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海月屋・辻正仁『短めでお願いします』

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あいるらんどのような田舎へ行こう(『汽車に乗って』 by 丸山薫)

タイトルにしたのは、詩人・丸山薫の『汽車に乗って』の一節。
コレ、歌にもなってるからご存知の方は多いだろう。僕も子供の頃口ずさんだりしていた。

しかし、まぁ。
国を一個丸ごと田舎呼ばわりである(笑)。今時なら結構な問題になっているかもしらんな。

先日のブログ、ライブ前日に書いた「野蛮な知性」ということについて、ライブの編成を受けての「アイリッシュなものを」というメッセージをいただいた。
「野蛮な知性」というところから「アイリッシュトラッド」へと繋がる感性と、知識がサスガというか、そのコメントの主と僕の共通項のような気もする。
実はあの日のブログで「野蛮な知性」とは何かを表現するのに「例えばアイリッシュトラッドの音色のような」と書こうかとも考えていたのだ。
ま、詳細は省く。

アイルランドは行ってみたい場所のひとつでもある。ずっと昔には住んでいたような気もしている。
ジョン・レノン、ボノ、ヴァン・モリソン…。僕が強く魅力を感じているこの三人もまたアイリッシュである(ジョンの国籍はイギリスだけどね)。

90年代に入って間もなく、僕は所謂「ロック・ポップス」のフィールドに登場する新人のほとんどに熱心な興味を持てなくなっていた。それ以前のアーティストはちゃんと聴けるのに、例えばニルヴァーナやオアシスなんかもカッコイイとは思うけど、アルバムをきちんと聴こうと言う意欲すら湧かなかった。レニー・クラビッツは、まだ誰も騒いでいないファーストアルバムで「すげぇ」と思い、大ヒットした2枚目ですでに飽きた。ジャミロ・クワイやテレンス・トレント・ダービーには関心があったが、それでもアルバムを通して聴くことができなかった。
この時代に登場した音楽で聴けたものってのは、本当にごく僅かなんである。
日本では「真心ブラザーズ」と「HEATWAVE」くらいなもんか?

それでどうしたかというと、僕の興味は俗に言うワールドミュージックに向いたのです。「民俗音楽」だね。アフリカ、アンディス、中東、インド、チベットなんかの音楽を、深くではないけど聴きあさった。
まぁ、土着のものってのはやっぱりその土地の気候風土や、血が感性の中に入っていないと付いていけない部分もあるんで、気に入ったのは、例えばアボリジニのヨス・インディーや、イスラム系のハレド、モロッコのバシール・アタールなど、自分の民族の伝統音楽にロックの要素をブレンドさせようと試みている人たちがメインだったけど。
そうした音楽の最高峰は、カッワーリとロックを融合させたヌスラット・ファテ・アリハーンだと思っている。
あ、現在ご活躍のヌスラットさんは、僕の聴いてた人の息子です。どうも世襲制らしく、父の没後に息子が改名してこの名を引き継いでいる。

そうした過程で、自分の感性にわりとしっくりきて、色々と聴きこんだのが、アイリッシュトラッドと古いゴスペルであった。それもそのはずで、この二つの音楽は、少年時代に僕を夢中にさせたロックン・ロールの祖父母みたいなもんである。
奴隷として連れてこられたアフリカの人たちの絶望。移民としてやってきたアイルランドの人たちの希望。それらは、彼らがやってきたアメリカという土地の中で、溶け合い、ぶつかり合い、刺激し合い、互いの国から携えてきた音楽を変化させながらやがてロックン・ロールという音楽を生み出した。
大雑把に言えば、そういうことだろう。

話を戻そう。

ゴスペルとアイリッシュ・トラッド。
ここからまた僕は、ロックという音楽を再発見していくことになる。と言えば大げさなんだが、本当の意味で、「好みが確立された」んだと思う。

そんな中で、僕が自分の「リスナーとしての終着点」だと思っているヴァン・モリソンの音楽と出合えたんですよ。彼の音楽には、ロックはもとより、ジャズ、カントリー、アイリッシュトラッド、ソウルなどが、ほとんど素の状態で踏襲されていて、それでいてどっからどう聴いてもヴァン・モリソンという一個人の音楽として伝わってくる。ハッキリ言って、どのアルバムも毎回同じような曲が詰め込まれているんだが、それを毎回聴いては「いやぁ、いいなぁ」と思わせるのだ。さらに、どう考えても音程ハズレてるのに、その部分を聴いて「歌うめぇな」と思わせるというワケのわからんオッサンである。

何度も書いているが、もう10年近く僕がプライベートで日常的に聴くのはほとんどヴァン・モリソンだけ。あとは、新譜が出たらしばらく聴きこむアーティストとか、新人とかでもいいなって思える人は出てくるし、気分によって聴いたりもするし、これからも「すげぇ」と思える人は出てくるだろうけど、自分がリスナーとして「こういう音楽をやれる人が聴きたかった」って部分での究極はヴァン・モリソンなんだろうなと思うのだ。

さて、音楽やるほうの自分としてはどうだろう?
ゴスペルってか、そこから派生したリズム・アンド・ブルースやなんかは結構、自分の中で消化吸収して色々とトライしてたりする。
アコースティックでフォーキーなものも結構やってきたと思う。
でもねぇ、自分なりの「アイリッシュ・トラッド要素」ってのはまだうまく出来ていない気がするんだな。
うん、これは1つの課題でもあるね。

それを、かのコメントで思い出しましたよ。







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