見て男が女を捨てたという視点で語り始める…。
そんな歌だったと記憶している。

この前書いた「事象は多面体で、それぞれの立ち位置や角度によって違う様相を呈する」みたいな事って、こんな感じである。
どれが本当のことかなんて話は、どうでも良くて、おそらくそれぞれの中ですべてが本当のことだ。この歌を題材にすれば、なぜ二人が別れなければならなかったのかなんて、結局のところ当人同士が言葉にできない部分で分かっている、あるいは本人たちも分かっていないかもしれないんじゃなかろうか。

でだ、そういう物の見方が良くないと言っているのではないのです。
なんでも「いいか悪いか」「正解か間違いか」に分類するのを僕は好まない。

僕だって物事がどうであれ、ある事象を事象に対する自分の立ち位置、角度からしか眺めることも語ることもできない。その位置から多面体を眺めて自分の感覚で判断するのが僕という人間なのだから。
でも、それが物事のすべてのように意識するのと、あくまでも自分の認識でしかないと踏まえておくのとでは、物事も自分の心境も大きく違うと思うのだ。
歌で言えば、ワンコーラス目の証人にしてみれば、2、3コーラスの証言は明らかに間違いであり悪質な嘘でもあろう。そんな事言うやつは許せないかもしれない。が、「ああ、そういう立場からするとこの件はそのように見えるのだな」と考えることができれば、そこからまた自分の立ち位置も分かるし、極端な話、戦争も今よりは少なくなるだろう。

僕はワリと議論好きである。相手に対して「それは違うよ!」とか「考え方がおかしい」とかも言うし、言われたりもする。でも、ひとつの議題が多面体である事を承知していれば、自分と違う意見の持ち主を感情的に嫌ったり、揚げ足を取ったりして憎悪することも、相手を卑下することもなく、議題について、それぞれがどんな人間であるか表現しあうことができる。相手もそうならね。自分が正しいとか間違ってるじゃなくて、自分はそうなんだってだけの話なんだから。

それから、たとえばA君から「あのBってやつははこんな事やらかす悪い人間なんだ」って話を聞いても、「あぁ、A君はBのことをそう思ってる人間なんだな」って思っておけばいいだけになり、自分までBのことを否定的に考えなくてすむ。だってそのことがBという存在の絶対的な真実じゃないでしょう?
そういうところを、自分の見て感じたものが真実だと思って話してる人の話を聞いて絶対的な真実だと思わなくていいのは、余計な感情のもつれがなくなって健康に良い。

おそらく、多面体はそれを眺めて語る人を取り入れて、また新たな一面を加える。そしてそれを別な角度から眺めると事象はまた新しい様相を呈して、ある面は別な事象と融合したりして姿を変えてゆく。そしてそれを自分の立ち位置から眺め、あるいは関わった人が加わることによって新たな面が加えられ…。
世界はそんなふうに成り立っているんじゃなかろうか?



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赤い疑惑(by 山口百恵、三浦友和、宇津井健 ほか) 今日は長いよ

まぁ仮にある事象があるとしよう。なんらかの、そして幾つかの事情が折り重なってできた事柄、誰かの言動、何かの対立もしくは協力。
ま、諸々の要素があって何らかの事象が表れる。人はその表面上の事象を眺めて判断なり評価なりをする。

たとえば、『CDを聴こうと思いプレイヤーの再生ボタンを押しても音が出ない』という事象があるとしよう。
考えられる原因は幾つかある。プレイヤーの電源が入っていない。スピーカーが接続されていない。CDが不良品である。プレイヤーが故障している。CDを装填し忘れている。もともと無音のCDである。スピーカーが壊れている。再生ボタンのつもりで停止ボタンを押していた。耳が聞こえない…。
さらに、プレーヤーの故障ひとつ取ってもどの部分がどのようにトラブっているのかという問題もある。内部の通電なのか、モーターなのか、スピーカーへの出力か、レンズなのか、トレイなのか…。
「CDがかからない」という事象には瞬間に思いつくだけの要因でもこれだけあり、実際にはこれ以上の考えられる要因があり、またそれら要因のいずれかが複合している場合もある。「不良品のCDをスピーカーが外れているレンズのイカレたプレイヤーに装填して停止ボタンを押して、音が出ないで困ってる耳の聞こえない人」とかね。で、その人が「CDがかからない」とうったえていたりして。

さて、その「CDがかからない」事象をハタで知った人は原因を考える。つまりこの事象を判断する。幾つかの原因は考えられるとしても、最初に思いつく原因は人それぞれだと思う。
ある人は最初にスピーカーの配線を調べ、ある人はまずプレーヤーの電源を確認し、ある人は瞬時にCDが不良であると思い、ある人は耳かきを探すだろう。…探すかな?

ある事象を眺め、それを判断するときには各々の性格やこれまでの経験や自分に届いた事象に関する特定のパターンの情報に基づいて判断する。
それから、人はまず自分の判断した部分から確認をし、もし違っていれば他の可能性に思いをめぐらし、確認するという作業になるのではなかろうか。あるいは丸投げで誰かに助けを求める。もしくは、何も調べずにCDの購入店にクレームを入れる人もいるだろう。
この事象に深く入り込み、自分の先入観や偏見や思い込みを捨てていくと人は次第に、この事象を生んだ真相を知ることになる。あるいは結局わからないままでいることもあるかもしれない。もしかしたら、自分が信じ込んでいた思わぬところに原因があるかもしれない。好きなアーティストが経費節約のために音の入っていないアルバムを故意に発売したとかね。

最初の各個人の判断に話を戻そう。この時点で事象に対するそれぞれの行動、判断、評価が表現しているのは「自分がどんな人間であるか」ということである。その人の事象に対する判断や評価が、事象の真相であるなしに関わらずだ。

もうひとつ例を挙げよう。僕自身とは直接関わりのないところで、僕はAという人がいつでもふてぶてしい態度で誰彼かまわず話しかけ、相手が困った顔をしていたり、周囲の空気にそぐわなかったり、あるいはAが誰かの耳に届くようにブツブツ独り言を言っているのを耳にしたりした。その時点で僕はAとは近づきにならないようにしようと思った。彼の恰幅のよい体型も手伝って、場の空気をわきまえない、自分本位の男のように思えたのだ。
もしこれが本当にAの性格だとしても、そうじゃなくても、僕がAをそう評価したというのは、Aについて語っているのではなく、”僕はAを見てそういう評価をする人間である”という事に過ぎない。つまり、僕はAを評価することによって、自分がどんな人間かを表現しているワケだ。
ここにはAに関する問題は何もない。僕の中にあるAの評価は僕自身の問題だ。

仮に、真相としてAが僕の評価した通りの人間であったとしても、僕が下した評価は事象の真相とは関係のない次元での僕自身の表れであるということ。
ちなみに長らく行動を共にし、Aに対する僕の評価は変わってきている。彼は自信がなくて、状況に不安を感じているからこそ、ああした態度をとるんじゃないかな? と、今は感じている。そんなふうに僕の見方が変わろうと、Aは相変わらず場の空気をわきまえず、大きな声で独り言を言っている。事象はなにも変わってないのだ。

言い方を変えてみよう。
事象は常に多面体であり、それを眺める人間の性格や、眺める角度や、光の当たり具合などでさまざまな像を描く。誰かが事象について語るときあるいは反応するとき、それは事象ではなくその人の事象に対する位置を示していたり、事象が照らし出すその人を描いているといことです。

わかりましたか? 僕はわからなくなりました。

ま、誰かもしくは何かに対して批判したり、腹をたてたり、がっかりしたりする時には「アイツがどうこうではなく、自分がそう感じる人間なんだ」と思うことにしようと思っているつもりでなかなか思い通りにはいかないもんだなって事を言いたかっただけなんですよ。



さて別件。
最近、立て続けにいわれのない疑いをかけられたり、僕としてはそんな心積もりもなかったことを、故意にやっているかのように思われていたりしたりした事を知らされたりしたりした。
正直、様々なネガティブな感情が押し寄せたし、食事もよく噛まないとノドを通らず、夜しか寝れなくなったりもした。でも、それぞれのスタンスもあるし、諸々の状況を考えれば、かように解釈されるのも仕方ないなと思い、必要以上の申し開きはしないでおいたつもりだ。これで反論して相手に謝罪させたとしても、それで何がどうなるもんじゃなし、僕だって気が済むワケじゃない。根本にあるのは物の道理ではなく、それぞれの個別な感情と信頼の問題なんだから。

これらの問題が起こったとき、とある尊敬する人物の話を思い出した。
高卒であるにも関わらず、大きなと言って差し支えない勤め先で取締役になった人物である。その勤め先に於いては異例の出世だった。
その出世の過程で、彼はある上司から書面を渡される。「こういう声もあるから、気をつけろよ」ってな事で。
それは、彼の出世を快く思っていない人物からの上申書のようなもので、「高卒の人間をかような役職につけるのは、他の者に示しがつかず対外的にもよろしくない」というような内容だと記憶している。なんせ僕が彼からその書面を見せられたのは、僕が高校を卒業した頃なんで詳細は覚えてない。
当時の僕の印象からすると、それは大卒のステイタスとプライドを無反省に意識した人間が、職務上の実力ではない部分で、偏見と憎悪によって人を貶めようとする行為に思えたのだ。
彼からその書面を見せられた僕は「小さい人間だなぁ」というような感想を伝えた。
すると、件の彼はこう言った。「それは違う」と。
「俺はこういう視線があることを承知の上で仕事をしてきた。それなりに頑張ってきたつもりではあるし、実績も残してきたが、それでもこの時点でこんな意見が出るというのは、オレの至らなさである。たとえどんな人でも、アイツが出世するのは納得できるという評価をされるくらいにならなければいけないのだ」と。

批判した相手をどうこう言う前に、自分を律せよということだろうかね? 当時の彼の年齢に近づいた今でも、僕はまだそのことを腹で理解していないかもしれないな。

今日の二つの話題を強引に繋げると、誰かや何かを評価するにせよ、されるにせよ、自分自身の問題であるって事でどうでしょう?

あ、以前の事もあるから念のために言っとくけど、ウダウダ考えて落ち込んでたりしないからね。ご心配なく。ギアはニュートラルだよ。







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月が輝くだけの夜

今日はネタがない日であった。

おやすみなさい。
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久々のラジオ

一ヶ月ぶりに『KurageYa本舗』に登場した。自分の番組なのに登場もなにもないんだけど(笑)。
10月はいろいろあってお休みさせてもらってたんでね。不在の間、週替わりで留守番を務めてくれた談真さん、樹さん&和さん、Tomomiさま、motoさん、ありがとう。おかげさまで、不在中に何やってたかって話の辻褄合わせるのが大変でした(笑)。
聞いた人は内容知ってるだろうけどアレね、瞬間的に話をしているワケですよ。各々が「今週辻は○○に行って××してます」と言ってた内容をだね、ひとつのお話として繋げるのを。
即興の芸です。話芸ね。あの間、ものすごい勢いでノーミソ回転させてた。ああいう下らないことには高速で回転するクセに、実際的なことになるとピタリと静止するノーミソである。

さて、今週はTomomちゃんもやって来て、昨日発売された彼女のNewアルバム『Pallete』の曲を紹介してましたよ。番組中、彼女は新しいサインを作って、練習してた。今後彼女の作品を買うと、あのサインをしてくれるんじゃないかな?

そんで、来週はTomomiちゃんのバックアップバンドのメンバーであり、『Pallete』収録曲の多くをTomomiちゃんと共に書き、全曲のアレンジとサウンドプロデュースを手がけた、すばらしきキーボーディストであり、ボーカリストでもある佐々木憲子さんが別の用事があって番組に来てくれる。
もちろん、本人のいないところでTomomiちゃんの話も聞かせてもらおうと思っている。


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どんな時も君は自由だ(『おやすみ、君は自由だ』by自分)


本日、一ヶ月ぶりにラジオに登場である。

特にそういった感慨はない(笑)。

それはそれとして…


今日はこんな歌を口ずさみながら過ごすことでしょう。



世界が滅びようと知ったこっちゃないが 
君の明日を願ってる



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