海月屋・辻の日々

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急遽決まりました

え〜と、8月の11日に急遽ライブが入りまして。

BlueMoonのブッキング業務に転職しましたイッチーこと市沢光英君からオファーをいただきまして。

なかなかに日数に余裕のないお誘いでスケジュール的にどうかなと思ったんだが、なんとかなりそうだったので、まぁ転職祝い代わりに歌わせていただくことにしましたよ。

当日はおそらく駆け込んで行って歌う感じになると思うけど、よろしくです。

2017年8/11(金)
場所:音楽鑑定舎 BlueMoon(札幌市中央区南1条西13丁目317-3 フナコシヤ南1条ビル2階)


OPEN/19:30〜
START/20:00〜
料金:¥2000-(1ドリンク付)
出演: KIM/ 辻正仁 /西条公敏 / 山口孝司


そして翌週のこちらもよろしく


2017年8/18(金)
場所:円山夜想<マルヤマノクターン>(札幌市中央区南1条西24丁目ヴィンテージビル地下)

『ふたりのピッグショー』

OPEN/20:00〜
START/20:30〜
料金:¥2000-(1ドリンク付)
出演: Tomomi / 辻正仁









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用は済んだ

「わすれてた事を思い出すシリーズ」はまだ続いているようで…

ちょいとリフレッシュしに、本を抱えてとある場所にこもって来た。
本当は読みたい新刊がいくつかあったんだが、まだ発売されておらず、得意のジュンク堂内をフラフラしていて、多分20代の後半の頃に読んだであろう小説が目に止まって、それを再読してみることにしてとある場所に持ち込んだ。

ん〜と、初めて読んだ頃はなんとなく「ふ〜ん」と思ってた程度でさ、あんま印象に残ってないってか、正直小説としての出来は大したことはないと思ったんだよね。一応世界的なベストセラーだったはずだが。

ま、結構メッセージ性が強いってか、それを伝える手段として小説の形をとってるだけなんでその辺はまぁい〜んだけど、小説として大した事ないので、覚えてなかったんだろうね。伝えたい事の大まかな部分は嫌いではない。

ま、なんか目に留まった時にね、これ読んで人生変わったみたいな話をしていた古い知り合いがいたもんで、それがふとよぎりまして。
その知り合いとこの小説の話をしたのが10年くらい前だったかな?
その時は、その人が非常に大切に思っている小説だと思えたので、ほとんど内容覚えてなかったけど、話を合わせてたんだよな。「小説としてつまらない」とか言って、せっかくの「好きです!」って思い入れに水差すこともないでしょう。

で、今回そんなこんなを思い出しながら「そういえば内容ほとんど覚えてないな」と思って手にした次第。

うん、小説としてはまったくダメでした(笑)。

もうちょっと物語がしっかりしていれば伝えたい内容自体は面白いと思うんだけどね。

えと、主人公がある出来事に巻き込まれて異国の地で奇妙な体験をしながら段階を踏んで意識が変わっていくみたいな話なんだけどね。
それがさ、その主人公の体験ってのが、昔読んだ時は「こういうことがあったら面白いな」と思ってた気もするんだけど(なんせ当時のことはほぼ忘れているから、印象もなにもないんだけど、最後まで読んだ記憶はあるので、多分、そこらへんが興味を引いたんだろう)、今読み返すとほぼ完全に内容忘れてたんだけどさ、「あ、この感覚はオレも経験したな」とか「あ、あの時のアレはこういう状態だったな」って思い当たる節があったのね。
全部じゃないし、繰り返すが小説として物足りないので逆に書いてることがそういうリアリティというか自分に引き寄せて解釈できる訳じゃないんだけど。

でもまぁ、読んでて「あの時の自分はこうだった」みたいのを改めて解釈できたのがよかったかな? ついでに、そういう事を忘れてたなってのが思い出せたのが良かったかも。ちょっと今、それを踏まえとくべきだなってことに思い当たったので。
「この感覚は持っておいたほうがいいな」みたいな。

なんかこう、不思議な感じだね。物語がチンケだし読んでて感動も興奮もしないんだけど、淡々と自分の事を思い出して「あぁ、コレ忘れてたな〜」みたいな感覚で読んでたという。

こうやって事後に考えてみるとさ、昔読んだのって今回読み返して自分の事を思い出すための伏線だったんじゃないかなって気がしてくる。
「言ってることは嫌いじゃない」って事だけ当時インプットされて、必要になった時にそれだけを理由に手に取ったってのがね。

ま、この本の役割としては「自分の感覚を思い出すこと」しかなかったんで、帰りに古本屋に持って行ったよ。








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無視できない存在


地球を支配してるのは人間だと思う?

オレは虫なんじゃないかと思ってるんだけど、どうだろう?

まぁ、一言で「虫」と言っても種類は様々なんで、哺乳類と比較してみよう。
それでもやはり「昆虫類」の方が多種であり個体数も多いらしいよ。
多分、昆虫と「脊椎動物」って比較でも昆虫の勝ちだと思う。

あとは「支配」ってのがなにを意味するかって問題もあるけどね。

おそらく人間以外に地球を「支配」するって感覚はないだろうし、そんな気もないだろう。
その上、人間ってのは地球の環境をもっと都合良くしようとアレコレやってみるが、それが地球のお気に召さない度を越したものになるとしっぺ返しを食らってアタフタしている生き物である。単に個体がある程度大きくて、数もそれなりにいるから目立っているってのと、そういう生物としての繁栄具合だとか何だとかを気にしてるのが人間しかいないってところでの価値基準の判断だからね。アテになるもんじゃない。

「脳が最も発達してるから素晴らしい」みたいな考え方って、脳が発達してる生き物以外には何の意味もない話で、生物全般で言えば、単純に人間という生物の特徴が「脳が発達してる」ってだけの話で、「鳥が空を飛べる」とか「魚はエラ呼吸する」とかと同等のもんでしかないだろ。

要は生存能力みたいなことかと思うんだけど、そこで昆虫ってのは、爬虫類が繁栄してた時も、哺乳類が繁栄してた時も、いつも多種多様な生態を持って絶滅することなく生き続けてるのである。
しかも、体長の水位はあっても、能力的には太古の昔からそんなに変わっていないようだ。

ってことは、地球がいかなる環境になっても、それに適応できる生態システムを持っているってことだよね?
どうなっても生き延びれるんだから、地球環境をどうしようなんてことは考える必要もない。

だって、人間がわんさか増えて、その発達した脳みそのおかげで人工的な環境となった都市部でも平気で生きてるもんね。

でさ
子供の頃はこの時期になるとそこら中にいたバッタとかクワガタとかは流石にみる機会が減ったけど、その代わりに子供の頃には見たことのないような姿形をした虫を見かけるようになった。

もしかしたら、都会の環境に適応した新種というか進化形態なのかもしれない。または環境が変化しているのでかつては北海道にいなかった種が入り込んできてるとか。
まぁ、環境だけでなく、流通が盛んになってるから、その荷物に混じってやってくるってのもあるよな。「ヒアリ」が最近話題だけど、そんな感じで。
あるいは、放射能だとかなんだとかの影響による突然変異かもしれないし、今あげた原因の全てが混在しているのかもしらん。

妙に細長いハチとかさ、変な色したコガネムシみたいのとか、縦に平べったいのとか…

でさ、地球外に高度に失火した生命体がいたとして、地球を観察してるとしましょう。
そうすると彼らは地球人の活動とかも観察するんだけど、それは鳥が飛んでる、魚がエラ呼吸してるとかと同じ特徴として「ヒトが発達した脳で活動してる」ってだけの判断で、色々観察した結果「地球は昆虫という生命体が繁栄してる惑星だ」って認識するんじゃなかろうかと…

というのが、今朝乗ったエレベーターに見たことない姿形をしたでかい虫が這い回っていて思わず「うわぁぁぁ〜」と声をあげてしまってから考えたことでした。



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あの頃のまま(by ブレッド&バター)



探し物をする時って、大抵目的以外の諸々が見つかる傾向にある。

で、今回、高校生くらいから20代半ばにかけて書いていた雑文みたいなもんが発掘された。
多分、以前にまとめて処分したつもりになっていて、処分し忘れたものが一かたまり残っていたのだろう。

ノートだったり、チラシの裏に書き殴ったのだったり、メモ用紙の切れ端みたいのだったり様々。
学生時代に手書きの下らない新聞(ネタみたいなエッセイとか、自分の好きな映画やら本なんかの紹介を書いてる)の原稿とか、シナリオか小説のプロットらしきものとか、なんかのライブやるときの企画書めいたものとか、あと特に発表するつもりもなく書いた駄文の数々。

他に、歌詞とか散文詩なんかもあったんだが、それはまた別に保管したり処分したりしている。

何ちゅうか、記憶してるよりも随分多く文章を書いていたようだ。
こういうのって発見されると多少記憶が蘇るんだが、実際には今回発掘されたものの3倍くらいは処分しているはずなんだな。

でだ、自慢じゃないが字がヘタなもんで、しかも走り書きのようなものが多いので、なかなか何を書いたのかが判読できない(笑)。
一応、読み取れる言葉と薄らぼんやりした記憶を頼りに、内容を思い浮かべて見たんだが、いずれも下らない文章だ。ってか、今も昔も変わらず下らないことを思いついては書くのが好きなんで、当然といえば当然。

こうやって忘れかけてたものを改めて見つけて思ったんだけどさ。

本当に書くの好きなんだなって。

誰に頼まれた訳でも金になる訳でもなく(前述の「新聞のようなもの」に関してはコピーして物好きな方が定期購読してくれてた。一部50円くらいだったかな? それで学食でメシ食ったりタバコ代にしてたんだった)、ただ思いつきを書いているというものばかりである。
当時、自分がそうした行為が好きなのかどうかなんてことも意識せずにやってたんだな。
それが溜まると結構な量になる。

無駄の蓄積(笑)

そして、そんだけ毎日のように文章書いていても、一向に字が綺麗になったりはしないものなのだなというのにも気がついた。
「思ったことを書く」という修練(この場合、なんの修練にもなってないが)と「字が上手くなる」ための修練というのは別問題なのかもしれない。

で、そういえば昔は右手中指に結構大きな「ペンダコ」があったんだが、アレはどこに行ったのだろう?
指先にボコっとしたタコがあって、ちょうどペンがそのタコにはめ込まれるような感じの湾曲した窪みが出来てたんだが…

今自分の中指を見てみると、そんな形跡が微塵もないことに気づいた。

今でも相変わらず文章書いてるけど、ほとんどキーボードで入力で、ペン使わないからな。

だもんで、もちろん手書きにすると字はヘタクソなままだ。
そして、文章の内容も下らないままだ。

成長のないまま量だけが増え続けていく。






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暑さにのぼせて思い浮かんだこと


連日暑い。
と、言いながら、実はこれくらいの連日の暑さが好きだったりする。
この「暑い」と言いながらよく晴れた日を過ごしているのがなんとなく。

いや、さすがに札幌に暮らしているから言えることなんだろうけれどね。
年々湿度が上がっているというか、子供の頃にはなかった梅雨のような気候になったりしつつもあるんだが、多分それでも他所と比べれば過ごしやすい方だろう。

というのは前置きで。

先日ふと新しいコンピューターとかスマートフォン的なもののソフトウェアだのなんだのの紹介を見ていて新機能が紹介される度に頭をよぎったのが「そこまでしなくていいじゃん」っていうアレだった。

映像の解像度だの解析料だのとか、本当にすごい技術だと思うんだよね。
CGでも通常の画像処理でももう本当にすごいと思う。
あと、メッセージに動画を送信できるとか、アニメーションを加えたりするとか、ちょっと以前からやってるけど、昔で言うところの「テレビ電話」ってのかな? 映像込みで通信できたりするじゃん? 携帯電話で。あと、腕時計を連動させて時計で通信したりとか。
「ウルトラセブン」でやってたみたいなもんだよね。
その他諸々、子供の頃の漫画やSFに出てきたような、まさに夢のような技術だ。

今や、買い物やら交通機関の改札も携帯電話を翳せば処理できたり、その気になれば家の鍵や電気も携帯から操作できたりする。その内人間はスマホに住むようになるんだろう。

だが、どうだろう?
それで毎日が漫画やSFのように胸ときめくような生活かと言うと、そうでもない。

さっきの映像技術にしても、まぁ特撮映画とかのクォリティは高くなったんだろうが、子供の頃を考えてみると、もっとちゃっちいもので十分にドキドキしながら見ていたんではないかと。

今は多分、映像にしても通信機能にしても、その他、スマートフォンなどの通信機器やコンピューターの機能などは、たいていの人が「こういうことやれたらいいな」って思ってた、その想像のキャパシティをオーバーして提供されているんじゃないかと思う。そしてそれが年々更新されておるような。

一人の人間が求めるもの、必要とするもの以上のものが供給されていて、その技術に合わせて生活していかなきゃならんくなってるような気がするのね。なので、使えば確かに便利かもしれないが、思ってもいなかった機能に取り囲まれて対処しなきゃならんストレスも生まれるだろうなと。

これさ、昔打ち込みで音楽制作できる機械を手にした時も思ったんだ。
ものすごく機能がたくさんあって、自分が発想してなかった音楽が作れちゃったりするのよ。
なんか、機能とか音色とかたくさんあるから、それを駆使しなければならないような気がして、色々とやってみたんだけど、ひとつも気持ちよくない。むしろ気持ち悪い。
自分がどこにもないようなサウンドになっちゃうってか、「機械に振り回されてる感」があって、あとで聞き返しても胸踊るものがなかったんだよね。
それよりも少年時代に友達の家に集まって、雑誌とか空き缶を叩いてドラムがわりにして、ギターとかピアニカとか演奏して録音した拙い演奏の方がよっぽどエキサイティングでクリエイティブな空気を出してるなって発見があったりして。

ちょっと話がそれた。

まぁ、コンピューターにしろ何にしろ、便利さとか快適さを求めてどんどん発達していくのはいいんだが、一つの観点から見ると便利なことって、だいたい別なところで不便さというか「困ったこと」を生み出してるんだって事が経験上わかってくる。

例えばさ、携帯電話が普及した時って、そりゃ便利になったと思った。家にいなくても連絡取り合えるんだもん。移動中とかでも。そこにメール、ショートメールなんてものもできたから、相手が通信状態になくても用件を伝える事ができるし、受ける方も自分の都合に合わせて確認して返事できるから非常に連絡がしやすくなった訳だ。

だけどさ、そのせいで今度は「連絡はつくものだ」っていうのが前提で物事が進むから、処理しなければならない用件が増えた。仕事でもプライベートでも。携帯電話なくてなかった時代には、なくてもちゃんと回ってた世の中が、いつのまにか携帯電話を持っていないと生活に師匠が出る世の中になっていた。

出たくもない飲み会の誘いだって連絡付かなければ「知らなかったんですいませんね」で済んでたものが、断る言い訳考えたり、仕方ないから出席しなきゃならなくなったりとか、連絡付かないからまた明日にしようって感じで対処してた事も今日中に処理しなきゃならなくなったりとか…。そういうのが当たり前になってくるから、より短時間で効率よくってことが求められるようになるし、自分を常にその渦中に置くことになる。

連絡がつくという便利さが、面倒な諸々を生み出したよね。


同じように、この夏のように暑い日が続くと、昔は存在しなかった「冷房器機」というのが活躍する訳だが、これも度を過ぎて供給されているからね。冷房で体を壊すとかさ、どこもここも冷房つけるからたしかに室内は快適かも知らんが、その分の放熱で「ヒートアイランド現象」なるものが生じて、外はますます温度が上がる。

これも前から言ってることだけどさ、多分、人類が「道具」というものを使い始めた頃からそういうのがあったんだろうと思うのね。何かが便利になるに連れて、今までになかった不便や弊害も生まれてきたんだろうと。
そしてそこをどうにか便利にするものを生み出すとまた別の不便が生まれるというのが「文化の歴史」なのかもしれない。

そんで、技術開発というのは加速して多岐に渡って増殖しているもんだから不便や弊害も加速して多岐に渡って増殖している。

人間のせいだけではないにしても「地球温暖化」にもその影響はあるだろうし、効率よくコストをかけずに膨大な電力を供給する仕組みというのが、ちょっとした事故が起きると何世代にも渡って膨大な数の人間の健康というか生命や、環境に深刻な影響を及ぼすってのもその一つでしょう?

今は便利さとか効率の良さが過剰供給されてると思うのね。
多分、快適さと弊害のバランスみたいのがあって、そうすっと、実は結果的に処理しきれない弊害ってものに取り囲まれた生活になってるんじゃないのかなって。

最近よく言われてるのが、技術の発展に伴って、特にAIの台頭とかによって20年後には人の仕事がほとんどなくなるだろうって。

便利で快適な暮らしのために発達させた技術によって、失業して生活に困る人が増える世の中になるんじゃないかって話だと思うんだけど。

きっとね、ある時期までは技術的進歩だとか発展みたいなものが必要だったんだとは思うけど、今はもうちょっと違う方向を目指した方がいいんじゃないかなと思うのね。
そういうアレで人が幸せや豊かさを得ていた時代はとっくに終わっているんじゃなかろうか?

誰もが「便利で効率がいい」ってことと「豊かさ」は別問題だってことを体験していると思うのよ。
本来、なんのためだったか? ってことを考えると、みなさん本当に求めているのは「豊かさ」とか「幸福」とか「楽しい」とかそういう暮らしなんだと思うんだけど、どうでしょう?








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