海月屋・辻の日々

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たまに見逃してますよ

よく誰かと話しててさ、「この前こんなことがあってね」とか「俺は思うんだけどさ〜」みたいな事を言うと、相手の方が「あぁ、ブログに書いてましたよね〜」とか「読んだよ」的な事を返してくれるんだよね。

意外とみなさんコレ読んでくれてるんだな〜と。

ありがたいようなこっぱずかしいような。

ほとんど独り言みたいなもんだからね。

でもまぁ、読んでいただいているのでアレですが。
これ、日記をアップすると自動的にTwitterとfacebookに通知というか、リンクがアップされる仕組みになってるんで、もしかするとそっから辿ってみてくれてる方が多いのではないかと思うんだけど、どうでしょう?

で、どうもさ、その自動的にアップされるはずの通知が反応してないことがあるらしいんだよね、たまに。

つまり、日記はアップされてるのにfacebookなんかでは更新したお知らせがないと…

という事で、もしかしたら見逃されている時もあるんだろうなと思いますんで、もし興味がある方いれば、のぞいたついでに過去ログもチェックしてみてくださいまし。

ってなことを書いた今日の分も通知されなきゃ意味ないか…。



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もうひと声でもうひと越え



で、まぁこの前の続きなんだけど

色々なところで「人生(と言うと大げさな気がするが)は螺旋階段のよう」みたいな形容を見聞きすることがある。

で、大まかにはそれに賛成している。賛成というか、経験上納得している。

ある地点からまっすぐ垂直に伸びた本筋があるとして、それを取り囲むようにして螺旋状に物事なんだかその人の精神的なものだか経験値みたいなものがの¥上に向かって伸びていくような。

絵面としてそんな感じ。

上に伸びていくっていう方が映像的にわかりやすいだけで、それが必ずしも「成長」だとか「発展」ということにはならないと思うけれど、何かしらの「変化」のイメージとして上昇。まぁ少しは成長してるんだろうという期待も込めてだけど。

で、この「螺旋」が均等に同じ弧を描いている訳でもなくて、同じ上昇角度を持っている訳でもないと思うのさ。

ある時はほとんど平板としか思えないような、そして弧を描いているとは気づけないような長い距離だったり、ある時は小さな弧で急勾配な場合もあったりして、気づかないまま螺旋を二周くらいしている場合もあるでしょう。

どちらにしても、あるポイントで、「あ、前にもここに来たかも」という、ようするに一回りぐるっと回って来たようなポイントに到達することがあって、でもよく見るとこの前そこに来た時よりちょっと上の場所だみたいな。

そういうことを繰り返してるのかな? という気がする。

そんで、先日からの話だけど、やっぱり「お知らせ」は色々と飛び込んで来てるんだな。

ふと見かけたwebの記事とか、何気に開いた本の中とか、ブラブラ歩いていて見かけたこととか…

先日も書いたように、それは一度気がついてってか、気がつくような経験があって、それから徐々に遠ざかるというか意識の部分では忘れてたってか薄れてたことだったんだけど、またそこに近づいてる感じ。

要するに一周してきた訳だ。なので前に見た景色と似ているものに出くわしているような。

でも、その一周分で他にも色々見て来たしさ、歩いた分だけもしかしたら脚力が付いてたり疲労が蓄積されてたりもするかもしれないから、同じような景色でも見え方とか解釈の仕方がちょっと違うとか、余計に腑に落ちる部分とか、逆に「まえに感じたこの視点は今はいらないな」みたいなものもあるんだと思うのね。
それが「一回りしたけど、前よりもちょっと高くなってる場所」って事なんだけど。
だから、前よりも立派になったとかそういうこととは違うんだな。

で、これまでもそういう「螺旋をめぐる」みたいなことをやって来た経験として感じるのは、「もうちょっとで一周する」ってこと。
その「あ、もうちょいで一周するんだな」ってのに今日気づいた。
気づいたきっかけはなんてことのない、散歩してた時の雲の流れと、カラスが鳴いた時のタイミングである。
そんなもんだ。

だって単なる予感だもの。


これをまた過ぎてしばらくしたら(2年とか3年かな?)「あそこからあそこまでの一周ってこんな感じでした」みたいなことを誰かに話してるかもしれないなと思う。この日記で書いたりね。

なんか、最近、以前に一度出会ったものをもう一回復習して「あ、こうだったんじゃん」って気づき直している最中な感じである。

子供の頃、「方程式」ってのが実は全く理解できなかったんだけど、その後に「連立方程式」ってのを習った時に方程式が理解できたのと似た感覚…  かな?

まぁ、もうちょっとお知らせとか来るんだろうと思う。
それは特に劇的でもなんでもなく、予想もしていない方向から、意外な姿でなんとなくやって来るんだと思う。
例えば「道端に転がった犬のウンコ」とか…

見つけるのはいいが、踏まないように気をつけよう。





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すっかり忘れておりました



今日はなんだろ?

とてもやるせない夢を見て目が覚めまして…
まったく現実に即していない夢なんだけどね、なんか古い記憶を刺激するというか、以前のあまり愉快とは言えない事柄に紐づいているような、その体験の現実世界ではなくて多分自分の意識やら思考にない部分の続編みたいなアレなんだけど、うまく言えないな。
うまく言えるならそういう夢ではないんだろうな。

ま、その夢の途中でなぜかガジーを背負って歩いてたたのがますますなんだかよくわからないんだけど。
それはそれで本筋とは別のやるせなさがあるんだが。

とにかく
そんな夢を見たもので、朝から「これはなんだろう?」みたいなものをず〜っと気分的に引きずったまま過ごすことに。

で、ちょっとした用事を終えた帰りに、ちょうど近くで行われていた催しに友人の会社が参加しておったので覗きにいって見た。友人は不在だったけど。

んでさ、そこの近くで非常に久しぶりの音楽人と再会しまして。
かれこれ8年ぶりくらい。
ちゃんと覚えていてくれてた。

しばらく話してたんだけど、詳しくは語らないが彼もまぁその8年の間に色々あったようで、なんちゅうのかな? 今は「新しいサイクル」の中にいるようだ。そして、そのサイクルの中で色々なものを発見したり手にしたりしているようだ。

その派遣したこととか聞いててさ。
なんか昨夜の夢から続いている気分がまたなんか刺激されるんだよな。

これなんだろう?って

それで全部が紐解けた訳ではないんだけど、彼の話の中に、かつて自分が「こういうことなんじゃないか?」って見えてたものがあったんだよね。その部分に対する探求といえば大げさだけど、意識みたいなものがあったんだな。
それ、昨夜の夢で刺激されてちょっと再び顔を出し始めた「愉快とは言えない事柄」で、一回途切れたというか、そこに対する意識を自分で閉じちゃってたんではないかなって気付かされた。

ん〜、消えてはいないんだけど、あえてスルーしてるようなってか、そっから気をそらそうとしてたかなと。
もしかしたら、自分では身についたつもりになっていて、実は全然だったってことかもしれんし。
なんだろう? 自分の中で「形骸化」しちゃってて本質を置き去りにしてたような。

これ多分、今後もしばらくこういう「お知らせ」が幾つかあるって予感がするな。
ひとしきり揃ったらもうちょっと明確に見えるものがありそうだ。

とにかく、なんか今日は「これを思い出せってことだったんだな」と思った次第。思い出してどうすればよいのかわからんけど、も一回そのお題目に関してじっくりと付き合うようにってことなんだろう。

なんの話かさっぱりわからないでしょう(笑)?

うまく説明できない話なんで、単に自分の備忘録みたいなもんだから。

じつにゆっくりではあるが、ぬかるみの中で車輪はまた回り始める。














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使い方によっては「多数決」は暴力でしかなくなる

また嫌なもんが嫌な決め方で決まってしまったようだ。

なんだろ? 本当にみなさんの為になることなら暴力的に決定させなくても、不明点や指摘に対して堂々と筋の通った説明をすれば納得されられるんじゃないかと思うのだけどね。
それを強引に決定してしまうってのは、結局「みなさんのためじゃないから、納得させられないんで勢いで決めちまおう」ってことの表れなんじゃないの?

民主主義の根幹をなすのは「多数決」ではないと思っている。肝は「話し合い」だ。
話し合いを続けるからこそ、少数だとしてもそこに属している人たちの置かれている状況や考えも汲み取ることができるし、その辺を慮って大まかな案を可能な限り多くの帰属者が納得できる形に修正したり、多数側の真意も理解させることができるんじゃないのかね?

だから、民主主義ってのは本来何かを決定するのは遅いハズなんだよ。時間をかける必要があるんだから。

最終的に多数決ってのはわかるよ。どうやったって意見が一つにまとまることなんか無いだろうから。だけどその前にきちんと話し合いがあることで、多数が少数を抑圧するのではなく、少数の意見も意識した運営ができるし、そうすべきが民主主義なんだろうと思うのさ。

あと、話し合いの結果、賛成側だった人が反対派の意見や指摘に納得したり、その逆で反対してた人が賛成派の考えを了承したりして、その上で多数決ならいいさ。
個人の考えの修正に縛りを設けることがないのが前提だよ。

そうじゃなきゃ、多数決はただの暴力でしかない。


さて

世間で言うところの共謀罪ってのがさ、コレ決まっちゃったら、もう警察だか政府だかが「反社会的行為」と判断すれば住民運動だって罪になるわけでしょ? 家の近所に原発作るってなって抗議運動したって捕まるかもしれない。

そうじゃないのかな? そうじゃないって人もいるけど、そうじゃないことを明記してないんじゃないの?
何が該当して、何が該当しないのか? その判断は誰がするのか?

ちょっとわからないから、最悪の事態を考えると心配なんですけど。
たとえ、今の大臣だかなんだかが「そんなことはない」とか言っても、それを信頼できる根拠はなに?
あの人たちしょっちゅう「そんなことはない」って言ってたことやってるじゃん。
自民党ってポスターとかに「TPP断固反対」って書いてたのに、与党になってころっと変わったでしょ? そういう人たちの口約束だけだとちょっと心もとないんですけど。

それがこういう形で決まっちゃってね。
以前に決めた「秘密保護法」にもそういうところがあって、解釈次第でどうにでもできる「融通」を設けてるんだよね?
仮に今は本当にそう言うつもりがないとしてもだ、こういうものの合わせ技と解釈によっては監視と検閲と抑圧にまみれた世の中にできるんじゃないのかね?

とか、こんなこと呑気に日記に書いてアップするだけで明日からオレはいなくなってるかもしれないよね。

それで九条も変えたがってるわけでしょ?
そんなこんあを踏まえて「あの人たち、何がしたいんだろう?」って考えたら、ちょっと怖い気がする。

気楽にラブソングなんか書いたり歌ったりしてるだけで、ライブハウスなんかに力を持った人が視察に来て、演者も客も連行したりなんかして。

そう考えると、コレこそ「テロ行為」なんじゃないかと…












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友人の祝い事ってのは幸せな気分になれるもんだ



IMG_1193.jpg


写真はご来場の方がSNSに投稿してたのを拝借いたしました。

500L無事終了。

今回ももちろん楽しかった。

ちょっとお祝い事などもあったりして。

あとはアレだね、一曲もんの凄くチューニング狂ってて申し訳ない。
やり始めた時に「ん?」と思ったんだけど、そのままいけるかなと思ってやってみたら物凄く狂ってた。もう歌い始めちゃってたんでそのままいきました。

〜 セットリスト 〜

風の道
発情
散歩に行こう
神様の調べ
素敵な君の歌
座右の銘

-アンコール-
Stand By Me(ベン・E・キング カバー)with 本間健二・がじー
ウキウキライフ with 本間健二・がじー

ってな事で、写真にある通り、アンコールで店長の本間さんと、出演したがじーも呼び込んで一緒に演奏してみた。


そんで、次回のライブは


2017年6/29(木)
場所:フライアーパーク(札幌市豊平区平岸4条7丁目)

フライアーパーク19周年記念月間ライヴ

OPEN/20:00〜
START/20:30〜
料金:¥2000(1ドリンク付)
出演: 丸山昂太/辻正仁/小川洋一郎(from大阪)



で、ございます。

よろしくどーぞ。






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明日はこちらへ


明日は結構あちらこちらでライブをやってるらしく、2件ほどお誘いも頂いておる。
で、うっかり行きそうになったんだけど、だが待て

明日は、自分もライブじゃないか。

ってなわけで、こちらをよろしく


2017年6/11(土)
場所:円山夜想<マルヤマノクターン>(札幌市中央区南1条西24丁目ヴィンテージビル地下)

『500L vol.21 〜東日本大震災チャリティーライブ〜』

OPEN/〜18:00
START/〜18:30
料金:入場無料(振る舞い酒あり!)
出演:kenzzzi(前説)/ 秋山シオ / なりまつ えり / ガジー / いむい ぱぴ子 / 辻 正仁


お待ちしてます。


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『大丈夫』という映画を思いつく(主演は大泉洋でおねがいします)



ん〜と、北海道民なら大泉洋さんが全国区になるまえから歌が上手いのはご存知だと思いますが…
あ、昔歌番組に出てたか。「本日のスープ」って曲で、スタレビと一緒に。

ワタクシ、以前から知人には彼が主演で音楽映画ってか、彼が音楽人の役柄で主演する、コメディタッチの映画を観たいと常々申しておりまして。

ストーリーなんかベタでいいのよ。
落ち目になったかハナから売れてない、いい歳をした歌い手が、何かのきっかけで勝負に出るみたいな感じの。
爆笑はいらない。笑えるシーンがちょこちょことあって、でも大きなスジでは一個人間ドラマみたいのがあって、これ見よがしに泣かせるとか感動させるって言うんじゃなくて、ドライな空気なんだけど観終わるとちょっと暖かい気持ちになれるような…。
自分の好みから言うと、最終的に何も変わらない話がいいな。成功するわけでもなく物語が始まる時点よりもダメになるjんでもなく、日常は今まで通り続くんだけど、主人公の中に何かが残ったってな話がいい。

というのを考えてたんだけどさ。

TV観ないもんだから最近知ったんだけど、大泉さんはCMで歌を披露したんだね。ウルフルズの「笑えれば」を歌っている。
そのCMをようやく最近見たんだよね。4パターンくらいあって、毎回「笑えれば」の一節を歌って「大丈夫」とかって言うの。

鼻歌みたいな感じで歌ってるんだけど、彼の歌声ってなんか「あたたかみ」と「あかるさ」とその奥にちょっとした「かなしみ」があって好きなんだよな。結構、ソウルシンガーなんじゃないかと思っている。

で、その「笑えれば」が実にハマっておりまして。自分が聴いた中じゃ今までで一番彼の歌声を引き出してるんじゃないかと。その前までは水前寺清子の「ありがとう」だったんだけど。
全編ちゃんと歌ったの聴きたいよな。

で、また最後に言う「大丈夫」ってのが知ってる方も多いと思うが、好きな言葉でね。
ロックンロール風に言うと「It's All Right」だよね。

それで、そのCM観てからなんとなく大泉洋主演の映画の構想練ってるんだよな勝手に(笑)
タイトルは『大丈夫』。主題歌は『笑えれば』で。

何だろう? 作中でいろんなことがあって、最後の方のライブシーンで『笑えれば』を歌って主人公は今まで通りの日常に戻っていくんだけど、一個だけ違うのは彼が『笑えれば』という曲を手にしたってことみたいなヤツ。

そっから考え始めて、ストーリーの断片みたいなものをチラチラ想像してるんだけどさ。ベタなストーリーにちょっと伏線とか仕掛けみたいなものを入れたいし、気の利いたセリフとかシリアスな中にクスっと笑える要素を入れるとかは非常に難しいので、伊坂孝太郎に相談してみようかなとか想像してる。会ったことないけど。

あ〜楽しい。






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お土産に選ぶのは、大きな葛籠か小さな葛籠か?



んと、何組かのメジャーな音楽やってる方のライブで、以前よりも小さな会場で開催する、あるいはする予定なのを見かけることが数回あってね。

なんかついこの前までドームとかでやってたような方が、2000人くらいの所とかさ。まぁそれでも十分デカイ会場なんだけど。

あとはアレだね、ホールクラスで全国回ってた方が、ライブハウス規模になってるとかさ。

んで、そんなにドデカイ場所でやることはないのに、何十年も同じ規模の会場で、未だに満員とかソールドアウトさせてる人とかさ。
山下達郎なんかはもっと大きな規模でやっても入るんだろうけど、多分音響的なこだわりがあるんだろうが、一貫してホールクラスを貫いてるよね。

ちょっと話が逸れた。

ま、そういう一時期より規模を小さくしてコンサートやってるのを見かけてね、素晴らしいなと思ったんですよ。

多分、自分が若い頃って、規模が小さくなると「あ、人気なくなったな」ってか「グレードが落ちた」みたいな印象を持ったと思うのね。観てもいないのに。

たしかに、そういう人たちって以前よりも集客できなくなってるってのはあるんだろうけど、でもどうだろう?
中には集客落ちて周囲が頭抱えてる中でも無理矢理に「ドームツアー」とかやってる人もいるんだよね。結構招待とかタダ券撒いたりとかしながら。
なんちゅうんだろう? 自分らのイメージなんだかステイタスなんだかに拘ってるのかな? それはそれでいいけど、それよりも、自分の現状を踏まえて「規模」って意味ではすっと階段を一段か二段降りてきて粛々と続けている人たちの方にすがすがしさを感じるようになっている自分に気がついた。

中には例えばサザンみたいに40年近くやってるのに何万人も集めちゃう人たちもいるけど、そっちのほうが稀なんでね。集客ってことだけじゃなくて、クリエイティブな面でもどっかで自分のスタンスを見直さなきゃならん時があるワケでさ。
速球で三振取ってたピッチャーが変化球とか緩急を織り交ぜて打たせて取るタイプに変わってくみたいな。
三振に拘るのも素晴らしいんだが、それが通用しなくなる時にどうするか? って意味で、無理矢理ドームツアーやるか、小さい規模でも満足いくステージ続けるかってところを、あまり悪あがきせずに移行していける人って長く続けられるし、自分がやってることの本質みたいなものは持続できるんじゃないかと思うのさ。

これ別に、そのアーティストの問題ってよりは、スタッフとか周囲のアレもあるんで、本人がシフトチェンジしたくてもなかなか許されない場合もあるんだろうけどね。

だから、まぁその周囲もちゃんと状況踏まえて「こっちに変えましょう」みたいなスタンスがスムーズに取れる環境があるってのがいいなって思ったのよ。

えと、記憶が定かじゃ無いけど、確か山下達郎がバカ売れした後で、今の自分のレーベルと事務所立ち上げた時に、パートナーと「これからできるだけゆっくり消えて行こう」みたいな話をして、その体制を作ったって話を聞いたんだけどね。
結局、達郎さんはまだ全然消える気配すらなくて、つまりそういう事なんだと思うんだよね。

それと今の達郎に自分が興味あるかってのはまた別な話なんだけど。









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6月のライブでございます。

え〜
6月になりましたね。

最近ちょっと色々と調べ物に熱中してまして。
あんま調べた内容とか公表する気はないようなアレだけど。

そんなわけで、とりあえず今月のライブのお知らせ。

今月は2本。

毎度おなじみの500Lと、毎年お声かけいただいてますフライアーパークの開店記念月間ライブ。
共に出演回数の記録保持者でございます。

お時間作ってぜひ。



2017年6/10(土)
場所:円山夜想<マルヤマノクターン>(札幌市中央区南1条西24丁目ヴィンテージビル地下)

『500L vol.21 〜東日本大震災チャリティーライブ〜』

OPEN/〜18:00
START/〜18:30
料金:入場無料(振る舞い酒あり!)
出演:kenzzzi(前説)/ 秋山シオ / なりまつ えり / ガジー / いむい ぱぴ子 / 辻 正仁





2017年6/29(木)
場所:フライアーパーク(札幌市豊平区平岸4条7丁目)

フライアーパーク19周年記念月間ライヴ

OPEN/20:00〜
START/20:30〜
料金:¥2000(1ドリンク付)
出演: 丸山昂太/辻正仁/小川洋一郎(from大阪)



ということで、調べ物に戻る。



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帰り道を忘れてもどうせ同じ空の下(『風来坊恋歌』by 自分 )



本日はちょっと野暮用で師匠のところに行ってきたんだけど、天気も良かったしちょっとした気まぐれで帰りにフラフラと歩いて帰ってきまして。
意外と時間かからなかった。2時間弱かな?
あえてどこ歩いてるんだかわからないルートで歩いてみたのだけれど、ちょうど日が傾きかけてる時間帯で、ふと子供の頃の事を思い出しまして。

10歳になるかならないかの頃だけどさ、引っ越す前の友達の家に泊まりがけで遊びに行った帰りに、地下鉄からバスに乗り換えて帰るハズだったんだが、財布をどこかで落としたらしいのを地下鉄から降りて気がついた。

もう、どうしようもないワケですよ。
家に電話することもできないし、どっか交番とかに行って助けてもらおうかとか、バスの運転手さんに事情を説明しようかとか色々考えたと思うんだけど、最終的に決断したのは「歩いて帰る」であった。
まぁ、多分気の小さい子供だったので、交番だろうとなんだろうと知らない大人の人のところに行くのがちょっと緊張を強いられるというか、行けなかったんだろうな。
それよりはどうなるか分からないなりにとりあえず、いつもバスから眺めてた景色の記憶を頼りに歩く方を選んだんだろうね。ちょっとあまりにも昔すぎて記憶が曖昧だけど。

その時もちょうど日が傾きかけてる時間帯だったんで、今日歩きながら思い出してたのさ。
あの時は、地下鉄降りたら家の方角が「とにかく日が沈んでいく方向だ」というのを頼りにしてたのだけは覚えている。なんちゅうか、動物的だな(笑)

今考えると、日常的に歩いてる程度の距離なんだけどね。
子供の頃はどのくらい時間かかってたんだろう?

ものすごく心細かったと思うのだが、どう考えてもそれで忘れ物がないか慎重になった気もしないし、万が一のためにお金を分散して持っているとか、何かあったらどうしようみたいなことに不安を持つ性格にもならなかったようだ。

おそらく、自分の「成功体験」として刻まれたんだなと思ったのね、今日。

財布を失くすという失敗よりも、その後に当時の感覚では途方も無い距離を明確なルートも分からないままに歩いてちゃんと家にたどり着いた事の方が自分にとってインパクトが大きかったんだと思う。

まぁ、子供にとっては孤独な大冒険だったわけですよ。

結果、慎重な性格になることもなく、未だによく分からない道を歩き回るのが趣味と化し、結構な事態に陥っても何の根拠もなく「どうにかなるだろう」と呑気に構える性格になったんじゃなかろうか?

多分、その時は心細かったと思うんだが、終わってみたら「面白かった」って記憶にすり替わったんだと思う。
小学校の高学年になってから初めて「自分のために買ってもらった自転車」を手に入れると、毎週日曜の朝になると自転車であてもなく早朝の道を徘徊するのが習慣になる。
20代から30代の後半になると仕事の連休時に気が向いた列車に乗り込み、気が向いた駅で降り、どこだか分からない場所を転々として、時には野宿して帰ってくるというのを年に一回のお楽しみイベントにしていた。

今はだいたい散歩で納めてるけど。

これを人生に置き換えてみるとだ。

ある意味、誰でも「正しい道順」などは分からないままに行き着く場所までの道のりを進んでいるわけですね。

ある程度安全かつ快適に、自分が「どのバスにのるか?」さえ押さえておけば、そして運賃さえ手元にあればバスに乗り込んでしまえば目的近くの停留所まで運んでくれるわけですね。
ここで気をつけるのは、どのバスに乗るのかと運賃を失くさないように気をつけることだ。常に運賃に気をつける。バスのダイヤに気を配る。バスに乗り遅れないように行動する。

ところがだ、一度バスに乗れなくても歩いて帰れたもんだから、おおよその方向さえ掴んでおけば運賃がなくても停留所が分からなかったり発車時刻がどうであろうと、なんとかなるだろうと。最終的に行くべき場所にいけるだろうとどっかで考えてるような気がしてきた。

そんでまた、散歩が癖になってるとさ、交通機関に時間を合わせて行動するとか、並んで待ってるとかが歩く事よりも面倒に感じるんだな。
よっぽど遠く無い限り、歩き回る方が気楽である。
途中で好きな場所で方向転換できるし、道中で色々と発見したり思いもよらぬ事を考えついたりできて、一言で言うと「面白い」のだ。
そりゃ、途中で雨に降られたりとか歩き疲れたりとか異常に腹が減ったりする事もあるんだが、そういうのも含めて終わってみれば面白かった事になっている。

「正しい道のり」が分からないまま進むのなら、どっちを選ぶか?
ってことになると、バスに乗るより歩いた方が楽しいような気がしてるんだろうなというのが、今日歩いていて思った事。

おそらくあのこどもの頃に、交番に駆け込んだりしていたら、きっとバスに乗ることに気を使う人間になってたんだろうなって。







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